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【Do My Best, Go!|二階堂蓮・男子ノルディックスキー・ジャンプ|前編】「見返してやるという反骨心」――挫折を越えて掴んだジャンパーとしての道

【Do My Best, Go!|二階堂蓮・男子ノルディックスキー・ジャンプ|前編】「見返してやるという反骨心」――挫折を越えて掴んだジャンパーとしての道

アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは、ノルディックスキー・ジャンプでミラノ・コルティナオリンピックに出場、3個のメダルを獲得した二階堂蓮さん。第一線で活躍した経緯、その土台となる食への意識、今後への思いなどを聞いた。


――ジャンプを始めたきっかけを教えてください。

 小学校2年生のとき、小さなジャンプ台を飛んだのが最初です。父はスキージャンプの元選手だったので最初は父がスタート台の後ろに立って僕の手を持ってジャンプの時は手を離して飛ぶという形でした。ジャンプは恐怖心が湧いてなかなかスタートできない子どもが多いですが、僕の場合はすんなりスタートして飛べたのを覚えています。

――ジャンプが楽しいと思ったのはいつ頃ですか?

 最初からですね。もともとアクロバティックなことがしたいヤンチャな子どもだったので、ジャンプを飛ぶのが単純に楽しかったです。特に飛んでいる最中ですね。

――小中学生の頃はどのように練習されていたのでしょうか。

 家の近くにはジャンプ台はなかったので、学校のない土日に札幌まで行って飛んでいました。それ以外の平日は学校が終わった後、家で陸トレをしていました。
 ――ジャンプ台が近くにある少年団の子どもたちと比べると、飛ぶ練習という点ではハンディがあったように思います。その中でも大会で成績を出して、成長できた理由はどのようなところにあったのでしょうか。

 父はワールドカップや世界選手権に出た選手だったことが大きかったと思います。家にいるときも父からジャンプのための動き方や筋肉をどこにつければよいか、必要なトレーニングの方法などを教わっていました。そこは他の子と違うところだったと思います。


――高校は数多くの選手を輩出した下川商業高校に進みます。どのような3年間だったでしょうか。

 競技人生でターニングポイントになった時期でしたね。高校に入ってから、世界ジュニア選手権などには出場することはできましたが、自分の中では納得のいく結果を出せていなかった、むしろ悩んでいた時期が長かったです。

 卒業したら企業に所属して競技をすることも目標にしていましたが、高校3年生のときに企業から声はかかりませんでした。本当に悔しくて、最初はジャンプをやめようと思いました。でもいろいろな人からの説得があって、大学に進学して競技を続けようと決めました。そこで心に火がついて、「見返してやる」という反骨心で取り組みました。その成果が高校3年の冬になってから出始め、成績もよくなっていきました。――高校を卒業後、東海大学に進学しましたが、1年生で中退されています。

 そうですね、大学にはジャンプをやるために進学をしましたが、大学生活も楽しみにしていた部分はありました。でもコロナ禍の時期だったこともあって学校には行けずに授業は全部オンラインで、思い描いていたキャンパスライフとは違う形になってしまいました。それもあってジャンプに専念しよう、集中しようと大学をやめる決断をしました。

――第一線でジャンプに打ち込むとなると競技にかかる資金も大きいと思います。スポンサーがいなかった時期にはアルバイトもしながら競技をしていたそうですね。

 金銭面であまり親に迷惑をかけたくないという思いもあったのでバイトをしながら競技を続けていましたが、全部自分でやらないといけないというのは今まで経験したことがないことでしたし、自分の力でお金を稼ぐ大変さを身にしみて感じる機会になりました。
 ――2022年の北京オリンピックには出られませんでしたが、オリンピックをどう意識していたのでしょうか。

 もちろん出場を目指して取り組んでいましたし、自分でも行けるという自信はありました。ただ、代表に選ばれるためにはワールドカップで結果を残さなければいけなかった。そのチャンスをつかむためにコンチネンタルカップを転戦していましたが、なかなかうまくいかず……あと一歩というところでした。北京オリンピックは実家のテレビで観ていましたが、「このメンバーと一緒に戦いたかった」という思いは強かったですね。

――北京オリンピックのあった翌シーズンにあたる2022-2023シーズン、待望のスポンサーとして、日本ビールさんとの所属契約が決まりました。どのような経緯だったのでしょうか。

 日本ビールの社長が「スキー部を作りたい」と考えていたとき、札幌のスキー連盟に社長と同期の方がいらっしゃって、僕のことを紹介してくださいました。それがきっかけで所属することが決まりました。

 スポンサーのお話をいただいてすごく嬉しかったですし、もし、この先も所属先が決まらなかったら辞めようかなと考えていた時期だったので、ほっとしました。それからずっとサポートをいただいていて、何不自由なく競技やらせていただいているので、日本ビールには感謝しかないです。
配信元: THE DIGEST

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