■大枠としてはオーソドックスな物語構造
主人公が“欲しいもの”(want/need)に向かって突き進むが、その道程は障害物だらけ、それでも艱難辛苦を乗り越え、これはどうあがいても勝てそうにないという苦境も乗り越えて、最後には“欲しいもの”に到達する。これが物語の原型です。こう言うと、そんな単純な話ばかりじゃないだろう、という反論が聞こえてきそうです。現代的な物語はもうすこし複雑になっているものが多いのではないかと感じる人もいるでしょう。その通りです。そして、その原因のほとんどが、構造ではなく、主人公の心の複雑さにあることを語りたいのです。私たちの生きている社会が複雑になることによって、主人公の“欲しいもの”も複雑化する。その例のひとつとして『プラダを着た悪魔』を見ていきたいと思います。ほとんどなにも考えないで気楽に楽しめそうな作品に見え、実際に肩肘張らずに楽しむこともできるのですが、実はこの作品の主人公の内面はなかなか屈折しています。

ストーリーの大枠とその構造を話しておきましょう。ファッションについて知識も興味もない、ジャーナリスト志望のアンディ(アン・ハサウェイ)は、腰かけ程度の気楽な気持ちで、ファッション界のアイコンとも言える「ランウェイ」誌の編集部に採用されたまではよかったが、アシスタントとして付いたのは悪魔のようなミランダ(メリル・ストリープ)編集長、彼女の下で、徹底的にしごかれながらも徐々に仕事に意義を見いだしていくが、結局は自分が本来求めていたジャーナリズムの世界へと歩み出そうとする(――と無理矢理一行にまとめてしまいましたが、ストーリー全体をこのように一行もしくは三行くらいに圧縮することを、ログラインと呼びます)。因みに、『プラダを着た悪魔』にわずかに先行するタイミングで、とんでもなくわがままな女上司に翻弄されてヒロインが七転八倒という同じモチーフの短編小説の傑作が日本で発表されています。森絵都さんの短編小説「器を探して」(「風に舞いあがるビニールシート」に収録)がそれです。面白いので参考までに。

さて、このように最初は気楽に構えていたが、徐々に本気になって……という物語の構造はよくありますね。たとえば、『シコふんじゃった。』(92、周防正行監督)。主人公の山本秋平(本木雅弘)は卒業のための単位が足りず、それを埋め合わせるために相撲部に入部して、最初は適当にやっているわけですが、そのうち本気になってしまう。また、『評決』(82、シドニー・ルメット監督)の主人公フランク・ギャルヴィン(ポール・ニューマン)は、お世辞にも志が高いとは言い難い、三流弁護士で、知人から回してもらった仕事で小金を稼ごうと目論むのですが、事件の背後にある理不尽さに気づくにつれて、示談を蹴って徹底的に争おうとします。また、『フル・モンティ』(97、ピーター・カッタネオ監督)では、鉄工所が閉鎖されてしょぼくれている男たちが、自分たちがふたたび輝くにはストリップしかないと考え(いや、普通はそんなこと考えないでしょ、ということを考えるのがこの映画の魅力なんです)、それでも最初は、いやいやさすがにこれは無理でしょ、と躊躇いつつも、徐々に本気になって、最後にはスッポンポン(フル・モンティ)になって喝采を浴びる、というものです。と、いくつか例を挙げたのは、『プラダを着た悪魔』は、かなりオーソドックスな枠組みを使っているということを示したかったからです。
■ジャーナリスト志望のヒロインが、ファッション雑誌の編集部に
では次に、このコラムの本丸とも言える着目点、主人公の欲望、“欲しいもの”(want/need)にフォーカスを当てたいと思います。主人公のアンディ(アンドレアとも)はノースウェスタン大学を出たばかりのジャーナリスト志望。同校は一流校で、なおかつジャーナリズムに強い。なので、彼女が硬派のジャーナリズム(紙媒体)を就職先として想定しているのは自然でしょう。ところが、アンディは、ファッション雑誌「ランウェイ」の編集部に応募し、まさかの採用となります。このあたり、どういう経緯で応募しようと思ったのか気になるのですが、映画では省略されています。これは、おそらくテンポを上げるためでしょう。
では、ここで視点を変えてみましょう。なぜ彼女は合格したのか、つまり、悪魔のようにキビシい編集長ミランダは、一目見てファッションには無縁だとわかるアンディを選んだのか? ミランダはアンディにこんなことを言います。「いつもは同じタイプを雇うの。オシャレでもちろん細身の子。うちの雑誌の崇拝者たちをね。でも、よく失望させられるの。バカばっかりで。だからあなたの素晴らしい履歴書と、立派なスピーチを聞いて『この子はちがう』と感じたのよ。自分に言い聞かせた。勇気を出して雇うのよ、この“利口で太った子”をって」

