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158年信じられてきた幾何学のルール、ドーナツ2つで覆される――「部分を測っても全体は決まらない」

158年信じられてきた幾何学のルール、ドーナツ2つで覆される――「部分を測っても全体は決まらない」

158年信じられてきた幾何学のルール、ドーナツ2つで覆される――「部分を測っても全体は決まらない」
158年信じられてきた幾何学のルール、ドーナツ2つで覆される――「部分を測っても全体は決まらない」 / Credit: Bobenko, Hoffmann & Sageman-Furnas, Publ. math. IHÉS 142, 241–293 (2025) / CC BY 4.0

私たちは普段、「部分のことを十分に調べれば、全体のこともわかる」と素朴に信じて生きています。

家の壁を全部触れば家の形がわかる。地図のすべての道のりを測れば街の姿がわかる。これは人間の認識の、もっとも基本的な前提のひとつです。

ところが2025年、3人の数学者がこの素朴な信頼を、ドーナツ2つで打ち砕いてみせました。

ベルリン工科大学、ミュンヘン工科大学、ノースカロライナ州立大学の研究チームによって、表面上の道のりを測り、足元の曲がり具合まで読み取れる小さなアリがどれだけ歩き回って測量を完璧に行っても、自分が乗っているドーナツが「こちら」なのか「あちら」なのかを区別できない――そんな双子のドーナツが、本当に存在することが初めて示されたのです。

これは「数学的な小さなパズル」が解けた、という話ではありません。

1867年にフランスの数学者ボネが「全部測れば形は決まるはずだ」と問うてから、158年。

多くの数学者が「決まるに決まっている」と直感しながらも、誰も具体例も反例も示せないまま、宙ぶらりんで残されてきた問いに、ついに答えが出た――しかも、私たちの直感とは真逆の答えで。

「部分の総和は、必ずしも全体ではない」

この一見当たり前のような、しかしよく考えると意外な真実を、3人の数学者は美しいドーナツのペアで証明してみせました。

研究の詳細は、数学の世界で権威ある学術誌の一つ『Publications Mathématiques de l’IHÉS』に掲載されています。

目次

  • アリは自分が乗っている形を知ることができるのか
  • ついに見つかった双子のドーナツ
  • 「部分を測り尽くしても全体が一致しない」が証明された、ということ
  • 専門家向け補足

アリは自分が乗っている形を知ることができるのか

部分を全部知ると全体がわかるのか?

アリは自分が乗っている形を知ることができるのか
アリは自分が乗っている形を知ることができるのか / Credit:Canva

ある思考実験から始めましょう。

あなたは小さなアリです。巨大な風船の表面に立っています。自分が今、どんな形の物体の上にいるのかを知りたい。けれどあなたは小さすぎて、全体を遠くから見渡すことはできません。

できるのは、表面を歩き回ることだけです。

このとき、アリにできる「測量」は2種類あります。

ひとつは、「ここからあそこまで、表面に沿って歩くと何歩か」を測ること。これは数学では計量(けいりょう)と呼ばれます。地図でいう「道のり」の情報です。

もうひとつは、その表面が外の空間に対して「どちらの向きに、どのくらい曲がっているか」という情報。風船の上なら外向きに膨らんでいる感覚があり、お椀の内側なら内向きにへこんでいる感覚がある。この曲がり具合を平均したものが平均曲率(へいきんきょくりつ)です。

そこで、フランスの数学者ピエール・オシアン・ボネは1867年に、こう問いました。

「もしアリが、表面のあらゆる地点で道のりと曲がり具合を完璧に測り尽くしたなら、その情報からその形をひとつに特定できるはずではないか?」

これは、聞いた瞬間に「そうに違いない」と納得してしまう類の主張です。

考えてもみてください。すべての地点での距離と曲がり具合がわかっているのに、形が特定できないなんてことがあるでしょうか。それは、すべてのピースの形と並び方を知っているのにジグソーパズルが組めない、と言っているようなものです。

あまりに正しく聞こえるために、多くの数学者がこれを「ボネの問い」として、半ば公理のように受け入れてきました。

正確に言えば、これは証明された定理ではなく、ボネが後世に投げた問いでした。けれど数学の世界では、強い直感を伴う問いほど、長く宙に浮いて残るものです。

実際、ボールのような単純な閉じた曲面(球面)については、ボネの直感が正しいことは後に証明されました。

しかし、ドーナツについてはどうでしょうか?

