■「巨匠になんてなりたくないし、呼ばれたくもない」
――押井さん、2025年の8月からMOVIE WALKER PRESSで再発進したこの連載の最後を飾る作品です。人気の高い監督の作品とおっしゃってました。
「コーエン兄弟ですよ。彼らの『バーン・アフター・リーディング』について語ろうと思っていたんだけど…」
――ブラッド・ピットやジョージ・クルーニー、ジョン・マルコビッチら人気や演技力の高さで知られる俳優が出演してますが、ストーリーはおバカな感じですよね。フランシス・マクドーマンド扮するフィットネスクラブのインストラクターが全身整形するための資金を稼ごうとする話。
「そうです。そのために偶然、手に入れたCIAの情報をロシア大使館に売りつけようとする。その情報というのがメモワール(=自伝)を書こうとしている元CIAのマルコビッチのもので、実のところ大した価値がない…」
――もしかしてソコですか?タイトルからはついスパイものを想像してしまいますが、実はおバカなコメディだったという裏切り?
「あのコーエン兄弟が豪華キャストで撮った作品が、なんとおバカなコメディだったという裏切りもあるといえばある。でも、それはよくある裏切り。私が語りたかった“裏切り”はそこじゃないんですよ…」
――コーエン兄弟は本作の前、『ノーカントリー』(07)でオスカーを取ってます。作品賞・監督賞・脚色賞と兄弟で3部門を取っている。それに押井さんは前回の最後で「監督として世間を裏切りたい」云々とおっしゃってましたが、それとこの栄誉は関係ありますか?
「あ、それだ!それです。ヘビー極まりない『ノーカントリー』はオスカー作品でもあるから、多くの人が観たはずだよね。頭に“そういう映画を撮るコーエン兄弟”と刻まれ観客は、彼らの次回作として『ノーカントリー』のような作品を期待して劇場に行く。キャストも豪華だから当然、期待も膨らむわけですよ。ところが、蓋を開けたらおバカなコメディだった…だから、そういう“裏切り”を監督はしたくなるものなんだということを語りたいんです!」

――ということは、ある種の期待を抱いている観客に対して監督は肩透かしを食らわせたいと思う。つまり“裏切りたい”ということですね?それに前作がヘビーすぎたので今回は軽く楽しみたいみたいな気持ちもありそうですよね。
「それに加えてもうひとつある。私はそれを語りたいんです。たとえば北野武がときどきつくるツボがよくわからないギャグ映画。そういう映画をなぜわざわざ撮るんだろうと思うわけですよ。みんなのヒンシュクを買いながら、それなりの予算を使ってなぜおバカっぽい映画をつくるのか?以前からそれが疑問だったんだけど、コーエン兄弟のこの映画を観た時、私は理解出来たような気がした」

――というと?
「観客に肩透かしを喰らわせてざまあみろというんじゃなく、その正しい答えは『巨匠になりたくない』なんです。これ、私にはとても理解できる。私も時々、評判の悪い実写を撮ったりするでしょ?同じ実写でも『アヴァロン』(01)は誰も文句言わないけど『立喰師列伝』(06)、それも番外編の『真・女立喰師列伝』(07)等はコテンパに言われてしまう。『真面目に『パトレイバー』をつくれ』とか『本気で『攻殻機動隊』をやれ』とか『俺たちが観たいのは『パト』と『攻殻』なんだ』とかね。
で、私のことを“巨匠”呼ばわりする人がいるんですよ。メールの宛名を“巨匠”にする人がいたり、麻雀やっていても『巨匠、それ当たり』って言われたり。道場でも『世界のオシイになんてことをするんだっ!』って。もちろん、こういうのは全部、冗談だよ。業界の人たちが楽しんで言っているだけ。でも、なかには本気で“世界の押井”とか書いちゃう人がいるんです。私はそういうのがイヤなの。巨匠になんてなりたくないし、呼ばれたくもない。だから、『バーン・アフター・リーディング』を観た時、もしかしたらコーエン兄弟も同じ気持ちなんじゃないかと思ったわけです。北野武もコーエン兄弟も、時々バカをやって、失敗する権利を保留したい。絶対に失敗できないのは苦しいだけだから」
■「監督という商売は、我慢して続けていれば再起するチャンスがまたやってくる」
――ということは押井さん、「パトレイバー」の劇場版や『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(95)と続いての成功がキツかったわけですね。
「うん、とりわけ『攻殻』はヤバかった」
――もしかして「オレって巨匠?」って思っちゃったんですか⁉
「一瞬だけね。『このままだと巨匠の仲間入りしちゃうのかな』って」
――それって期待ですか?それともマジにヤバいほうですか?
「半々かな。自分は巨匠になるような人間じゃないってわかっていたからすぐ正気に戻ったけど(笑)」
――押井さん、その時に巨匠と呼ばれている監督の顔、浮かびました?たとえば宮崎(駿)さんとか?
「いや、宮さんはない。なぜなら師匠(鳥海永行)から『宮崎駿にはなるな』と言われていたから。最初に頭に浮かべたのはやっぱり(スタンリー・)キューブリックだよ。ある種の完璧主義者の監督と言われているけど、私は彼のそれはニセモノだと思っている。黒澤明も同じ。完璧主義の監督なんていないというのが私の考えなの。映画づくりにおいて、監督がすべてのディテールにかかわるなんてできるはずがないからですよ。もう一つ、完全主義者という言い方もあるけど、完全というのは理念にすぎないので到達はできない。でも、“完璧”はとりあえず偽装できるんです。キューブリックはそのせいで数年に1本しか撮らない監督になってしまった。だから結局、彼は巨匠を演じるハメになっちゃったんです」