なんて嫌味で、なおかつ差別的な発言でしょう。今なら問題になりそうです。いや、なるでしょう。そのほかにも、ミランダのアンディに対する態度は、現在の基準で見ると問題が山積みです。不可能な要求も(悪天候で飛行機が飛ばないが、なんとか私をニューヨークに戻せ)、プライベートを侵害すること(勤務時間外だろうが、電話は必ず取れ)も、コートやバッグをアシスタントのデスクの上に放り出すことも、2006年当時なら「トンデモ上司」として笑いのネタになったのですが、現在ではパワハラとして問題視されると思います。この点については次回、続編を論じる際に触れたいと思います。

■アンディの心境を変化させた、決定的な出来事
話をアンディの“欲しいもの”に戻しましょう。本来なら、硬派のジャーナリズムを目指すはずだった彼女は徐々に「ランウェイ」の仕事に本気で取り組もうとしはじめるのです。なぜでしょうか? この変化の理由は二段階で示されています。まず、彼女が小馬鹿にしていたファッション業界の深みと凄みを見せつけられたことが第一段階としてあります。非常に微細なことにこだわってああだこうだと議論しているミランダとそれを取り巻くスタッフを見て、「しょーもな」というような気持ちになったのでしょう、アンディは思わず吹き出してしまいます。その失笑気味の声を聞いたミランダは彼女に言う。ここは、本作の名シーンのひとつとしてよく語られるところです(編集部注:セリフは筆者による意訳を含みます)。
「あなたには関係ないことよね。家のクローゼットからその冴えないブルーのセーターを選んだあなたは『私は着るものなんて気にしない真面目な人間』ってことね。でもその色はブルーじゃない。ターコイズでもラピスでもない。セルリアンよ。知らないでしょうけど2002年にオスカー・デ・ラ・レンタがその色のソワレを、サン・ローランがミリタリー・ジャケットを発表したの。(略)セルリアンは8つのコレクションに登場して、たちまちブームになり全米のデパートや、安いカジュアルの服の店でも販売され、それをあなたがセールで購入した。つまり、そのブルーは巨大市場と無数の労働の象徴なの。でも、とても皮肉よね。ファッションと無関係と思ったあなたのそのセーターは、そもそもここにいる私たちが選んだのよ」

このシーンはヒロインがミランダにうち負かされるシーンです。いや、出社当初からヒロインは自分の上司に翻弄されっぱなしなのですが、ここでの敗北は意味がちがいます。敗北の原因は権力関係によるものではなく、アンディが拠って立つはずだった「言葉」の領域で、打ち負かされた瞬間なのです。そして、この敗北によってアンディはファッション界の凄みと深さを味わい、目を見開かれることになる。
■“欲しいもの”の暫定的な設定
さて、もうひとつアンディが本気になるシーンがあります。そしてここが、“欲しいもの”(want/need)という観点から見た場合の本作の極めてユニークなところで、かつまたこの映画の名シーンとしてよく語られる場面でもあります。あまりに理不尽なミランダの叱責にアンディは比較的話しやすい男性(おそらくゲイ)のアートディレクター、ナイジェル(スタンリー・トゥッチ)に相談するのですが、慰めてくれるどころか「君は泣き言言っているだけだ」と言われる始末。

