ヨーロッパには毒ガスや串刺しで国民を大量虐殺した狂気の独裁者が存在するが、「悪の系譜」を辿っていくと、3000年以上前の古代中国に存在した、ひとりの男に突き当たる。殷王朝最後の王であり、暴君の代名詞とされる紂王(ちゅうおう)だ。
とはいえ、この男、当初は誰もが認めるカリスマだった。「史記」によれば、弁舌鋭く、その腕力は猛獣を素手で倒すほど。文武両道の若き天才君主はまさに「殷王朝最強」の名を欲しいままにしていた。
しかし、その高すぎるスペックが仇となったのか、自分より優れた者はいないと自惚れ、臣下の忠告を愚者の戯言としていっさい聞く耳を持たず、やがて裸の王様と化していく。
そんな独裁者の暴走をエスカレートさせたのが、絶世の美女と名高い愛妾・妲己の存在だった。彼女に溺れた紂王が私欲と快楽の限りを尽くしたのが、有名な「酒池肉林」だったのである。
紂王は酒をなみなみと注いだ「池」を造り、肉を吊るした「林」を設置。その中で裸の男女に追いかけ回させ、夜通し酒宴に耽った。国民が重税に喘ぐ一方で、異常性癖と狂気に満ちた独裁者はこの世の極楽を演出し、己の権力を誇示し続けた。
これに異を唱えたのが、王族の賢人たちだった。しかし独裁者にとって、正論ほど耳に痛いものはない。叔父の比干が命がけで論すると、紂王はこう言い放った。
「聖人の心臓には七つの穴があるそうだ。実際に見せてみろ」
そう言って、比干の胸を切り裂き、心臓を抉り出したという。
残虐王に愛想を尽かした兵士たちが次々と裏切って…
さらに、妲己が考案したとされる「炮烙(ほうらく)」という処刑法は、凄惨を極めた。燃え盛る炭火の上に油を塗った銅の柱を渡し、その上を罪人に歩かせる。足を滑らせ、絶叫しながら火の海へ落ちていく犠牲者を見て2人は大笑いしたというのだから……。
だが国民を「害虫」のように扱い、血族の命すら厭わない男の治世が、長く続くはずはなかった。紀元前1046年、周の武王率いる連合軍が挙兵。紂王は70万という大軍を差し向けたが、独裁者に愛想を尽かした兵士たちは戦場で次々と裏切り、矛先を自軍へと向けた。
敗北を悟った紂王は、都の朝歌に逃げ帰ると、自ら築いた豪華な宮殿「鹿台」に登る。最も高価な玉衣を身に纏い、自ら火を放って焼死したのである。財宝とともに灰になったその姿は、欲望に殉じた独裁者の象徴的な最期だった。
近年では「周が王朝交代を正当化するために悪評を盛った」という説があるようだが、3000年の時を超えて語り継がれるその狂気は今なお、歴史上のどの独裁者にも劣らぬインパクトを保っている。
(山川敦司)

