『時空の結晶』の正体──そしてブラックホールへの分かれ道

普通の結晶 ── ダイヤモンドや雪の結晶は、原子や分子が規則正しい配列を作っている状態です。バラバラに動いていた水分子が、0℃を境にきっちり並んで氷の結晶になる。これが、私たちが日常的にイメージする「結晶」です。
一方、「時空の結晶」では、並んでいるものが原子でも分子でもありません。
並んでいるのは、空間の曲がり方そのものです。
時空がぎゅっと曲がった「濃い部分」と、ふんわり緩んだ「薄い部分」が、規則正しく繰り返して現れる ── これが「時空の結晶」と呼ばれる現象の正体です。
ただし、ここからが普通の結晶と決定的に違うところです。普通の結晶では、濃い部分と薄い部分が 空間の中で隣り合って並んでいます。でも時空の結晶では、濃い部分と薄い部分が 「ズームの倍率を変えるたびに」交互に現れるのです。
ブラックホールができる寸前の時空に、なぜ規則的な繰り返しが現れるのでしょうか。
論文の数式は複雑ですが、本質は3つの事実の組み合わせで説明できます。

① 2つの「傾向」が互角にせめぎ合っている
ブラックホールができる寸前 ── つまり「臨界状態」では、2つの傾向がほぼ互角にぶつかり合っています。
ひとつは、重力で中心に集まろうとする傾向。波として広がっているエネルギーが、重力に引かれて中心にぎゅっと集中していこうとする方向です。
もうひとつは、波として外へ広がろうとする傾向。波の性質を持つエネルギーは、放っておけば自分から外に外にと広がっていきます。
「集まって、ブラックホールを作ろう」とする重力と、「広がって、ブラックホールを作らせまい」とする波。この2つが、ほぼ完全に互角でぶつかり合う瀬戸際の状態 ── これが臨界状態の正体です。
ちょうど、坂道の頂上にぴったり置かれたボールを思い浮かべてください。少しでも右に傾けば谷(ブラックホール)へ、少しでも左に傾けば平地(散逸)へ転がります。
② 互角の拮抗が、繰り返しのパターンを生む
ここがいちばん大事なポイントです。
「拮抗している」と聞くと、ピタッと止まっているイメージがあるかもしれません。ですが、実際にはシステムは動き続けています。
重力で波が中心に引かれる → 集まりすぎて反発が起き、外に広がる → また重力で引き戻される ── これが、ちょうど「振り子の往復」のように繰り返されるのです。
エネルギーが集まったときには時空が「濃く曲がり」、エネルギーが広がったときには時空が「薄く緩み」ます。だから、この振り子のような往復が、そのまま 時空の「濃い→薄い→濃い→薄い」というパターン として刻まれていくのです。
ただ普通の振り子と決定的に違うところがあります。
普通の振り子は、いつも同じ間隔で行ったり来たりします。時計の秒針がチクタクチクタクと等間隔に動くように。
ところが時空結晶の「振り子」は、1回振動するたびに、次の振動が前の31倍も速くなるという、加速する振り子なのです。
最後には事実上ゼロになって、「ブラックホール誕生の瞬間」に向かって消えていく ── これが時空結晶の振動の、奇妙な姿です。
③ なぜ「31倍ごと」なのか ── 長さの『ものさし』がない世界
ここから先は、すこし人間の直感を超える話になります。
このシステム ── 質量ゼロの場とアインシュタイン方程式の組み合わせ ── には、不思議な性質があります。
「ものさし」が存在しないのです。
普段の物理現象には、たいてい何かしらの「基準の長さ」が内蔵されています。原子なら原子の大きさが決まっているし、光なら波長が決まっている。「これくらいのサイズで起きる現象」と言える基準があります。
ところが、臨界状態のシステムには、そういう基準が一切ありません。
長さの基準がないということは、起きる現象には 「特別なサイズ」が存在しない ということです。だから、ある大きさで一度起きたパターンは、別の大きさで再び姿を現すことになる。
ただし ── ここが面白いところですが ── このシステムでは、その繰り返しが完全に滑らかに連続するのではなく、「31倍」というはっきりした倍率で起こります。1段ズームすると同じパターンが現れる、もう1段ズームすると同じパターンが現れる、というように、階段を一段ずつ降りるような飛び飛びの繰り返しになるのです。
これは マトリョーシカ人形にとてもよく似ています。一番外側の人形を開けると、31分の1のサイズの人形が出てくる。それを開けると、さらに31分の1の人形 ── と、同じ姿が決まった倍率ごとに、無限に入れ子になっている。
論文が示した「時空の結晶」も、まさにこの構造です。
3つを組み合わせると ──
1.重力と波の傾向が互角に拮抗 → 「ぎりぎりの瀬戸際」が生まれる
2.拮抗の中で起きる振り子のような往復 → 「濃い→薄い→濃い→薄い」のパターンが時空に刻まれる
3.長さの基準がない世界で、31倍ごとに繰り返す → そのパターンが、マトリョーシカのような飛び飛びの入れ子構造として、永遠に続いていく
この3つが組み合わさることで、「時空の濃淡が、ズームを変えるたびに31倍ごとに繰り返し現れる」── 普通の結晶よりも遥かに不思議な「時空の結晶」の構造が、ブラックホール誕生の瀬戸際にだけ姿を現すのです。
では、なぜそれがブラックホールに化けるのか?
まず最初に言えるのは、時空結晶は坂道の頂上のボールのように、極めて不安定な”中間状態”という点です。
研究チームのダニエル・グルミラー氏も、「この時空結晶は非常に特異で魅力的な物体です。これは一種の中間状態であり、2つの異なる方向に進化する可能性のある不安定な点です」と述べています。
2つの方向、とは何か。
ひとつは、踊りがほどけて、もとのなめらかな時空に戻る道。
物質と時空が、お互いに手を離す。
リズムが崩れ、何事もなかったかのように、自由に動く粒子を残した通常の時空へ戻っていく。
坂道のボールが、わずかに左に転がって、もとの平地に着地するイメージです。
もうひとつは、わずかなエネルギーが加わって、踊りが崩れ、ブラックホールへ向かう道。
リズムを刻んでいた物質と時空が、そのリズムを保てなくなる。
手をつないでいた二人が、勢いあまって中心へなだれ込んでいく ── そうして、一気に重力崩壊が始まり、ブラックホールが生まれる。
坂道のボールが、わずかに右に転がって、向こう側の谷へ落ちていくイメージです。
ここで決定的に重要なのは、この分かれ道のスイッチが、ほんのわずかなエネルギーの違いで切り替わってしまうということです。
水が0℃で凍るかどうかが、ほんのわずかな温度差で決まるように。
坂道頂上のボールが、左に転がるか右に転がるかが、ほんのわずかな風で決まるように。
時空結晶も、ほんのわずかなエネルギーの追加で、「もとに戻る」か「ブラックホールになる」かが決まる ── そういう、宇宙の運命を分ける一瞬の姿だったのです。
もちろん「これで時空結晶の存在が明らかになった」と断言はできません。
今回の研究は理論物理学の成果であり、現実世界で時空の濃さがシマシマになっている状態からブラックホールが生成される様子が直接確認されたわけではありません。
また論文では、本研究で扱った具体例において、NNLOまで含めた場合に解が破綻なく成り立つには、おおむね52次元程度が下限と報告されています。
私たちの4次元宇宙からは、まだだいぶ遠い場所にある”完成形”だ、ということになります。
ただし、と研究チームは続けます。
研究では、最初の近似から段階的に補正を加えていけば、徐々に有限の次元の世界 ── つまり、私たちの宇宙の状況に近づいていく道筋が示されています。
つまり、「無限次元のおとぎ話」から「私たちの4次元宇宙」へどこまで翻訳できるかを調べる作業が、ようやく始められる状況になったわけです。
これは理論宇宙論にとっても、嬉しい進展になりそうです。
そして、この時空結晶のような入れ子構造の臨界状態については、これまで数値結果を解析的に見通す道具が限られていました。
ですが今回、その道具が手に入りました。
こうした臨界崩壊の描像も、これからは原始ブラックホール形成を考える理論モデルを洗練する手がかりの一つになるかもしれません。
さらに今回の結果は、ブラックホールの見え方を変える切欠になります。
ブラックホールの見方が、少しだけ変わった

