
「自分には価値がある」と感じたい気持ちは、誰にでもあります。
仕事で認められたい、仲間から尊重されたい、自分の存在を軽く扱われたくない。
こうした欲求そのものは、とても自然なものです。
しかし、その欲求が強くなりすぎ、さらに「自分の属する集団こそ特別だ」という思いと結びついたとき、人は一つの価値観や目的のために、生活の他の大切なものを犠牲にしてしまうほど極端な性格になってしまう可能性があるようです。
スペインのエウロペア・デ・マドリード大学(Universidad Europea de Madrid)らの国際研究チームは「過激で極端なパーソナリティ」がどのような心理状態から生まれるのかを調べました。
研究成果は2026年2月25日付で学術誌『Frontiers in Social Psychology』に掲載されています。
目次
- 「過激さ」は思想だけでなく、心のバランスの崩れから生まれる
- 「認められたい」が「犠牲を払ってでも証明したい」に変わるとき
「過激さ」は思想だけでなく、心のバランスの崩れから生まれる
過激主義というと、多くの人は政治思想や宗教的信念に強く染まった人を思い浮かべるかもしれません。
しかし今回の研究が注目したのは、特定の思想そのものではありません。
研究チームは、ある一つの目的や価値観だけが極端に大きくなり、生活全体のバランスを崩してしまう心理傾向を「過激なパーソナリティ」として捉えました。
普通の生活では、人は仕事、家族、健康、友人関係、趣味、社会的責任など、複数の欲求や役割の間でバランスを取っています。
ところが、ある一つの動機が異常に強まると、その目的を満たすことが人生の中心になり、他の大切な領域が後回しになります。
たとえば「この価値のためなら自分の安全を失ってもいい」「この集団のためなら苦痛を受け入れてもいい」といった考えに傾きやすくなるのです。
チームが特に重視したのは、「自分は重要な存在だと認められたい」という欲求でした。
これをチームは「意義の追求」と呼んでいます。
この欲求は、人間にとってごく基本的なものです。
誰もが、無視されたり、軽んじられたり、社会の中で存在価値がないように扱われたりすることを避けたいと感じます。
問題は、その欲求が強くなりすぎた場合です。
研究では、この「意義の追求」に加えて、屈辱や失敗、差別などによって「自分の価値が失われた」と感じる状態にも注目しました。
これは「意義の喪失」と呼ばれます。
自分の価値が傷ついたと感じた人は、それを取り戻すために、より強い所属意識や集団への同一化に向かうことがあります。
そこで関わってくるのが「集合的ナルシシズム」です。
これは、自分の属する集団を「本来は特別で優れているのに、外部から不当に扱われ、正当に評価されていない」と考える傾向を指します。
つまり、「自分はもっと認められるべきだ」という個人的な欲求が、「自分たちの集団はもっと認められるべきだ」という集団的な優越感と結びつくのです。
この組み合わせが、過激なパーソナリティの土台になる可能性があるとチームは考えました。
「認められたい」が「犠牲を払ってでも証明したい」に変わるとき
チームは、この仮説を検証するため、スペインで2つの集団を対象に調査を実施。
1つは、オンラインで募集された一般成人328人です。もう1つは、スペインの刑務所に収容されている受刑者222人です。
(ただし、受刑者サンプルにはテロ関連犯罪で有罪判決を受けた人は含まれていません)
参加者は、
・過激なパーソナリティの傾向
・自分が重要な存在だと認められたい欲求
・最近感じた屈辱や不可視化の感覚
・集合的ナルシシズム
・自分の価値観や所属集団のためにどれほど犠牲を払う意思があるか
について回答しました。
その結果、一般集団では、いくつかの心理的要素が連鎖するように結びついていました。
まず、「自分は重要な存在でありたい」という欲求が強い人ほど、自分の所属集団を特別視する傾向が高くなっていました。
そして、そのような集合的ナルシシズムが強い人ほど、自分の中心的な価値観や集団のために、自分の快適さや安全を犠牲にする意思を示しやすくなっていました。
さらに、こうした犠牲への意思は、過激なパーソナリティの高さと関係していました。
チームは、この流れを「特性的経路」と説明しています。
これは、長期的に「認められたい」「重要な存在でありたい」という欲求が強く、その欲求が徐々に集団の優越感や自己犠牲の美化と結びついていく経路です。
一方で、別の経路も見られました。
最近の屈辱や失敗によって自分の価値が傷ついたと感じた人では、集団の優越性を強く意識する段階を経ずに、すぐに「大切な価値のためなら苦痛を受け入れてもよい」という姿勢に向かう傾向がありました。
チームはこれを「反応的経路」としています。
こちらは、じわじわ進むというより、傷ついた自尊心や社会的評価を急いで回復しようとする反応に近いものです。
大きな犠牲を払うことが、「自分には価値がある」と周囲に示す手段になってしまう可能性があります。
ただし、受刑者サンプルでは少し違う結果も出ています。
受刑者の間でも、意義の追求や集合的ナルシシズムは過激なパーソナリティと関連していました。
しかし、価値観や集団のために犠牲を払う意思は、過激なパーソナリティ得点と有意な関連を示しませんでした。
この理由として、受刑者はすでに犯罪行為や収監によって大きな代償を払ったと感じている可能性や、自由を失ったことでさらなる犠牲への意欲が下がっている可能性を挙げています。
とはいえ、これはあくまで解釈であり、今回の調査だけで断定できるものではありません。
今回の研究は、過激さを「危険な思想を持っているかどうか」だけで見るのではなく、その背後にある「自分には価値があると感じたい」という心理に目を向ける重要性を示しています。
過激で極端なパーソナリティは、ある日突然、何もないところから生まれるわけではないのかもしれません。
軽んじられた感覚、認められたい欲求、集団への強い同一化、そして犠牲によって自分の価値を証明しようとする心理。
そうした要素が重なったとき、人は一つの価値観にのみ込まれ、生活全体のバランスを失っていく可能性があります。
参考文献
The psychological traits that build an extremist personality
https://www.psypost.org/the-psychological-traits-that-build-an-extreme-personality/
元論文
How personal significance, collective narcissism, and willingness to sacrifice shape extreme personalities
https://doi.org/10.3389/frsps.2026.1714455
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

