現在WOWOW・Lemioにて配信中のドラマ、北方謙三『水滸伝』。本記事ではドラマに出演中の俳優・木村達成に原作の魅力を尋ねる。楊志が孤独と葛藤の末にたどり着いた「生きることの意味」、そして史進が気づけずにいる自らの「淋しさ」の正体とは何か。原作小説だからこそ描かれる登場人物たちの深い内面。木村達成が感じた、『水滸伝』第三巻の読みどころとは?
『水滸伝』で味わった爽やかな感動
──第三巻はいかがでしたか。
木村達成さん(以下同) 三巻は史進(ししん)が出てくる場面がたくさんあったので嬉しかったですね。
でも、やっぱり中心は二竜山(にりゅうざん)の攻略だと思います。楊志(ようし)が魯智深(ろちしん)と二人で、賊徒が集まる二竜山の山寨(さんさい)を落とすエピソードが面白かった。
青面獣(せいめんじゅう)・楊志は官軍の将校だったんですが、二巻で任務で運んでいた財物を賊徒に奪われます。財物は賄賂で、奪ったのは政府に反旗を翻そうとしていた晁蓋(ちょうがい)たち。私利私欲ではなく民のために奪ったんですが、楊志はそれを知ったことで、自分がこれからどうすべきかわからなくなっていました。
賄賂を義賊に奪われたことは民のためにはいいことだけれど、奪われたのが自分だということが許せない。祖先が宋(そう)建国の英雄で、軍人の家系に育ったから軍人以外の生き方がわからないということもありました。
そんな楊志が三巻では魯智深に連れられて、二竜山の賊徒に襲われた村に行きます。楊志は悲惨な状況になっている村を見て衝撃を受け、その場に残っていた賊徒を魯智深とともに追い払います。
いいことをしたと思ったら、長老らしい男から、これで二竜山の賊徒からもっとひどい目に遭わされると言われてしまいます。自警団をつくって闘う力もないと。楊志はその村で両親を殺された5,6歳の男の子を拾って連れ帰るんですが、それからの楊志の変わりようが印象的でした。
──悩んでいた楊志がついに決意を固めましたね。魯智深と二人で二竜山の山寨を攻略することを決意します。その一方で、楊志には済仁美(さいじんび)という彼女もできます。
村で拾った男の子を引き取ることにして、済仁美に預けるんですけど、その子に「おまえの父は私で、母は済仁美だ」って言うんですよ。「おまえには、私と済仁美がついている。ひとりではないのだ」と(p49)。
そこで男の子は楊令(ようれい)という新しい名前をもらう。でもまだ心に深い傷を負っていて、口が利けなくなっています。
その楊令が「父上」と初めて楊志に言う場面がよかったですね。「トラウマで一言もしゃべれなくなっていたあのガキんちょが」と感動しました。三巻まででいちばん心が動かされた場面かも知れない。
それまで男たちの暑苦しい世界しか見えていなかったから、「父上」と楊令が初めて言う場面で「これが生きていることだ、と楊志はふと思った」(p337)とあって、心が晴れたというか、爽やかな青空が広がったような気がしましたね。
──楊令は後に成長して父・楊志の志を継ぎ、『水滸伝』に続く『楊令伝』の主役になります。読者は楊令が楊令になった時から読み始めるわけです。
志と対照的にかわいそうだなと思ったのは、宋江(そうこう)の弟、宋清(そうせい)です。塩の道の安全を確かめる仕事をしていた鄧礼華(とうれいか)と恋に落ちて、せっかく村を出て自分の人生を生きようと決心したのに…。はぁーと思わずため息が出ましたね。
──宋江が悪いですよね。本人も反省していましたけど。
宋江はドラマ版と少し違うところがあって、ウザキャラっていうか、ちょっとうっとうしいところがあるんですよね。とくにここは、お前が余計なことをしなければ、と思ってしまった。
──同じ志を持った仲間たちが闘っているのに、宋江は妾(めかけ)の家に通う日常を送っている。宋江自身は早く反乱軍に参加したいと思っているんですが、『忠臣蔵』の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)のように正体を隠すために小役人を演じている。宋江本人も葛藤していますね。英雄らしからぬ人間くささがある人物だとも言えます。
