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「協調性ゼロの天邪鬼」だった男が“マンガと野球”に人生を賭けた理由【死ぬ前にやっておくべきこと】

「協調性ゼロの天邪鬼」だった男が“マンガと野球”に人生を賭けた理由【死ぬ前にやっておくべきこと】

野球マンガ評論家・ツクイヨシヒサ(C)週刊実話Web

村瀬秀信氏による人気連載「死ぬ前にやっておくべきこと」。野球マンガ評論家・ツクイヨシヒサをインタビュー(中編)。野球マンガに対する熱い思いをたっぷり語っていただいた。

「自分の殻を破れ」人生を変えた恩師の一言

高校時代の仲間や監督がいなかったら、面倒くさい人間になっていた
ツクイヨシヒサは1975年、栃木県足利市に生まれた。

野球を始めたのは小学生のときだ。当時、楽しみにしていたのはテレビアニメの『タッチ』。甲子園を目指す双子の兄弟と幼なじみの物語に夢中になり、従姉妹が集めていた原作マンガにも触れた。

少年は思った。甲子園に行きたい。南ちゃんみたいな可愛いマネジャーにも、きっと出会えるはずだ。そのどちらも叶うことはなかったが、野球とマンガがツクイの人生の両輪になったのは間違いなくこの頃である。

小学校では毎学期の通知表に「協調性に欠けています」と書かれるタイプの子供で、本人いわく生来の天邪鬼。白球を追う野球少年でありながら、やがて新宿のアニメグッズ専門店『アニメイト』に通うほどのオタク気質にも目覚めていく。

だが同時に、片方の世界にいれば、もう片方に引かれる。“どちらにも属しきれない”というケツの座りの悪さを、この時期からすでに感じ始めていた。

「中学は先輩がタバコを吸いながら廊下を歩いているような、まぁ悪い学校でした。ただ野球部は関東大会で優勝するぐらいの強豪校で、部員は100人を超える大所帯。僕は運よく足だけは速かったから、すんなりとベンチ入りはできたけど、同学年の半数以上は3年間キャッチボールしかやらせてもらえず、監督は名前も覚えてくれない。僕らは独裁者のような監督に腹が立っていたし、試合に出てない選手は出番が来るまでどっかで寝てるような、強いけどバラバラのチーム。そういう野球がイヤで、ずっと抗っていた気がしますね。先輩の指導に何となく歯向かってみたり、ノックのバックホームで監督の体を毎日狙ってみたり。まぁ、どこにでもいるような、ずーーっとイライラしてる10代でしたよ」

それでもツクイは高校で野球部に入る。中学とは違って部員も少ない、男子の進学校だった足利高校は、常連校に引けを取らない練習量を課しながら勝てないという、ある意味で一番やりきれないチームだった。

先輩後輩の上下関係は極めてフラットで、監督は中学時代とは対称的に、マンガ『やったろうじゃん!!』の主人公のような、若くて情熱のある人だった。ここでツクイは初めて「野球は楽しい」と感じることになるのだが、入学当初はまだまだ持ち前の天邪鬼ぶりをイノセントに発揮していた。

「強豪だとか名門だとか知ったことじゃない、と本気で思ってましたからね。弱小校の1年のくせにね(笑)。練習試合で隠し球されたときは頭に来て相手校のゲージを蹴り倒してましたし、有名校との試合で死球を喰らったときは相手のベンチ前まで乗り込んでましたし。その度に、味方のベンチがドン引きしてましたけど(笑)。要するに、ちょっと浮いていたんですよ。でもあるとき、監督に言われたんです。『お前はいつまで自分の殻に閉じこもって生きていくんだ。仲間はみんな、お前のことを見てるし待っている。それを関係ないと思っているのはお前だけなんだぞ。いい加減に自分の殻を破れ』って。正直、そのときはすぐに得心できなかったけど、人生の節目ごとにその言葉を思い出すんですよね。年齢を経るごとに、監督の言いたかったことが分かるっていうか…。結局、肩と膝を壊して2年の冬に引退したけど、今でも野球を好きでいられるのはあの体験があるから。高校時代の仲間や監督がいなかったら、僕はもっと面倒くさい人間になっていたと思う」

死ぬ前にやっておくべきこと】アーカイブ

ツクイヨシヒサ新刊『野球マンガ学概論~その歴史と表現について~』4月17日、小学館から発売予定

過酷な編プロで鍛えられた“生きる力”

ツクイは高校での経験がなければ、野球マンガなど絵空事と冷笑するだけの人間になっていたかもしれない。

やがて大学生になり、心温まる作品を世に広めたいと「絵本」の編集者を志した。だが、この時代はそもそも採用枠自体がない。とりあえずは編集業に就かねばと、面接を受けたファッション誌の編集長から「面白い奴だから遊びに来い」と言われたことを真に受け、たびたび編集部を訪れていると「本当に何度も遊びに来る奴は珍しい」と気に入られ、紹介された編集プロダクションに就職することになる。

新宿のマンションの一室で、社長と先輩が一人という3人所帯がツクイの修行場になった。使い走りで買ってきたコンビニ弁当の温度で、いきなり深夜に怒鳴り合いが始まるような、風通しのよすぎる職場。ツクイはそこで、本づくりのノウハウをぶっつけ本番で学んでいった。3年が経った頃、3人だった会社は約10倍の人数に膨らんでいたが、胃潰瘍に倒れたことをきっかけに、ツクイは激務の地を卒業した。

「フリーになってからも何でもやりましたよ。雑誌や書籍だけじゃなく、幼稚園のパンフレットから富裕シニア向けの会員誌まで、本当に何でも。村上春樹が言うところの“文化的雪かき”って、こんな感じなのかなと。誰かがやらなきゃいけないけど、別に僕じゃなくてもいい仕事。でも僕はそれをずっと受け身の練習だと思ってたから。柔道でもレスリングでも、達人になるためにまず覚えなきゃならないのは受け身でしょう。どんな球が飛んできてもケガしないという自信があれば、いつか自分の打席が回って来る。その間も、ずっと自分が好きなものは追い続けてたからね。歴史の企画なら歴史マンガに絡め、車のページなら車マンガを誌面にねじ込む。だけど30を過ぎた頃に先輩ライターから言われたんですよ。『40過ぎて何でもできるは何もできないのと同じだ。今からエッジを立てておけ』と」

 (後編へ続く)

「週刊実話」4月23日号より

配信元: 週刊実話WEB

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