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【連載】onodela「アナーキーアイドル」#11 新卒でアメリカの金融企業の中枢に入った話

【連載】onodela「アナーキーアイドル」#11 新卒でアメリカの金融企業の中枢に入った話

テキサスで撮影した写真
テキサスで撮影した写真 / 本人提供写真

2019年7月に、ステージ上でいじめを告発した動画がバズり、アイドルを引退した「小野寺ポプコ」。その後、早稲田大学を卒業、カリフォルニア大学バークレー校へ留学し、卒業生代表としてスピーチをしたことも話題だ。物議を醸したあの日から一体どんな未来に繋がっていったのか。現在、onodelaとして活動する彼女が自身の言葉で書き綴るエッセイ「アナーキーアイドル」。連載第11回は、新卒でアメリカの金融企業の中枢に入った話についてお届けします。

■#11 新卒でアメリカの金融企業の中枢に入った話

卒業生代表としてUCバークレーを卒業してからの1ヶ月は、祝いの余韻の中にいるような時間だった。
毎日のように同級生や先輩、後輩と集まり、ネットワーキングや食事、飲み会を繰り返す。卒業前までそれぞれが抱えていたはずの不安は、この時間の中では不思議と薄れていき、誰もがこれから大きな未来へ進んでいくように見えていた。
200人規模の船を貸し切り、海の上で一晩中、卒業パーティーを開くこともあった。シャンパンで乾杯し、笑い合いながら、これが最後に会う機会になるかもしれないという現実も、一時的に忘れている。その場の空気はただ華やかで、きっと誰もがこの瞬間を大事にしたいと思っているだろう。

この時間が続けばよいと感じつつも、現実はそれほど単純ではない。この大学院の学生の多くは、銀行やファンド、投資会社などの金融機関への就職を志望している。
でも実際には、アメリカの就職市場は年々冷え込みが進み、今年の金融業界の求人数は例年の約5分の1にまで落ち込んでいた。通常であれば、卒業前に多くの学生が内定を得るが、この年は多数が内定を持たないまま卒業する状況だった。

わたし自身も例外ではなく、就職活動を続けているところだった。いくつかのオファーはあるものの、いずれも決定には至らず、より適した会社がないかと探し続けた。
金融業界の就職活動において重視されるのは、まず履歴書である。これまでの経験を限られたスペースの中で簡潔かつ明確に示し、同時に魅力的に伝える必要がある。そのため、何度も一日部屋にこもり、履歴書を書き直し、自分の経験を言語化する作業を繰り返した。

加えて、面接は複数回にわたり、1社の面接が10回以上に及ぶことも珍しくない。そこでは話し方や立ち振る舞いを含めた全体的な印象も評価の対象となる。また、市場に対する考え方や、自分なりの視点を問われることが多い。限られた時間の中で、それらを論理的に伝えることが求められる。

さらに、わたしが志望しているのはクオンツ(有価証券投資において数学的テクニックを使って分析する人)寄りのポジションであるため、面接の過程でその場でテクニカルな問題を解くことも多い。コードを紙に書くよう求められることもあれば、「ある株価が毎日50%の確率で上昇し、50%の確率で下落するとする。現在価格が100のとき、110に到達する前に90に到達する確率を求めよ」といった、確率や数理に関する問題が提示されることもある。

そうした問いに対応するため、先輩や同期と協力して作成した問題集を繰り返し解いた。正解を覚えるというよりも、思考のプロセスそのものを定着させるために問題を解き続けた。面接に備え、毎日8時間をその準備に充てているが、気持ちは決して楽ではなかった。

だが、その努力の甲斐もあってか、複数の選考を進める中で、いくつかのオファーを得た。まずはシカゴでインターンをしていた証券会社からの正式内定と、シンガポールのエネルギー関連のヘッジファンドのオファー。いずれも市場アナリスト職で悩みに悩んだ。その後、グローバルに展開するある金融企業から、機械学習エンジニア職のオファーも届いた。

これまでの専攻を考えれば、前者2つが無難な進路である。金融を軸に専門性を深め、その延長線上でキャリアを築いていけば、特に違和感のない選択に見える。
一方で、3つ目の金融企業に対して、ある理由から興味が湧き始めていた。UCバークレーに根付いている起業文化により、Zoomなどをはじめ、これまで自ら事業を立ち上げてきた卒業生は多く、起業を志向する学生も少なくない。そうした環境の中にいたからか、自分も同じように何かを作る側に回る可能性を意識するようになった。必ずしも一生会社員として働き続けるとは限らない、という前提が生まれ始めていた。