ブラックホールというのは、長らく「宇宙の終点」のイメージで語られてきました。
なんでも吸い込んでしまう穴。
光さえ逃げられない場所。
すべての情報が消えてしまうように見える、宇宙の最果て。
けれど、今回の研究が示してくれたのは、それとは少し違う姿です。
ブラックホールは、宇宙にいきなり開いた「穴」ではないのかもしれません。
水と氷はどちらも同じH₂Oが、違う”相”として現れた姿でした。
それと同じように、なめらかな宇宙と、ブラックホールも、もしかしたら同じ”宇宙の組み立て”の異なる姿なのかもしれないのです。
(※より厳密には「2次相転移」と呼ばれる臨界現象との数理的な近さです(1995年の小池・原・足立らの研究でも示されています)。
そして、その二つの姿のちょうど切り替わり目に現れるのが、今回数式で記述された「時空結晶」── つまり「凍りかけの宇宙」だった、ということになります。
水が氷になる直前、分子と分子の配置関係が、そろそろ”これから凍る隊形”を組み始める瞬間があります。
ブラックホールが生まれる直前にも、それと同じように、物質と時空が手をつないで”これからブラックホールになる隊形”を組む瞬間があるのかもしれません。
今回の研究は、その一瞬を ── 30年以上、誰も紙の上に書き留められなかったその一瞬を ── ようやく数式という「設計図」として描き出すことに成功しました。
おそらく、これからの理論研究では、この設計図を手がかりに、宇宙の始まりにあったかもしれない極小ブラックホールの姿が、もう一度議論されていくことになりそうです。
そのささやかな相転移と、宇宙の最も極端な存在であるブラックホールの誕生が、根っこに似た数理構造を共有しているかもしれない ── そう思うと、なんだか身近な台所と、宇宙の彼方が、ちょっとだけ近く感じられるのではないでしょうか。
ブラックホールは、私たちが思っていたほど”よそ事”ではなかったのかもしれません。
参考文献
Tiny Black Holes: Crystals of Space and Time
https://www.tuwien.at/en/tu-wien/news/news/winzige-schwarze-loecher-kristalle-aus-raum-und-zeit
元論文
Analytic Discrete Self-Similar Solutions of Einstein-Klein-Gordon at Large 𝐷
https://doi.org/10.1103/qgl5-5l3t
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部

