
ストレスを受けると「やる気が出ない」「眠れない」「食欲が落ちる」など、心身にはさまざまな変化が起こります。
そして、その影響は「性欲」にも及ぶことがあります。
ヒトやラットなどの哺乳類では、強いストレスによってオスの性的モチベーションが低下することが知られてきました。
しかし、ストレスが脳の中でどのような仕組みを通じて性欲を下げるのかについては、まだ十分に分かっていません。
東京都立大学大学院の研究チームは今回、ショウジョウバエを使い、狭い空間に閉じ込められるストレスがオスの求愛行動を大きく低下させることを明らかにしました。
研究の詳細は2026年4月27日付で学術誌『iScience』に掲載されています。
目次
- 狭い部屋に閉じ込められたオスは、メスに求愛しなくなる
- どのような仕組みで性欲が落ちたのか?
狭い部屋に閉じ込められたオスは、メスに求愛しなくなる
研究チームが注目したのは、遺伝子操作がしやすく、脳の神経回路を調べやすいショウジョウバエです。
ハエと聞くと単純な生き物に思えるかもしれませんが、オスのショウジョウバエはメスに出会うと、羽を震わせて歌のような信号を出したり、後を追ったりする求愛行動を示します。
つまり、求愛行動の量を調べることで、オスがどれほどメスに性的な関心を向けているかを推定できます。

今回の研究では、成熟したオスバエを直径3ミリ、深さ2ミリの小さなアクリル容器に閉じ込めました。
ショウジョウバエの体長はおよそ2〜3ミリなので、この容器の中でも脚を動かしたり、体の向きを変えたり、毛繕いや摂食をしたりすることはできます。
しかし、自由に歩き回ることはできません。
いわば、体は動かせるものの、行動範囲を大きく制限された「狭い部屋」に閉じ込められた状態です。
その結果、10分間の狭所ストレスでは求愛行動に目立った変化はありませんでした。
ところが、30分または60分のストレスを受けたオスでは、その後のメスへの求愛行動が有意に低下しました。
さらに、60分のストレスでは30分の場合よりも強い抑制が見られ、ストレスの時間が長いほど、求愛行動への影響も大きくなることが示されました。
興味深いのは、この変化が単なる「疲れ」や「体調不良」では説明しきれない点です。
ストレス直後にはオスバエの運動量が低下しましたが、1時間後には回復していました。
また、摂食行動にも大きな影響は見られませんでした。
それにもかかわらず、メスへの求愛は抑えられていたのです。
このことからチームは、狭所ストレスによってオスの性的モチベーション、つまり性欲が低下した可能性が高いと考えました。
さらに、1時間の狭所ストレスによる求愛抑制は1時間後までは続きますが、2〜4時間後には回復しました。
一方で、7時間や24時間という長いストレスを与えると、求愛行動の低下は少なくとも5日間続きました。
小さなハエの脳にも、ストレス経験の長さに応じて、行動をしばらく変えてしまう仕組みがあると考えられます。
どのような仕組みで性欲が落ちたのか?
では、狭い場所に閉じ込められた経験は、どのようにして求愛行動を低下させていたのでしょうか。
チームが注目したのが、神経伝達物質のドーパミンです。
ドーパミンは、ヒトを含む多くの動物で、報酬、学習、運動、意欲などに関わる物質として知られています。
ただし、今回の研究で分かったのは、単純に「ドーパミンが増えたから性欲が落ちた」という話ではありません。
実験では、ドーパミンの合成を阻害する薬剤を使ったり、ドーパミン合成に関わる酵素をノックダウンしたりして、その役割を調べました。
すると、ストレス直後の求愛抑制は、ドーパミンが十分に働かない状態でも起こりました。
つまり、狭所ストレスを受けた直後に求愛行動が下がる現象そのものは、ドーパミンに強く依存していなかったのです。
しかし、1時間後まで求愛抑制を維持するには、ドーパミンの合成、放出、受容が必要でした。
これは非常に重要なポイントです。
ドーパミンは、性欲低下の「最初のスイッチ」ではなく、ストレス後に下がった性欲状態をしばらく保つ「維持装置」のように働いていたと考えられます。

さらに研究では、3種類のドーパミン受容体(Dop1R1、Dop1R2、Dop2R)が、この求愛抑制の持続に必要であることも示されました。
特に重要だったのが、ショウジョウバエの脳にある「キノコ体」と呼ばれる領域です。
キノコ体は、ハエの学習や記憶に関わる脳領域として知られています。
今回の結果から、ストレス経験によって生じた性欲低下の維持には、このキノコ体に発現するドーパミン受容体が関わっていると考えられます。
また、ドーパミンを放出する神経細胞群(PAMおよびPPL1)からキノコ体への入力も、ストレス後の求愛抑制の維持に必要でした。
つまり、狭所ストレスによる性欲低下は、脳全体にぼんやり起こる反応ではなく、特定のドーパミン神経回路を通じて保たれている可能性があるのです。
今回の研究は、あくまでショウジョウバエを使った基礎研究です。
そのため、この仕組みがそのまま人間の性欲低下やストレス性の性機能障害に当てはまるとは言えません。
しかし、ストレスが脳に残した影響によって、意欲や本能行動がしばらく変化するという現象は、多くの動物に共通する重要なテーマです。
ハエの小さな脳で見つかった今回の仕組みは、ストレスがどのようにして性行動や意欲を変えるのかを理解するための、ひとつの手がかりになるかもしれません。
参考文献
狭い部屋に閉じ込められるストレスにより オスの性欲が低下する仕組みを解明!
https://www.tmu.ac.jp/news/topics/38630.html
元論文
Role of dopamine signaling in male courtship suppression induced by confinement stress in Drosophila
https://doi.org/10.1016/j.isci.2026.115906
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