その結果、在学中に判断の基準が少しずつ変わり、「一番いい会社に入りたい」という考えから、「どの仕事が最も自分を成長させるか」という軸で考えるようになっていた。
金融に関する基礎はすでにある程度身についている。一方で、機械学習のスキルに関してはまだ一人前とは言えず、この内定を得られたことにもどこか運の要素を感じていた。今後の選択肢を広げるためには、自分の弱い部分に向き合い、それを補っていく必要があるんじゃないだろうか。

そう悩んでいるうちに、卒業から1ヶ月ほどが経った。それまで頻繁にあった集まりは徐々に減り、同級生たちはそれぞれの進路に沿って各都市へ移っていった。一部はサンフランシスコに残るが、多くはニューヨークへ向かっていった。金融業界を志望する学生にとって、ニューヨークが主流の進路であることに変わりはない。わたし自身も、当初はニューヨークへ進むことを前提に考えていた。

しかし、その想定とは少し異なる展開が起きた。その金融企業から、通常の採用とは少し異なる形での採用が提案されたのだ。それは、CEO直下の幹部が新規プロジェクトを立ち上げるにあたり、若手を1名、直接採用するという内容。業務はその幹部の補佐にとどまらず、プロジェクトの推進そのものに関与することが前提とされていた。

一般的な配属とは異なり、通常のキャリアパスをある程度飛び越える形で、初期の段階から意思決定の近くに関われる。会社全体が何万人規模で、階層も何十段とある中で、新卒でいきなり組織図の上から3段目に位置するようなイメージである。

非常に貴重な機会ではあるが、ひとつの制約がある。提示された勤務地はテキサスである。この幹部が家庭の事情で数ヶ月間テキサスに滞在する必要があり、対面で一緒に働くことが前提とされているためだからだ。

深夜、ビデオ通話でその説明を受けたとき、強い戸惑いがあった。テキサスに対しては、田舎で何もない場所なのではないかという先入観があり、賑やかなニューヨークでの生活やキャリアの機会に対する期待を手放すことには抵抗があった。一方で、この機会の希少性や、得られる経験の質を考えると、見送ることも難しかった。時間をかけて悩み、友人や指導教員に相談する中で、どこで働くかではなく、誰と、何をするかという観点で考えるべきだと考えが変わって行った。

4杯のコーヒーを一気に飲み、机の前で30分ほど考え込んだ末、ようやく震える指で「ぜひ入社させていただきたい」とメールを送った。そして、ニューヨークへ進むという当初の計画を手放し、知り合いも一人もおらず、これまで一度も行ったことがなく、特別な関心すら持ったことのないテキサスへ向かうことにした。


テキサスでの様子
テキサスでの様子 / 本人提供写真


テキサスでの生活は、想像していた通りの部分と、少し違っていた部分の両方の側面があった。街は広く、人は多くない。中心部には大都市のようなビルもいくつかあるが、そこを離れると住宅街の建物はどれも低く、さらに郊外へ行けば農場ばかりが広がっている。どこへ行くにも車が必要になる土地だ。最初は、少しだけ戸惑いがあった。街全体がどこか土色に見え、特別に「面白い」と思える場所が見当たらなかったから。

それでも、引っ越してすぐのある夜、近所の家の庭からテンションの高い音楽が流れているのが聞こえる。挨拶に行くと、「come in, come in」とまさか声をかけられた。少しもじもじしながら中に入ると、大柄なアメリカ人たちがビールを飲みながら、大きな肉を焼いている。いわゆる“ザ・アメリカン”な光景を初めて現実で目にし、これがテキサスかと、少し感動した。

地元のテキサスBBQは、噂通り美味しかった。週末になると、外で大きな肉を焼きながら、仲良くなった近所の人たちと飲んで過ごすようになるほどだった。
仕事もスタートした。オフィスはこのエリアでも新しいビルの中にあり、空間は広く、高級ホテルのように整えられていた。ジムや軽食が用意され、昼食も無料で提供される。同僚は、「ニューヨークの古いオフィスより、はるかに良い環境だ」と言っているが、その差に実感はまだなかった。むしろ、SNSで同級生が投稿しているニューヨークの写真を見るたびに、自分がそこにいないことへのわずかな悔しさを感じていた。