――キューブリックを「神」呼ばわりする人もいますからね。
「でも、コーエン兄弟はそんなふうにはなりたくなった。『ノーカントリー』のような映画をいつも撮りたい監督じゃないということ。彼らは人間に興味がある。明らかに人間をおもしろがっている。そのおもしろがり方が悪意に転がると『ノーカントリー』になり、楽天的なほうに転がると『バーン・アフター・リーディング』になる。2つの根っ子は同じ。人間に興味があるんです。
うん、多分、そんなことを思って『バーン・アフター・リーディング』に決めたんだよ。なぜなら、私もいつもそういうことを考えながら(映画を)撮っているから。『『パト』と『攻殻』の監督じゃない!』ってさ」
――2本とも前世紀の作品ですからね。そのほかは結構、黒歴史が多いのでは?
「まあ、6割くらいはそうかな(笑)。そもそも、世にいう成功作にはみんな飛びつくけれど、『御先祖様万々歳!』(89~90)とか『女立喰師』や『アサルトガールズ』(09)は『ふざけるなっ!』になる。『アサルトガールズ』のカタツムリのシーン、延々撮っていて、みんなにはカットしろとさんざん言われたんだけど、なぜかその時は絶対に切っちゃダメだと思ったんだよ。理由はわからないけど。『だって、退屈なだけじゃないの』なんて言われると『退屈のどこが悪いんだ!』って(笑)」

――押井さん、それは単なる天邪鬼なのでは?
「まあ、それもあるかもしれないけどさ。だから、私が言いたいのは、ある種の監督は成功に囚われたくないということ。成功するために映画を撮っているんじゃなくて、撮りたい映画があるから撮っている。たまたまそれが成功する時もあるし、たまたまコテンパにされる時もある。そういうなかで監督はそれぞれバランスを取っている。
監督という商売は、我慢して続けていれば再起するチャンスがまたやってくるんです、不思議なことに。1本でもいい映画を撮っていれば『あんた、真面目にやればちゃんと撮れるでしょ?』という信頼がついてまわる。私がまさにそれ。でたらめの映画を撮っていても、そういう実績があるからチャンスが巡って来る」
――押井さん、リドリー・スコットについて、エポックメイキングという呼べる映画を2本も撮っているから、たとえ失敗作が多数あっても監督を続けられるみたいなことおっしゃってましたよね。
「サー(リドリー・スコット)は『エイリアン』(79)と『ブレードランナー』(82)の2本で巨匠であることを証明した。あとは多少、難アリだったとしても次を期待できるんです。私はサーの難アリ映画も好き。『G.I.ジェーン』(97)も大好きだよ」
――スコットは、そういう難アリ映画の合間に『ブラックホーク・ダウン』(01)のような市街戦映画の傑作も撮ってますからね。
「つまるところ、映画監督とはそういう商売なんです。ほら、生涯2本しか撮っていないの映画史に名を遺す監督になった人がいたじゃないの?」
――先日、亡くなった長谷川和彦監督ですか?では、その話は後編でお願いします!
取材・文/渡辺麻紀