理論的にはいるはずの「双子」がみつからない

理論的にはいるはずの「双子」がみつからない
理論的にはいるはずの「双子」がみつからない / Credit:Canva

話は1981年に飛びます。

ローソンとトリビュジーという2人の数学者が、こんな結果を証明しました。

「同じ計量と同じ(一定でない)平均曲率を持つコンパクトな曲面の形は、多くても2つまでしか存在しない」

これはどういうことでしょうか。

もう一度ドーナツに戻りましょう。あなたが熟練の職人に、「このドーナツの表面と、まったく同じ道のり、まったく同じ曲がり具合を持つ別のドーナツを作ってくれ」と依頼するとします。

ローソンとトリビュジーの定理は、こう保証します。「もし作れたとしても、せいぜい”双子”のもう1個まで。3個以上はあり得ない」と。

しかし、この双子には思いがけない性質がありました。

表面に住むアリがどこを歩き回って測っても、道のりも曲がり具合も完全に同じ値しか出ない。にもかかわらず、上空から見下ろすと2つのドーナツの全体の形は微妙に違っている。膨らみ方、ねじれ方、肉づき方がどこか違う。

「局所的にはまったく同じ。しかし全体としては別物」

これが「ボネペア」と呼ばれた、理論上の双子です。

もし誰かがこの双子を「これです」と提示できれば、158年前に提示された幾何学のルールを覆すことができます。

問題は、誰も実際に双子のドーナッツを見つけられなかったことでした。

理論的にはあり得るとわかっていながら具体的に「ほら、これがそのペアです」と提示できた数学者は、何十年にもわたってゼロだったのです。

事態は混迷を深めました。2010年には、ある数学者が「コンパクトなボネペアは存在しない」と主張する論文を発表します。これで議論は終わるかと思われました。

ところが2012年、その数学者は自ら主張を撤回します。

「あるかもしれない、ないかもしれない、誰にもわからない」――そんな宙ぶらりんの状態が、その後も続きました。

これは数学者にとって居心地の悪い状況でした。なぜなら、答えのある問いは美しいけれど、答えがあるのかどうかすらわからない問いは不安だからです。

ボネが1867年に投げた問いは、158年のあいだ、ずっとそこに居座り続けていました。

ついに見つかった双子のドーナツ

見つかった双子ドーナッツの姿

ついに見つかった双子のドーナツ
ついに見つかった双子のドーナツ / Credit: Bobenko, Hoffmann & Sageman-Furnas, Publ. math. IHÉS 142, 241–293 (2025) / CC BY 4.0

そして2025年、3人の数学者がこの膠着を打ち破ります。

アレクサンダー・ボベンコ(ベルリン工科大学)、ティム・ホフマン(ミュンヘン工科大学)、アンドリュー・セージマン=ファーナス(ノースカロライナ州立大学)。彼らが初めて具体的に構成してみせたのは、目に見える双子のドーナツでした。

論文には、ついに見つかった2つの双子のドーナツの図が添えられています。

ただしここでの「ドーナツ」は、私たちが食べるあの輪のかたちそのものではなく、いくつかの球がからみ合いながら閉じた、やや異形の形です。

上のドーナツと下のドーナツは、表面のどの地点をとっても道のりと曲がり具合が完全に一致しています。

けれど、よく見比べると、ふくらみ同士の間隔が微妙に違う。一方では大きなふくらみが少し近寄っていて、もう一方では少し離れている。

どう回転させても、ひっくり返しても、一方をもう一方にぴったり重ねることはできません。

つまりこういうことです。

「2つの異なるドーナツの表面に、それぞれアリを置く。どちらのアリも、足元の道のりと曲がり具合をどれだけ精密に測っても、まったく同じ結果しか得られない。なのに、本当はまったく別の形のドーナツに乗っている」

これが、158年越しの問いに対する答えでした。

そしてこの答えは、私たちの直感とは正反対のものでした。

「部分の情報をすべて集めても、組み上がる全体は1つではない」

この事実は、ボネの素朴な信念を粉々にしただけではありません。同じ論文の中で、研究チームはもうひとつの長年の難問にも決着をつけました。

「コーン=フォッセン−ベルガー問題」と呼ばれるその問いは、より厳しい条件、すなわち「実解析的な(数式できれいに表せるほど規則的な)曲面」に限った場合でも、同じことが起こり得るかを問うものです。

