2005年、腰を振りながら「フォー!」と叫ぶ“ハードゲイ”キャラで一世を風靡したレイザーラモンHG氏。ブレイクから21年。「フォー!」という叫びや、奇抜な衣装に込めたこだわりとは何だったのか。“ハードゲイ”誕生の裏側から、ブーム終焉後に経験した「逃亡期間」、そして50歳を迎えた現在地までを聞いた。(前後編の後編)
やはりHGは鋼のメンタルだった…奇跡が重なったブレイクのきっかけ
――2005年にブレイクした“ハードゲイ”というキャラクターはいつ生まれたんですか?
レイザーラモンHG(以下、同) このキャラクター自体はブームがくる3年前の2002年ごろに大阪でやり始めました。
――ご自身で発案されたんですか?
もちろんです。当時、僕ら(レイザーラモン)は吉本劇場の最底辺にいて、月1回で1分の出番しかもらえていなかったんです。当時、お笑い人気の中心にいた女子中高生がネタを審査するシステムがあったんですが、僕らはプロレスコントとか“男ウケ”メインのネタばっかで、女子中高生に全くハマらなかった。だからもう「ウケへんでええわ」って振り切って、あえて変態下ネタキャラに徹したんです。
――あえて、“女子ウケ”とは真逆の方向に振り切ったと!
そうですね。「袖にいる芸人だけ笑かせばええわ」って感じで。だから当然、日の目を見ることはなく、社員からは「何してんの?」ってバカにされてましたね。
――そこから、何をきっかけにブレイクしたんですか?
2005年の初頭、TBSの『爆笑問題のバク天!』というバラエティ番組で、なかやまきんに君が、登場人物全員マッチョの「筋肉紙芝居」を披露するというコーナーがあったんです。きんに君とは、同じ新喜劇に所属してて、ジムも一緒で仲が良かったので、僕がその紙芝居の絵を担当したんです。
――HGさん、絵お上手ですもんね!
きんに君優しいんで、「絵を担当したHGさんも一緒にいいですか?」と僕をバーターで出してくれたんです。僕としては「全国放送のテレビだし、これはチャンスだ」と思って、あの衣装を着て、ことあるごとに「フォー」って叫びながら腰振って、カメラの前に出ていったんです。
――めったにないチャンスですもんね!
そしたら当時のディレクターが「は⁈」ってなって。「君、誰⁉ きんに君メインなんだから前に出てくるな!」ってめちゃくちゃ怒られて。現場もピリついて。それでもめげずに前に出て、そのたびに「出てくるな!」って怒られるというやり取りを何度も繰り返して、収録が終わったんですよ。
――HGさんって、やっぱり鋼のメンタルですよね(笑)。
その後、僕がやったことほぼ全カットされたんですよ(笑)。それでもカットしきれない部分があって、映像に映り込みはするんですよ。それをスタジオの爆笑問題さんや関根勤さんが見て「きんに君の後ろに、めちゃくちゃ個性ある奴おるけど、何もせえへんな」「あいつめっちゃ気になるな」って盛り上がったんですよ。
――いろいろやった結果、全カットされた映像が「逆に気になる」と盛り上がったんですね!
そう。それで次は僕一人にオファーがきたんです。「まずは実験的に使ってみよう」ってことで、新人ディレクター付けられたんですよ。しかも、その人がマジで、“ギャル男”みたいな人やって。ボロボロのジーパンはいて、頭ぼさぼさで、ハイテンションで「HGさん! 行きましょう!」みたいな感じで(笑)。
――かなりノリが合いそうですね(笑)。
その人がすごい良かったんですよ。その人も初ロケで「何か結果残したろう!」って感じで。僕も東京出たてで、初めての全国番組で「何か爪痕残すぞ!」って2人の熱量が一致して、一緒にゲリラロケしまくったんですよ。当時は許可取りとか緩かったんで、ゲリラロケして通報されて逃げる、みたいなことばっかりやってました。
“ハードゲイ”キャラ誕生秘話、すべてのきっかけはケンコバだった
――そもそも“ハードゲイ”キャラはどのようにして生まれたんですか?
きっかけは、ケンコバ(ケンドーコバヤシ)さんなんです。彼がくすぶっている芸人を集めてイベントを開いてくれたとき、僕が滑り過ぎて、無意識に腰をクネクネしてたらしいんです。それに対し、ケンコバさんが「ハードゲイじゃないかい」ってツッコんで。
――そのケンコバさんのツッコミがきっかけ?
そうです。その「ハードゲイ」って言葉がすごい気になったんです。そこから大阪のゲイの重鎮の方にもお会いして、「ハードゲイって何ですか?」って聞くとこから始まって、勉強して…。
――えっ、HGさんって、すごい真面目ですね!
そう、僕、真面目なんですよ。そこで、「『ハードゲイ』って、派手でハードなスタイルだったり、『Gogoboy』っていうきわどい衣装でセクシーなダンスをするジャンルのことを言うんだよ」って教えてもらって。
――衣装にはどういうこだわりがあるんですか?
映画『ポリス・ストーリー』に出てくるゲイクラブの雰囲気や、アメリカの音楽グループ『ヴィレッジ・ピープル』のスタイルを参考にしています。あと、この腕のバンドは、イギリスのロックバンド「クイーン」のフレディ・マーキュリーに着想を得てつけてます。
――たしかに! そう思うとすごい深いですね!
いろんなゲイの方々の格好を参考に、既製品を寄せ集めて作ったんですよ。
――ちなみに「フォー!」の誕生秘話は?
これもケンコバさんがきっかけなんですけど。新喜劇出たてのときに、奈良にある大学の学園祭に急遽、呼ばれたんですよ。そこで「なんか開口一番盛り上げなきゃいかんな」って思って出た言葉が、「奈良フォー」だったんです。
――それが始まりだったんですね(笑)。
海外ミュージシャンが「トウキョウ~」とか「オオサカ~」とか言うじゃないですか。僕は洋楽に憧れがあったし、趣味のプロレス観戦でも結構「フォー!」っていうレスラー多いんですよ。そういうのがミックスされて、追い詰められて出た言葉が、「奈良フォー!」だったんです。
――「奈良フォー!」に対する大学生の反応は?
どこの馬の骨か分からない奴が急に叫んで、盛り上がるわけないじゃないですか(笑)。しかも山奥の大学だったんで、その叫びでやまびこが聞こえたんですよ。「奈良フォーフォーフォー」みたいな(笑)。それをケンコバさんに愛のある感じでいじられて、「これおもろいんかな」って思ったのがきっかけです。
――じゃあ「フォー!」も、“ハードゲイ”キャラも、すべてはケンコバさんがきっかけだったと!
そうなんです。だからケンコバさんにはもう、腰を向けて寝れないですね。

