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潤沢な戦力や最高の環境で「本当に至れり尽くせり状態」。マリノスでキャリアハイを記録【伊藤翔のサッカー人生③】

潤沢な戦力や最高の環境で「本当に至れり尽くせり状態」。マリノスでキャリアハイを記録【伊藤翔のサッカー人生③】


 2025シーズン限りで現役を引退した伊藤翔にロングインタビューを実施。19年のキャリアを振り返ってもらった。全11回のシリーズで、第3回は横浜F・マリノス時代だ。

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 清水エスパルスで3年を過ごした後、2014年に伊藤が赴いたのが横浜FMだ。前年に最終節で川崎フロンターレに敗れ、J1制覇を逃したが、樋口靖洋監督体制を継続。絶対的主力の中村俊輔、中澤佑二や栗原勇蔵らも残っていて、戦力的には潤沢だった。

 そこに加え、伊藤や藤本淳吾、三門雄大、天野純、下平匠といった面々が加入。さらなる躍進が期待されていた。

「実はマリノスは、高校時代から目をかけてもらっていたチーム。練習にも行かせてもらったことがありましたし、『いつかチャンスがあれば行きたい』とは考えていました。日産自動車時代からの名門というのは僕自身も知っていましたし、日本の最高峰クラブの1つなのも間違いない。そこからオファーをもらえたのなら、やっぱり心が動きますよね。

 大きいクラブに行くからには、より一層、頑張らなきゃいけないという気持ちになりました。グルノーブルの時に準備不足で怪我を繰り返した反省も踏まえ、オフシーズンからトレーニングをして、始動日からいける状態を作って臨みました」と伊藤は12年前のワクワク感を口にする。

 その意気込みが、移籍1年目にJ1で32試合・8得点というキャリアハイの実績につながる。2015年は29試合・6得点、2016年は32試合・5得点と活躍を続けた。

「2014年は樋口さん、2015年からは(エリク・)モンバエルツさんが監督で、彼らに使ってもらえたことが、まず大きかったと思います。加えて言うと、良いパスを出してくれるタレントが数多くいた。俊さんもそうだし、淳吾君、ヒョウ君(兵藤慎剛)、マチ君(中町公祐)、(齋藤)学と、本当に至れり尽くせり状態(笑)。清水時代とは違ったタレントと一緒にプレーできる楽しさを味わわせてもらいました」と彼は笑顔を見せる。
 
 とりわけ、中村、中澤の2人との出会いから学ぶことは多かったという。

「2人のプロ意識は本当に凄かった。練習が10時スタートだったら、8時には練習場にいるのが当たり前。ある時、自分が8時前に行ったら、俊さんはもういましたから。下手したら泊まっていた可能性もありますよね(笑)。

 すべてをサッカーに捧げているというくらいの24時間の過ごし方をしていました。佑二さんも寝るまでの時間が決まっていたし、確実にそのサイクルで行動していた。そこは特筆すべき部分だと思います」

 一方で、栗原のようにルーティンを作らなくても高いパフォーマンスを出せる選手もいて、そこも伊藤にとっては新たな発見だったようだ。

「勇蔵君は俊さんや佑二さんとはタイプの違う選手で、『10時練習開始なら、それに間に合っていればいい』という考え方。一度、9時50分に来たことがあって驚きました(笑)。それでも当時は日本代表にも絡んでいたし、Jリーグでトップクラスのパフォーマンスを発揮していた。頭が良い選手でしたし、彼を見て『自分に会ったやり方を見出せばいいんだな』と感じた部分はあります」
 
 彼らが持てる力を最大限に出せたのは、2015年末に閉鎖されたマリノスタウンの存在も大きかったようだ。

「マリノスタウンは、世界のビッククラブに比べても見劣りしない最高の環境だったと今も感じています。横浜駅から徒歩圏という恵まれた立地で、新幹線も使いやすく、羽田空港からも近いので、飛行機移動も便利でしたね。

 中も筋トレルーム、プールや仮眠施設、リラックスルーム、食堂など必要な施設がすべて揃っていた。俊さんはそこに住んでいたといっても過言ではないほどでした(笑)。

 僕自身もだいぶ助けられたのは確か。それまで怪我の多いキャリアでしたけど、マリノス時代に自分に合ったトレーニングや調整方法を見つけられたのも大きかったと思います。それまでは本当にいろんなことを試していましたからね。

 低酸素トレーニングなんかも、その1つ。槙野(智章)君がやっていると聞いて、コンタクトを取り、自分も都内のジムに通い始めたんですけど、現役を終えるまで継続しましたし、かなりプラスになったと考えています。マリノスは都内に近かったので、いろんな選択肢を持つ機会があったし、トライできたのも良かったですね」と伊藤は言う。
 
 結局、マリノスには2018年まで在籍。アンジェ・ポステコグルー監督を含めて3人の指揮官に師事したが、タイトルには無縁のままだった。

「マリノスは、自分が離れた翌年の2019年にリーグ制覇を達成したので、巡り合わせが悪かったですね(苦笑)。自分が在籍したラストシーズンの2018年は残留争いを強いられたし、本当に厳しかった。キー坊(喜田拓也)とか若い世代が頭角を現したのは良かったですけど、僕自身は優勝に縁がなかったですね」と彼は悔しさを滲ませた。

 名門クラブである程度の実績を残したが、やはり優勝するか、しないかは選手にとって大きい。伊藤は頂点の味を知ることなく、国内2つ目のクラブを後にした。

※第3回終了(全11回)

取材・文●元川悦子(フリーライター)

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配信元: SOCCER DIGEST Web

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