著名な数学者マルセル・ベルガーが2010年に「私たちが曲面についてまだ完全にはできないこと」の筆頭に挙げた問題でもあります。

研究チームは、自分たちが構築したドーナツのペアが、実は実解析的な(数式できれいに表せるほど規則的な、ベキ級数)性質まで備えていることを示しました。

ひとつの論文で、158年の難問と、未解決だった別の難問が、同時に決着したのです。

粗いポリゴンのドーナツが解いた、158年の謎

粗いポリゴンのドーナツが解いた、158年の謎
粗いポリゴンのドーナツが解いた、158年の謎 / Credit: Bobenko, Hoffmann & Sageman-Furnas, Publ. math. IHÉS 142, 241–293 (2025) / CC BY 4.0

この発見の経緯には、現代らしい不思議なねじれがあります。

研究チームは最初から、滑らかな美しいドーナツを考えていたわけではありませんでした。

きっかけになったのは、「離散微分幾何学」と呼ばれる比較的新しい分野でした。これは曲面を、なめらかな数式ではなく、カクカクの多角形の集まりとして扱う数学です。3DCG、ゲーム、建築の自由曲面設計など、現代テクノロジーの裏側で広く使われている技術の理論的基盤でもあります。

研究チームは、コンピュータ上で実験を始めました。使ったのは、わずか5×7=35個の頂点でできた、超粗いドーナツ型の格子モデルです。

このカクカクのドーナツは、研究にまつわる報道によれば、研究者たちのあいだで「rhino(サイ)」というあだ名で呼ばれていました。

共著者のホフマン教授は、初めてこの「サイ」を見せられたときの正直な感想を「最初は、数値計算のゴミにしか見えなかった」と振り返っているとされています。

それでも彼は研究を続行しました。「もっとひどいのを見たことがある」と冗談めかして言ったそうです。

そしてこのカクカクの粗いドーナツが、信じがたい性質を秘めていました。

たった35個の点しかないこの離散モデルが、滑らかなボネペアを構築するために必要な、ある決定的な特徴を備えていたのです。

具体的には、片方向に走る曲率線(曲面の上を走る特別な線)が、それぞれ平面上に収まっていました。これは「平面的な曲率線」と呼ばれる性質で、滑らかな曲面では非常に扱いやすい構造です。

研究チームは気づきました。「この粗いモデルが教えてくれているのは、滑らかなボネペアを作るためのレシピそのものではないか」と。

つまり、35個の点からなるローポリゴンのドーナツが、158年の未解決問題を解く鍵だったのです。

具体的なアプローチは、こう要約できます。

研究チームは、ドーナツを「等温曲面(アイソサーミック曲面)」と呼ばれる、19世紀から研究されてきた特別な種類の曲面として扱いました。

等温曲面は、表面を局所的には碁盤の目状にきれいな正方形に分割できるという、非常に扱いやすい性質を持ちます。

そのうえで、ドーナツを「バウムクーヘンの一切れ」のように分割することを考えました。1切れの基本パーツを、軸の周りに何度か回転させてつなぎ合わせ、最終的にぐるりと一周させてドーナツを閉じる。3切れなら120°ずつ、4切れなら90°ずつ。

このとき、双子のドーナツが成立するためには2つの条件を同時に満たす必要があります。

ひとつは「回転角がきっちり割り切れる角度であること」。中途半端な角度だと、何回回しても元の位置に戻らず、ドーナツは閉じません。

もうひとつは「1周回ったときに、回転軸方向のズレがゼロになること」。1切れごとに少しずつ軸方向に積み上がっていくと、ドーナツではなく螺旋階段になってしまいます。

研究チームの真の偉業は、この「ぴったり割り切れる角度」と「ズレがゼロ」を、双子のドーナツの両方に対して同時に成り立たせる構成を発見したことでした。

そしてコンピュータでの数値計算により、3回対称(120°回転)と4回対称(90°回転)の、美しいボネペアの実例を構築することに成功します。

論文の著者の一人、ボベンコ教授は、実は2000年代にもこの問題に取り組んでいました。一度は手詰まりで脇に置きましたが、2018年に離散モデルからの手がかりが研究を動かし直したと紹介されています。20年以上にわたる、執念の研究です。

配信元: ナゾロジー

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