それはわかるんですけど、この巻の宋江にはちょっといらっとしました。でも、宋江だけが『水滸伝』ではない。ドラマ版では宋江が主人公ですけど、原作では宋江も主要人物の一人。『水滸伝』は群像劇なんです。
僕は先に台本を読んでいたので、宋江が主人公だと思って小説を読み始めたんですけど、登場人物それぞれに濃い物語がある。原作を読むとそのことがよくわかります。
自分の淋しさに気づいていない史進
──もともと『水滸伝』は百八人の豪傑の物語です。宋江はリーダーだから物語の中心にいるのはたしかですけど、この巻でも、楊志や石秀(せきしゅう)、呉用(ごよう)、魯智深、史進、武松(ぶしょう)、敵方の李富(りふ)など、登場人物それぞれのエピソードが描かれています。この巻の史進はどうですか。
魯智深が史進を少華山(しょうかざん)に訪ねてくるんですが、それがちょうど戦のタイミングなんです。史進が率いる少華山のわずか四百の義賊が、総勢八千の官軍と対峙(たいじ)している。
──その戦のきっかけをつくったのがそもそも史進なんですよね。政府が取り立てた年貢米を奪って周辺住民に配ったから、官軍が排除に乗り出してきた。史進も官軍を挑発しながら野戦を繰り返し、部下たちに厳しい調練を重ねている。史進についてこられない部下を、殺しかねないほどしごいています。
史進の気持ちがすごくわかるなって思いました。できないやつのことが理解できない。何でこれができないの? って思ってしまう。
──史進は若いですからね。まだ二十二歳です。
官軍との戦いで、自分が率いる騎馬隊の中で最後尾だった男がいました。その男が馬を返したときに先頭にいるのに、先頭を駆けなかったことで味方が詰まって敵にやられた。
そのことで、男を激しく叱ります。それも、殴って、打ち据えて、時には殺してしまう、という勢いなんです。
時代が違うとはいえ、そこだけ取り出すと史進はヤバいやつです。周囲にいる参謀役の朱武(しゅぶ)や副官にあたる陳達(ちんたつ)と楊春(ようしゅん)は、史進はやりすぎだと思っている。でも、やっぱり史進がいないとこの山寨はやっていけないという思いもある。何と言っても一番強いのは史進だから。
「魯智深は、楊春の方へ眼をやった。
『みんな、史進と同じというわけにはいかないのだ。みんな、人なのだ。闘ったあとの、こんな仕打ちが、なんになる』
無口な楊春にしては、めずらしいほど言葉が長く続いた。
『つまりこれが、九紋竜(くもんりゅう)の逆鱗(げきりん)というやつなのか、楊春?』
『そうだ。誰かが九紋竜の逆鱗に触れるたびに、山寨は暗くなっていく』
『大勝した戦なのにな』
史進には、なにかが欠けていた。いや欠けているのではなく、まだ大事なものが育ちきっていない、という感じがある。」
(北方謙三『水滸伝』第三巻「輪舞の章」集英社文庫 p229)
この場面、いいなと思いました。ドラマでは描かれないので、何でカットされたんだろうって悔しくなりました。
──史進にとっては朱武も陳達も楊春もみんな年上。誰にも甘えられない。気を張ってリーダーをやっているんですよね。
「どうも、まだ淋しさには耐えられない、子供だったようで」と魯智深が言ってました(p248)。でも史進は自分が淋しいっていうことにも気づけないでいます。「それって淋しいっていう気持ちなんだよ」と教えてやりたくなりました。史進は自分でもよくわかっていないけれど、淋しさを発散するために戦に出ているんです。
魯智深は久々に会った史進が派手な虚仮威(こけおど)しの具足をつけて、赤い棒を持っているのを見て「史進か。見違えたな。虚仮威しの具足をつけた、賊徒の頭目かと思った」って皮肉を言うんですけど、史進には通じません(p213)。
ドラマではこのシーンはなくて、もっと後の場面を演じながら三巻を読んだので、原作の史進が懐かしいなと思いました。まだこの頃は子どもだったんだな、と。
聞き手・構成/タカザワケンジ
北方謙三「大水滸伝」シリーズ公式サイト
https://lp.shueisha.co.jp/dai-suiko/