入社して1週間のオリエンテーションを経て、ようやく直属の上司と始めてMTGをした。イギリスで博士号を取得したインド出身の女性で、外向的で話しやすいが、仕事に対しては一切の妥協を許さないタイプだった。

雑談の中ではよく笑い、冗談も交えるが、議論が始まると空気が一変する。説明は簡潔で、前提を共有する速度も速い。曖昧な点があればすぐに指摘され、その場で考えを求められる。答えに詰まると、少しだけ間を置いてから、「Why do you think so?」と静かに問い返されるぐらいだった、感情的になることはないが、基準は明確に高い。何が足りていないのかははっきり示されるが、それ以上の説明はない。必要であれば自分で考え、追いつくことが前提とされていた。

彼女は、今回のプロジェクトについての構想を一通り説明してくれた。扱うデータの規模、モデルの精度に対する要求、そして最終的にどのような形で投資判断につなげるのか。その全体像は想像していたよりもはるかに大きかった。
話を聞きながら、そのスケールと完成度に圧倒される一方で、それを実際に自分が担えるのかという不安も同時に生まれていた。

担当しているのは、投資の方向性を見つけるためのモデル構築。AIを用いて膨大なデータの中からわずかなヒントを抽出する。学校で学んできた内容の延長線上にあるが、実際の現場での解決方法は、教科書とはまったく異なっていた。加えて、このプロジェクト自体がまだ初期段階にあり、誰かが手順を示してくれるわけでもない。必要なものは、自分で探すしかなかった。

最新の論文を読み、著名な研究者が開発したモデルを自社の環境に合わせて実装し、うまくいかなければやり直す。最初の1ヶ月は、ほとんど何も理解できていなかった。会議のたびに、どこかずれている感覚があり、上司に指摘されることも多い。そのたびに戸惑いを覚え、新しい理論を探しては、またやり直す。明確な正解は、どこにも用意されていなかった。

そうした日々が続く中で、生活の面でも少しずつ変化が生まれた。徒歩だけの移動に耐えられなくなり、初任給で頭金を払い、マイカーを購入した。片道1〜2時間の場所まで走り、周囲を開拓するようになったからか、週に1度か2度、どこかへ出かけては戻った。そうしたことを繰り返す中で、この広い街にも少しずつ土地勘がついてきた。

時間が経つにつれて、仕事にも少しずつ形が見えてきた。2ヶ月目には全体の流れが見え始め、3ヶ月目に入る頃には、自分なりの枠組みを説明できるようになってきていた。それもあって周囲の反応も、それまでとはわずかに変わっていった。

社内でのコミュニケーションにも慣れ始め、指摘に対して過度に感情的になる必要はないと理解し始めた。仕事においては、個人の感情よりも、プロジェクトの完成が優先される。その前提に気づくことで、やり取りの捉え方も少しずつ変化した。大きな自信と呼べるほどではないが、はっきりとした手応えのようなものも感じ始めていた。

そうした手応えを感じ始めた頃、上司の状況にも変化が生まれていた。家庭の事情が一段落し、彼女はニューヨークへ戻ることになった。プロジェクトもそのまま移行するため、わたしも一緒にニューヨークへ移ることになると告げられた。
もともとニューヨークで働くことを想定していたため、その話自体に違和感はなかった。むしろ、当初思い描いていた形に戻るだけであった。ただ、そのタイミングは想像していたよりも早かった。

テキサスでの生活に、ようやく慣れ、仕事の流れも見え始め、週末に顔を合わせる人たちとの距離も、少しずつ近くなっていた。その状態で離れることに、わずかながら寂しさを感じてもいた。
出発前、近所の人たちに簡単に別れを告げる。最初は好きになれないと思っていたテキサスなのに、また遊びに来ると本気で伝えた。わずかではあるが、バーベキューのやり方や車の扱いにも少し詳しくなっている。そうした変化の中で、自分がこの場所に確かにいたのだという実感が残った。

そして、ニューヨーク行きの航空券を手配し、6ヶ月前に降ろしたばかりの荷物を再びまとめた。アメリカ国内での引っ越しは、これで何度目だろうか。もう数えられなくなっている。
ただ、これまでで一番、長く行きたいと思っていた場所に向かっているような気がしていた。

テキサスで撮影した写真
テキサスで撮影した写真 / 本人提供写真

テキサスにあったオフィスのテラス
テキサスにあったオフィスのテラス / 本人提供写真


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