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ゴトビ体制で「恩恵を受けた1人」。出番を得たが「本当に心残り」と未練も【伊藤翔のサッカー人生②】

ゴトビ体制で「恩恵を受けた1人」。出番を得たが「本当に心残り」と未練も【伊藤翔のサッカー人生②】


 2025シーズン限りで現役を引退した伊藤翔にロングインタビューを実施。19年のキャリアを振り返ってもらった。全11回のシリーズで、第2回は清水エスパルス時代だ。

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 高卒直後の海外移籍という異例の挑戦を経て、伊藤翔がJリーグ入りしたのは2010年夏。最初のクラブは清水エスパルスだった。

 当時の清水は長谷川健太監督体制6年目。岡崎慎司、藤本淳吾、太田宏介ら日本代表経験者に加え、小野伸二も加入。豪華タレントが揃うチームに伊藤も加わる形になったのである。

「2010年の主力はヨンセン選手、岡崎さん、藤本さん、伸二さん、兵働(昭弘)さん、ホンタク(本田拓也)さん、辻尾(真二)さん、岩下(敬輔)さん、ボスナー選手、児玉(新)さんといった面々で、メチャクチャうまかった。僕はみなさんのスキルを吸収していく段階でした。あとは自分の身体ですね。試合をやれる状態ではなかったので、一から鍛え直すところからのスタートでした。

 そもそも清水を選んだのは、健太さんの練習がキツいと聞いていたから。『厳しい環境でもう1回しっかりやらないと、もう一生戻ってこられなくなる』という危機感が強かった。海外では筋肉をつけて身体を重くしていましたけど、対日本人だと俊敏性を上げないといけない。そういう調整も必要だと感じて、エスパルスに行きました。

 中に入ってみると、練習の空気感がピリッとしていたし、他の選手たちの私生活を含めた準備への意識がグルノーブルとはまったく違いました。グルノーブル自体がリーグ・アンのトップクラブではなかったんで、選手たちの意識が少し低いように感じていた。

 この年の清水は前半戦を首位で折り返しましたし、本当に空気感が素晴らしかったですね。夏場の走り込みは死にそうでしたけど」と伊藤は苦笑しつつ、16年前をしみじみと振り返る。
 
 最終的に同年の清水は6位に終わり、長谷川監督が退任。レジェンドの伊東輝悦、市川大祐らも去ったが、Jリーグ1年目の伊藤自身にとって学びの多いシーズンになったのは間違いない。

 続く2011年には、イラン出身のアフシン・ゴトビ監督が就任。強化部にも原靖強化部長が就任し、若返りに舵を切り始めた。それが当時の早川巌会長の意向でもあったからだ。

「最初は小野伸二さんと一緒に自分も試合に出してもらいましたが、半月板の怪我をして、そこから高原(直泰)さんが出るようになりました。でも、ゴトビ監督はそこから徐々に世代交代を進めていきました。

 ある時、怪我でリハビリ中だった僕は、試合に出られず別調整をしていた伸二さん、高原さん、小林大悟さんと一緒にボール回しをやったんですけど、本当にうますぎて、まったく取れなかった。『なんでこの人たちが試合に出られないんだ』という疑問を抱きましたね。

 その後、自分もけっこう使ってもらえるようになって、恩恵を受けた1人なんですけど、『上の世代の席を空けて下が出られるようにした』という印象が強くて、なかなか厳しかった。競争の中でポジションを奪い取って出るならいいんですけど、一気に主力の大半を入れ替えるような形で若返りが進んだので、チーム自体が勝てなくなっていきました」
 
 伊藤は偽らざる本音を吐露する。確かに彼自身は2011年と12年のリーグ戦11試合出場から、13年には25試合出場と出番が拡大した。それに伴ってゴール数も6得点。Jリーグ参戦4年目にしてようやく本領を発揮した感が強かったが、本人の中では多少なりとも違和感を覚えるところもあったという。

「清水が下降線を辿りつつあることを感じていたので、自分が何とか救いたいとは思っていましたけど、それが叶わないもどかしさが強かったですね。タカさんがいたのに、自分が使われている申し訳なさもあったりしたので、本当にジレンマが強かったです。

 健太さんからゴトビさんに監督が代わって、雰囲気もガラリと変化したように感じました。三保のクラブハウスにリラックスルームができて、パソコンで自分自身のプレーを瞬時に見返せたり、みんなが一体感を持ってファミリーになれるようにビリヤード台やリラックスできる機器が置かれたりして、プラスの部分ももちろんありました。でも、苦境から完全に抜け出すことはできなかったですね。

 監督が代わってチームが変わるというのは、グルノーブル時代も経験したこと。自分が行って4か月後には指揮官交代があり、僕を買ってくれていた監督がいなくなったので、その後の苦境につながりました。日本に戻ってきてからも監督交代でチームが大きく変わるという体験をするとは考えていなかった(苦笑)。清水では試合に出してもらえたんですけど、本当に心残りです」と、伊藤は当時の迷いを打ち明ける。
 
 結局、清水は2011年が10位、2012・13年が9位。伊藤が離れて2年後の2015年には17位に沈み、史上初のJ2降格を強いられた。その流れに歯止めをかけられなかったことが、本人は引退した今も残念に感じているという。

※第2回終了(全11回)

取材・文●元川悦子(フリーライター)

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配信元: SOCCER DIGEST Web

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