彼女は本気になる。この編集部で生き抜くこと、ミランダにとって優秀なアシスタントになることを自分の“欲しいもの”として暫定的に設定することになります。“欲しいもの”の暫定的な設定、これが本作の非常にユニークな点です。そして、彼女は変わりたいと思い、その手助けをナイジェルに求める。ナイジェルが彼女に似合いそうな服を選んで着せてやると、まるで別人のように華やかになる。映画という表現形式は内面的な変化を微細に描くことでは小説には勝てませんが、外的な変化を見せることにかけては圧倒的です。第一、ゴージャスな衣装を身にまとうのはアン・ハサウェイなのですから、着こなしたってバッチリです。この彼女の変化は周囲を圧倒します。いままで軽蔑していた先輩エミリー(エミリー・ブラント)を口惜しがらせ、彼女の同僚のセレナ(ジゼル・ブンチェン)に「いいわね」と素直に認めさせるほどに。

これは“それほどやりたいとは思ってなかったことだが、やってみたらとても上手にできた”ということですね。“欲しいもの”に引きつけて言い換えると、“さほど欲しいとは思っていなかったけれども、求めてみたら、あっさり手に入ってしまった”ってことです。そりゃあ、先輩のエミリーは口惜しいでしょうね。
アンディはこのあと、急ピッチでファッションの仕事にのめり込んでいきます。身体もスリムになって、ますますハイブランドが似合ってくる。この映画の前半と後半ではアン・ハサウェイの体型はあきらかにちがって見えます。調べてみたところ、撮影前に約10ポンド(約4.5kg)太り、後半の変身シーンで10ポンド減量してサイズ4が合うように調整したそうです。「ランウェイ」はただのファッション誌じゃない。一流のジャーナリストも寄稿しているのよ、と仲間に宣伝して呆れられもするアンディは完全に「ランウェイ」の人になったかのようです。

■最終的に、アンディはなにを求めるのか?
では、彼女は、暫定的な“欲しいもの”(want/need)を本当に“欲しいもの”として受け入れ、「ランウェイ」に身を捧げるのか? いや、そうではありません。クライマックスを経て、最終的に彼女はファッション業界は自分がいるべき場所ではない、と判断し、立ち去る決心をするのです。暫定的な“欲しいもの”を追い求めつつ、最終的には本当に“欲しいもの”へ向かうところで物語は終わる。このような“欲しいもの”のアークが示される作品はあまり多くありません。

では、暫定的な“欲しいもの”を追い求めた時間と労力は無駄だったのか。そんなこともないのです。
このコラムの冒頭で、物語の基本的なフォーマットを示しました。けれど、そのように“欲しいもの”を明確に設定して、それに向かって邁進するなんて、実人生では極めて稀なのではないでしょうか。人はたまたま出会い、たまたま関係を結びながらそれが実りあるものとなるように努め、ときにその関係を持続させたり、壊したりしながら生きていく。アンディと会った時に、エミリーはこんな言葉を投げかけます。「ここでやれればどこでも通用する」と。
さて、『プラダを着た悪魔2』が公開されました。予告編でも、アンディが「ランウェイ」に戻ることは明らかとなっています(戻らなければ物語がはじまらないので当然ですね)。では、なぜ、彼女は戻るのか。映画制作者の視点から言えば、どのような状況をこしらえてアンディをランウェイに戻すのか? そして、最終的に彼女はなにを求めるのか? これについて僕は『2』を観る前に仮説を立てました。次回は、この予想が当たったのか、外れたのかも含めて、語っていきたいと思います。
文/榎本 憲男
