廊下で見守っていたおばあちゃん
廊下には杖をついたおばあちゃんの姿がありました。何をしているのか。孫娘が教室で怪我をするかもしれないから、見守りに来ていると言うのです。なかには弁当まで持って一日中教室を見張っているという保護者もいるそうです。
横の教室は1年生が使っていました。廊下にはついたてがあり、こう記されています。「ここから先は2年生のゾーン」。つまり、危険だからトラブルを避けるために入れないようにしているのです。
一方、トイレの出入り口は「常に開けておくこと」になっています。なぜならそこで子どもたちがたむろして、突発的な事故が起きる可能性が高いとの判断からでした。個室はもちろん開けっ放しとはいきませんが、少なくともトイレの様子は廊下からもわかるようにしておく、ということでした。
次の時間、私はその教室で飛び込み授業をやりました。まず、最初に発した言葉はこれでした。
「チョーク貸してください」
黒板の下のチョーク入れに置いてなかったのです。子どもたちが先生に向けて投げる凶器になるからです。黒板消しもありません。同じ理由です。先生が自分で持っておくようになっているというのです。
1ヵ月で教師の心を折った2年生の暴言
そんな教室の光景は、最初は「今風の学級崩壊」にも見えましたが、じっくり眺めていくと「昔風の崩壊」でした。一見、「対先生」という軸がなく、ただ好き勝手にやりたい子どもが暴れている「今風」と思われましたが、じつはベクトルは先生に向けられていました。先生が子どもたちから追い詰められているのを私が知ったのは訪問する直前でした。もともとは先生がターゲットになっていたのです。
この学校への訪問は、以前から知っていた男性の先生に招いていただいてのことでした。その年の3月末、依頼の主旨はこういった内容でした。
「学級崩壊で知られるこの学校に赴任することになった」
「新2年生の学年になる子たちがなかなか厳しい」
「教室での暴言、陰口が続いている」
4月が近づき、その先生が「教務主任になった」と聞きました。校長や教頭と同じくクラスを担任せず、全体のケアをしていく役割です。実力があるからこそ、管理職に近い役割を任されるようになったのです。
もともと、その先生の専門は「学級運営」でした。大都市では教科領域別に研究会があって、先生たちがそこに属します。その領域ではエースと見なされている先生でした。実際に授業を見たこともありますが、はきはきしていて非常にいい印象でした。
しかし、5月にはもうその先生は学校にいませんでした。1ヵ月ほどしか耐えられず、精神的に追い詰められて休職していたのです。教務主任として、時折このクラスにも道徳を教えに行ったそうですが、かなりの暴言を吐かれたと。
「誰?あんた」
「うるさいねん」
そのまま7月に辞職してしまいました。いまは他市で臨時講師として働いていて、元気になっているそうです。
飛び込み授業に行くと、その後はたいがい学校側と研修会やセミナーなどがセッティングされています。
私はその日だけは「呼ばれた立場で言うのはいかがなものかと思いますけど、だから、こっち向いて言いますと」くるっと壁のほうを向いて、こう話しました。
「これはね、学年を2クラスに分けたほうがいいですね。単学級をやめたほうがいい。2年1組と2組に分けるのです。学年の途中であっても。でないと、この担任の先生は潰れますよ。いますでにひとり潰れているじゃないですか。このままだと高学年ではもっと大変になります。学校自体が崩壊してしまいかねません。今だったらまだ間に合うと思います」
それから1週間後にこの学年は2クラスに分かれたそうです。年度の途中にクラス替えがあるというのは異例なことですが、学校側は私の「アイデア」を実行されたのです。
一方、この日、口にしなかったことがあります。そもそもいまの授業の進め方がよくない、ということです。ただ受け身の授業で、面白くないから、じっとしていられないのだろうと。私が飛び込み授業で子どもたち同士のコミュニケーションを仕向けても、とても考えを話し合うというような状況ではなかったのです。
文/菊池省三 写真/PhotoAC

