
1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所の4号炉が爆発し、周囲には大量の放射性物質がまき散らされました。
そこは今も、地球上で最も放射線の影響が残る場所の1つです。
ところが、その「人間がいなくなった土地」で、いま意外なことが起きています。
オオカミ、ヘラジカ、シカ、ユーラシアオオヤマネコ、モウコノウマなどの大型動物が、この地域で数多く確認されているのです。
独アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルク(ALUF)の研究チームは、2020〜2021年にかけて、ウクライナ北部の広大な地域にカメラトラップを設置し、野生動物の分布を調査。
その結果、チェルノブイリ立入禁止区域は、放射線で汚染された場所でありながら、人間活動が少ないことで大型哺乳類の避難場所になっていることが示されました。
研究の詳細は2026年5月20日付で学術誌『Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences』に掲載されています。
目次
- 人が消えた土地で、カメラが捉えた大型動物たち
- 放射線よりも、人間の不在が効いていた?
人が消えた土地で、カメラが捉えた大型動物たち
チェルノブイリ立入禁止区域は、原発事故後に人間の居住や自由な立ち入りが制限されたエリアです。
現在のチェルノブイリ放射線・生態圏生物圏保護区は、約2600平方キロメートルに及ぶ広大な区域を含んでいます。
研究チームは今回、この保護区だけでなく、周辺のいくつかの自然保護区、さらに自然公園や正式には保護されていない地域も含めて調査することに。
調査方法は、動物が前を通ると自動で撮影するカメラトラップです。
人間が近づくと警戒して姿を消してしまう動物でも、無人のカメラなら、普段の行動を比較的自然な形で記録できます。
チームは、ウクライナ北部のおよそ6万平方キロメートルにわたる広い範囲で、カメラに写った動物を解析。
その結果、アカシカ、ノロジカ、ヘラジカ、モウコノウマ、イノシシ、ヤブノウサギ、アカギツネ、タヌキ、ヨーロッパアナグマ、テン類、ハイイロオオカミ、ユーラシアオオヤマネコ、ヒグマなど、13種の野生哺乳類が確認されました。
とくに目立ったのは、チェルノブイリ保護区での記録数の多さです。
調査全体で得られた3万1200件の撮影記録のうち、1万9832件がチェルノブイリ保護区で得られていました。
もちろん、これは1万9832頭の動物がいたという意味ではありません。
同じ個体が何度もカメラの前を通れば、複数回記録されるからです。
しかし、チームは単純な枚数だけで判断したわけではありません。
カメラトラップのデータをもとに、各地域で動物がどの程度その場所を利用しているか、生息確率や検出率を統計的に推定しました。
その結果、動物の多様性や生息状況は、チェルノブイリ立入禁止区域と、そこに隣接するドレヴリャンスキー自然保護区で特に高いことが分かったのです。
この2つの地域に共通していたのは、面積が広く、保護区域が互いにつながっていたことです。
孤立した小さな森ではなく、大きな生息地が連続して広がっているため、大型動物が移動し、餌を探し、長期的に暮らすための空間が確保されていたと考えられます。
つまり、チェルノブイリは単なる「無人地帯」ではありません。
人間が退いたことで、森、湿地、草地がつながり、野生動物にとって使いやすい広大な生活空間へと変わっていたのです。
放射線よりも、人間の不在が効いていた?
この研究で重要なのは、チームが放射線の影響そのものを調べたわけではない点です。
主眼は、放射線が動物の遺伝子や健康にどう影響したかではありません。
チームが見ようとしたのは、保護区の広さ、つながり、人間活動の少なさが、哺乳類の再定着にどう関係しているかです。
そのため、「チェルノブイリの動物は放射線に適応した」「放射線のおかげで増えた」といった言い方は正確ではありません。
実際、チェルノブイリ周辺では、放射線の影響を受けた植物や動物の変化も報告されています。
腫瘍や奇形、遺伝的変化、放射線に強い可能性のある菌類などをめぐって、現在も研究と議論が続いています。
つまり、この地域は決して安全で穏やかな理想郷ではありません。
それでも大型哺乳類が多く確認される理由として、今回の研究は「人間活動の制限」という要素を強く示しています。
野生動物にとって、人間の存在はしばしば大きなストレスになります。
道路が通れば移動ルートが分断され、農地や市街地が広がれば住処が減ります。
狩猟や密猟、騒音、夜間照明、車の往来も、動物の行動に影響します。
とくにヘラジカのような大型動物は、人間の気配に敏感です。
今回の研究でも、ヘラジカは人間活動に強く反応しやすい動物として扱われており、研究者が入った後には検出されにくくなる傾向が示されました。
一方、チェルノブイリ立入禁止区域では、人間の居住や経済活動が大きく減りました。
さらに、公式な保護区として管理され、人間の侵入が制限されています。
その結果、大型動物にとっては、危険な放射線が残る場所でありながら、人間に追われにくい場所にもなったのです。
これは、まるで「毒の沼地にできた避難所」のような状況です。
外から見ると、とても生き物が暮らしやすい場所には思えません。
しかし動物たちにとっては、車も少なく、狩猟圧も低く、広い森や湿地を自由に移動できることが、大きな利点になっている可能性があります。
この結果は、自然保護にとっても重要です。
野生動物を守るには、単に小さな保護区を点々と作るだけでは不十分な場合があります。
今後、より詳しいデータが得られれば、放射線、人間活動、保護区の構造がそれぞれどのように野生動物へ影響しているのか、さらに明らかになるでしょう。
チェルノブイリ立入禁止区域は、人類の失敗を象徴する場所です。
しかし、その人間が退いた土地で、動物たちは静かに戻り、森を歩き、湿地を渡り、カメラの前を横切っています。
この研究が示しているのは、自然のたくましさだけではありません。
私たち人間がどれほど強く野生動物の暮らしを押しのけてきたのか、という事実でもあります。
参考文献
Animals Are Thriving in Chornobyl’s Human-Free Zone, Study Finds
https://www.sciencealert.com/animals-are-thriving-in-chornobyls-human-free-zone-study-finds
Surviving in a poisoned land: Chernobyl’s wildlife is different, but not in the ways you might think
https://www.bbc.com/future/article/20260424-chernobyl-wildlife-forty-years-on
元論文
The Chornobyl Exclusion Zone as a wildlife refuge: restricted human access shaped mammal recolonization
https://doi.org/10.1098/rspb.2025.3151
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

