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「野球を諦め就職したこともあるが、野球から離れられなかった」女子高校野球・野々垣武志監督の波乱万丈人生【死ぬ前にやっておくべきこと】

「野球を諦め就職したこともあるが、野球から離れられなかった」女子高校野球・野々垣武志監督の波乱万丈人生【死ぬ前にやっておくべきこと】

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村瀬秀信氏による人気連載「死ぬ前にやっておくべきこと」。女子高校野球監督・野々垣武志をインタビュー(前編)。女子高校野球に対する熱い思いをたっぷり語っていただいた。

東京ドームが震えた大熱戦

2026年4月4日。デーゲームの巨人対横浜戦が終了した夜8時の東京ドームでは、第27回全国女子高校野球センバツ大会の決勝戦が行われていた。

勝ち上がってきたのは優勝候補の一角、大阪は履正社高校。対するは、準決勝で大会3連覇中の王者・神戸弘陵高校を破って初の決勝戦に上がってきた長野県の佐久長聖高校。創部からわずか5年目のチームがこの晴れ舞台にやってきた。

試合は決勝戦にふさわしく、逆転に次ぐ逆転のシーソーゲーム。佐久長聖は“トルネードサイド”の変則エースが初回に履正社打線に3安打を集中され2点を許してしまうも、4回に逆転。しかし履正社もすぐに再逆転と、両校一歩も譲らず。

1点差で迎えたラストイニングの7回表。佐久長聖は力投を続けていた履正社のエースから1死満塁のチャンスを作ると、内野ゴロ、押し出し、犠牲フライというシブすぎる攻撃で6対4と大逆転。7回裏の一打同点のピンチも4番手の2年生投手が締め、佐久長聖が初めての全国制覇を果たした。

時刻は夜の10時を回る大熱戦。東京ドームは女子高校野球のプレーに心を奪われた人からの熱い拍手が鳴りやまないのであった。

「みんなが諦めずにやってくれて…誇りに思います」

優勝インタビューでそう語った野々垣武志監督(54歳)は試合後に泣いていた。


野々垣は元プロ野球選手である。1989年に18歳で西武ライオンズにドラフト外で入団。強打のショートとして活躍したPL学園時代は、2つ上に立浪和義(元中日)、1つ上に宮本慎也(元ヤクルト)と、規格外の先輩たちと同じポジションで研鑽を積んだ。

しかし、野々垣のプロ生活は華やかなものにはならなかった。9年間で268試合出場、76安打。プロ6年目に広島にトレードされ、その後ダイエーホークスへ。最後の年は台湾に活路を求めるも理不尽な形で解雇され、現役を引退した。

その後はPLの先輩・桑田真澄の野球教室を手伝い、清原和博の運転手を務めたほか、一時は野球を諦め、就職したこともある。

それでも野球から離れることができなかった。

死ぬ前にやっておくべきこと】アーカイブ


日本一の座を懸けて指揮を執る野々垣


挫折を越えて辿り着いた指導者の覚悟

野々垣自身、「覚悟」を決めて挑んだという決勝戦。相手が優勝校だろうが、創部からわずか5年だろうが、関係ない。勝ちたい。勝てる。選手たち全員がそんな覚悟を持って挑んでくれた決勝の舞台。一歩も引かずに勝利を掴み取ってくれたことは、この4年間の歩みのひとつの結実となった。

あの優勝から1週間。野々垣監督が、あの激闘とその道のりを振り返る。

「優勝できたのは、すべて選手たちのおかげですよ。準決勝は神戸弘陵さん、決勝戦の履正社さんと格上の相手ばかりでしたが、選手は最後まで自分たちを信じ、逆転されても諦めることなく戦ってくれました。監督の僕は覚悟を持つことだけ。信じる、と。選手たちを信じる。そして自分を信じる。僕は言葉に出して言うんですよ。『この子たちならやれる。大丈夫。どんなことが起ころうと俺が責任を取ればいい。自分を信じ、子供たちを最後まで信じ抜くんだ』と。口から自然に言葉が出れば、心から本気で思えているということ。だから試合中に一度でも疑うことはありませんでした」

危うい場面は何度もあった。初回にエースが2点を奪われ、なお、満塁のピンチも我慢の続投。レフトへ強烈な当たりが野手の正面をつきピンチを脱したが、薄氷を踏む展開が続いた。

「エースもさすがに研究されていて、ほぼ芯でとらえてくる。最後の満塁からの続投も紙一重です。賭けにも思えますが、うちの守備陣なら守り切れる自信はありました。この初回を守りきれたことで、その後の継投が楽になり、早め早めの決断ができる。接戦で粘れていれば必ず空気が出来てくる。強豪ではないうちの何が強いって、一体感ですよ。特に負けている展開だと、ほとんどの場面で粘って逆転する。この試合も全員が『逆転できる』と信じ切っていました。元々強豪ではない挑戦者としての立場だから『何もしないより、何かやって失敗しよう』という攻めの気持ちを忘れない。それは、僕が何を教えたわけじゃなくて、子供たちが自分たちで作り上げたものです」

佐久長聖の一体感は1点を争う最終回に真骨頂を見せる。表の攻撃で土俵際からの粘りを発揮して逆転。その裏、同点のピンチで野々垣はマウンドへ向かう。

「2点取られてもいい。普通にやれば絶対に大丈夫だ」。その言葉は気休めではない。必ず打ち取れる確信があったという。

「守り切ってくれましたよ。優勝した瞬間、子供たちがマウンドにバーッと集まってきて、心からよろこび回っていた。あの笑顔を見たときにグッと来てしまいましてね。創部から4年間の苦労がどうこうなんてものはありません。ここまでの道のりはいろいろとありましたけど、本当に一瞬の出来事でした。今、この瞬間、子供たちが頑張ってくれて、全国で一番を勝ち取りよろこんでくれている。考えられるのは、それだけですよ。本当にうれしかった」

創部からわずか5年での全国制覇を、人は奇跡と呼ぶのだろう。だが、この野球部の軌跡を辿れば、決して偶然でないことが分かる。

2022年。埼玉西武ライオンズ・レディースの打撃コーチを辞した野々垣が、何の縁もない、長野県の佐久長聖高校に辿り着くところから、この物語は始まる。
 (中編に続く)

配信元: 週刊実話WEB

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