「今は我慢して働き、後で幸せになればいい」そんなふうに考えて生きている人も少なくないだろう。だが、もっと別の価値観で働き、幸せに暮らす人もいる。結婚10周年で再訪したプラハで出会った小さなカフェの店主、そして若い頃に感じた「稼いでいるのに幸せではない」という違和感を通して見えてきたのは、「お金」と「幸福」の意外な関係だった。
『どん底から最高の人生に変わる「古典」の知恵』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全3回のうち1回目〉
堪忍袋の緒が切れそうになるカフェ
結婚10周年を祝い、新婚旅行で行ったプラハをふたたび妻と訪れた。私たちが泊まったホテルの近くには、接客方法がすごく印象的だった思い出のカフェがある。
マスターが一人で経営するその小さなカフェはコーヒーが美味しく、いつも行列ができている。その列を見た私は、同じ飲食業を営む立場から「もう少し注文を早く受けて回転率を上げれば、ずっと収益が上がるのに……」と思ったものだ。
ところが彼はそうしない。お客さん一人ひとりにコーヒーについて詳しく説明をする。コーヒーの木が生育する地域の環境がどうだとか、そのコーヒーが世界大会で何等を取ったとか、どのような味がするのかなどなど。コーヒーを淹れる間どころか、コーヒーを淹れ終わってもまだまだ話は続く。
不思議なのは、待っている人たちも当然のようにその会話を聞きながら微笑んでいるという点だ。私だけがヤキモキして「なんでテキパキ注文を受けないで話し込んでるんだ?」とイライラしていた。会計も韓国より3倍くらいは時間がかかっていた。クレジットカードを受け渡しし、レシートを確認する。現金の場合はお釣りを渡す。どれもかなりスローテンポに見える。もはや堪忍袋の緒が切れそうだ。
やっと終わりかと思いきや、マスターはそのお客さんがドアの向こうに姿を消すまでずっと挨拶を交わしている。「いい1日を過ごしてください」「明日また会いましょう」「明日は1時間遅く開店します」などと言いながら。そのお客さんが完全に見えなくなると、ある程度片付けをしてから次のお客さんの注文を受ける。待っている人も催促などしない。一人たりとも。
この余裕はいったいどこから出てくるのだろうか。ポータルサイトで「チェコ」をキーワード検索してみた。国家別GDP47位(韓国13位)、一人当たりGDP37位(韓国29位)。韓国のほうがずっと上だ。このような状況下にあって、どうしてもっと効率よく稼ごうと努力しないのだろうか? どうして回転率を上げずに、お客さんとの会話を長く楽しむほうを優先するのだろうか?
幸せでいることの秘訣は「素朴」にあった
こんな私の考えを一網打尽にするようなことが『プルタルコス英雄伝』に書かれていた。簡単に言うと、こんな感じだ。「スパルタ人らの人生が平穏だったのは、望みが素朴だったから」
まさにこれだ。「望みが素朴だったから」だ。
私がチェコの人々にもどかしさを感じたのは、私も知らないうちに「効率よく稼ぐことがいい」という考えに染まってしまっていたためである。
ここでの「素朴」は、単純とか小さいという意味ではない。諦めて放棄したという意味でもない。現実を正確に把握し、その中で最大限自分の幸福な人生を楽しむということだ。
あのカフェのマスターはお金を稼ぐことではなく、1日を誠実に、幸せに生きることを大切にしていた。自分の仕事を愛し、自分が淹れたコーヒーに誇りを持ちながら、お客さんたちと交わる時間そのものを享受していたのだ。
私たちは普通、「働いて稼いだお金で、後々、幸せな時間を過ごそう」と考える。ところがそうはいかないのだ。後になっても幸せな時間は訪れない。今まさに幸せでいないといけない。
「今まさに幸せになるために仕事を辞めて散財すべきだということですか?」と訊く人がいるかもしれない。無論そうではない。仕事で幸福を見つけてこそ、今を幸せに生きることができる。私たちのほとんどは仕事をして生きているからだ。考え方さえ変えれば、仕事をしながらいくらでも幸せになれる。

