
「怪我をせず成長していたら…」言葉が胸を打つ。山田直輝という“ひとりの人間”に、心を動かされた日
17歳でJリーグデビュー。18歳で日本代表初選出。“天才”と呼ばれた男は、どこまでも謙虚で、温かい人だった。
FC岐阜のMF山田直輝が5月21日、百年構想リーグをもって現役を引退すると発表した。
昨夏、2025年7月末にインタビュー取材をさせていただいた。取材前、少し緊張していたこちらに向かって、山田は柔らかい笑顔でこう言った。
「なんでも答えますよ」
飾らない、等身大の一言だった。今でも昨日のことのように覚えている。
2008年、浦和レッズユースから、2種登録選手としてトップチームに登録。正式にトップ昇格を果たした翌年5月には、18歳という若さで日本代表に初選出された。国際親善試合のチリ戦。当時の日本サッカー界で、山田に向けられる期待は凄まじかった。
ただ、その才能あふれるキャリアは、決して順風満帆ではなかった。
代表活動中に右臀部を負傷し、無念の離脱。2010年のアジアカップ予選・イエメン戦でも早い時間帯に負傷交代となった。それ以降、日本代表に呼ばれることはなかった。
浦和でも度重なる怪我に苦しんだ。期待され、注目され、そのたびに離脱を余儀なくされる。サッカー選手として、どれほど悔しい時間を過ごしてきたのだろうか。
それでも、山田は怪我を“マイナス”として語らなかった。インタビューで特に印象的だったのが、こんな言葉だ。
「(怪我をせず)あのままサッカー選手として成長していたとして、人間的にどうなっていたかなというのはすごく考える」
驚かされた。
普通なら、怪我を恨んでもおかしくない。失った時間を悔やんでも当然だ。それでも山田は、サッカー選手としてだけではなく、“ひとりの人間”として自分を見つめていた。
その姿勢に、心から感服した。
インタビューが終わると、「食べてください。美味しいので」と岐阜のお菓子を持たせてくれた。選手から手土産をいただくなんて――その自然な優しさに、山田直輝という人間が詰まっていた気がする。
もちろん、ピッチ上でも魅力的な選手だった。ハードワークを惜しまず、高い技術で観る者を魅了する。泥臭く走りながら、ふとした瞬間に“天才”を感じさせるプレーを見せる。そんな唯一無二の存在だった。
ただ、筆者はそれ以上に、“ひとりの人間としての山田直輝”に惹かれた。気づけば、大好きな選手になっていた。
取材・文●手塚集斗(サッカーダイジェストWeb編集部)
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