就職氷河期という荒波を生き抜いてきた世代が、今、深刻な「居住貧困」の渦中にいる。非正規雇用という不安定な土台の上で、わずかな家賃を捻出するために食費や医療費を削る日々。病や家族の介護といった不測の事態に見舞われれば、住まいさえも奪われかねない現実がある。
大学教授である葛西リサ氏の書籍『単身高齢者のリアル――老後ひとりの住宅問題』より一部を抜粋・再構成し、高齢者のリアルな貧困生活を追う。
氷河期世代の居住貧困のリアル
近畿地方に住むAさんは、長らく非正規職に就き、44歳のときに、キャリアアップを図ろうと一念発起して専門学校に入学した。その間の学費や生活費はすべて貯蓄でまかなった。
カリキュラムを順調にこなし、国家資格を取得、晴れて就職を果たしたが、体調を崩し、辞職した。無理なく働こうと、また非正規職に就いた。
手取りは13万円ほど、貯蓄のほとんどを学費に充てた彼女にとって、月4万5000円の家賃の支払いは大きな負担だ。住宅は15平米のワンルームで低質だが、正社員になればもう少し広めの住宅に移ることができると我慢を重ねた。
携帯電話の代金やもしものときの医療保険など、支払いが難しいときには、食費を削るしかない。エアコンが必要な夏や冬の時期は、電気代を節約しようと大型スーパーやファストフード店で時間をつぶすことが増えた。
数少ない友人の誘いを受けることもあるが、交際費が捻出できないため、断ることが続いている。このままでは、少ない人間関係さえもなくなってしまうと思う一方で、自分の近況を打ち明けられない表面的なつながりよりも、ランチ代の節約のほうが切実な課題だと感じている。
体重も落ちた。ある日腹部の違和感に気づいたが、医療費が出せないために放置した。
地方の両親はすでに他界し、実家は兄弟が継いでいて関係も良くなかった。ほかに頼れる親類はいない。
なんとか生活しなければと、腹部の痛みをこらえて仕事を続けた。痛みが限界に達し、「死ぬかもしれない」と思ったとたんに救われた気持ちになったという。
「不謹慎なのはわかっているんですが、少なくとも、余命宣告されたら、あと何年分の家賃を確保しといたらいいか予測が立つな、と。いつまで家賃のために仕事を続けるんだろうという漠然とした不安に苦しめられるのにうんざりしてましたから」と彼女は語った。
結局、救急搬送された病院で手術を行い、一命をとりとめた。50歳になった今も生活保護に頼らず、非正規で働きながら、月4万5000円のアパートに暮らす。今後、もし転居となったときには、この年齢ではもう借りられる物件がない。「団地は安いというけれど、辺鄙なところだと働けないし」と不安げだった。
1Kのアパートで経験した恐怖
また、ある43歳の女性は、氷河期世代の中でも最も就職率が低かったとされる2002年に正規の職についた。
同族経営の中小企業の事務職でそれほど待遇が良いわけでもなかったが、働ける場所があることが嬉しかった。
しかし、数年勤めた頃、その会社が不況のあおりを受けて倒産した。慌てて求職活動をしたが、キャリアも資格もなく、中途で採用してくれるところはなかなか見つからなかった。つなぎにと始めた販売や飲食の仕事を掛け持ちする日々が続いた。
転居もたびたび経験した。低家賃にこだわってシェアハウスにも暮らしたことがある。狭く、不衛生で、騒音に耐えられず数か月で退去した。
また、保証金不要の1Kのアパートにも住んだことがある。「ある日の夜、全然知らない人が訪ねてきて、ドンドンとドアを叩くんです。きっと間違えているんだろうけど、怖くて」と、防犯性の低い住宅に女性が一人で暮らす怖さを経験したという。
派遣会社に登録し、正社員への道を模索していたころ、地方に住まう母が要介護状態となった。
一切の家事ができない父が、低賃金で働くくらいなら地元に戻って介護をしてくれと、頭を下げてきた。母が不憫なこともあり、実家に戻り、母の介護に専念した。
介護と両立できる仕事はアルバイトしかなかった。兄や弟には、そんな要求をしなかったのに――「女性だから貧乏くじを引いたのかな」と悔しがっていた。

