かつての教育現場には、現代の常識では測れない「怪物教師」たちが実在しました。行き過ぎた指導、理不尽な暴力、そして生徒の人生を狂わせる背信行為。指導という名の免罪符の下で行われた、あまりに過酷な「スパルタ教育」の犠牲者たちが語る、今なお癒えぬ心の傷と、その後の波乱に満ちた人生の独白です。(2回中の2回)
【行き過ぎ教師列伝・前編】を読む
全校生徒の前で公開説教! 身に覚えのない「罪」
僕の小学5、6年生の担任は基本的に優しく、生徒からも人気がありましたが、年に2〜3回ほど謎に「イキる」時期がありまして。その時は大人に見えても当時20歳なかばの小僧なので、ドラマや漫画からの影響をモロに受けてキャラ変してたんだと思います。
僕らも慣れっこでしたが、事件が起きたのは卒業の数週間前。卒業式の練習のために体育館に集まると、担任がステージに座って露骨に不機嫌アピールしていて、「ここに来る時に土足で花壇を通ったヤツがいる。俺は見ていた。名乗り出ろ」と。
誰も自首しない様子を見ると担任はさらに怒り、「俺の口から言わせる気か」と首から提げていた笛を床に叩きつけ、「お前だろうが、立て!」と名指しされたのはまさかの僕だったのです。
学年生徒全員の前で立たされ、頭が真っ白でしたね。ずっと怒鳴られましたが、何を言われたかは覚えてません。僕はやってないんです。
ただ、担任がそこまで言うなら「僕がうっかり横切ってしまったのだろう」と思い込み、学年生徒全員に泣きながら謝罪。担任から指示された通り、放課後に一人で花壇の泥をバケツとブラシで掃除して帰りました。
その後、僕のこの「事件」は他クラスの生徒から生徒へと広まり、僕は極度の対人恐怖症になって中学、高校と不登校になりました。
全国の教師たちは、ほんの些細な言動が生徒の一生を狂わせる可能性を自覚してほしいです。(生活保護受給者・44歳)
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恩師は母を寝取った「男」だった
中学で入った野球部の顧問は、母子家庭育ちの僕のことを随分と心配してくれまして。母の帰りが遅い日は他の生徒に内緒でファミレスに連れてってくれたり、本当の父親のような存在でした。
とはいえ、部活の指導は厳しくて、吐くまでしごかれるのも当たり前。試合に負ければ遠征先から走って帰らされるのもお約束で、心身ともにボロボロになりながら家に帰ることも少なくありませんでした。
ある日、試合中に足を骨折した僕は、痛みに耐えかねて指示を破りバスで帰宅しました。すると、アパートの部屋で顧問が母とあられもない姿でいちゃついていたんです。
顧問は「こんなに(帰宅が)早いわけねぇだろうが!」と逆ギレしながら服を着た後、「お前の進路のことで相談に乗っていた」と白々しい嘘をついて出て行きました。
ちなみに、実はこの関係性は周知の事実。僕の地元はド田舎なので、クラスメイトたちもみんな知っていながら、気の毒で僕には言えなかったようです。
結局、僕はこれを機に学校にも行かず、友達の家を転々とするようになり、中学卒業後は母親の財布から拝借した金だけを握りしめて上京。が、なんの取り柄もない中卒のガキがまともに生きていけるほど都会は甘くなく、その後の人生の半分は塀の中で過ごしていますね。(アルバイト・52歳)
『週刊実話 ザ・タブー』5月8日号より
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