「守口市駅の外れに“時代のトップ”が降臨してるのなんでやねん!?」というテーマに挑んだ、A.B.C-Zの塚田僚一と、ABCテレビ福井治人アナウンサー。
大阪・守口市に隠された、スケールの大きさ“トップ級”の歴史ミステリーが展開された。
【TVer】塚ちゃん、とうとうNDY降板宣言!?「今までありがとうございました!」
京阪・守口市駅から高架下沿いの道を10分ほど歩いたところにある、“時代のトップ”が降臨した足跡。それは、ひっそりと佇む「大正天皇御下車跡」の記念碑だ。
そこで、大正天皇がこの地に来られた理由を調べるため近隣を大捜索することにしたふたり。訪れたのは、約500年の歴史をもつ「難宗寺(なんしゅうじ)」だ。
難宗寺の門前には明治天皇の石碑が。歴史探訪プランナーの森なおみさんによると、実は明治天皇は明治時代になる前にこのお寺に宿泊されたんだそう。「大正天皇は、父親である明治天皇の当時の苦労を偲んで同じ場所に泊まられた」という。最初に二人が見た高架下の『大正天皇御下車跡』の石碑は、明治43年に大正天皇が父親である明治天皇の当時の苦労を偲んでこの地を訪れた際、開通したばかりであった京阪電鉄の専用貴賓列車に乗車、特別に作られた臨時駅となったあの場所で下車されたため、記念碑が建てられたのだった 。
しかし、本当の謎はここからだ。
「そもそもなぜ明治天皇はこの守口に泊まられたのか?」 という100点満点への問いが、ふたりに立ちはだかる。
森さんから「周辺の京街道を歩けばピンとくるはず」とヒントをもらったふたりは、豊臣秀吉が築いた淀川の堤防跡「文禄堤(ぶんろくつつみ)」や、かつての掟が書かれた「高札場」を発見する。
これらの事実とこれまでの経験から「川の水害」に関連がある!と直感した塚田は、
「水・川が関係なかったらNDYおります(降板します)!」と、並々ならぬ熱量で宣言!
「昔から度重なる水害に苦しんでいた淀川周辺の住民を励まし、エールを送るために明治天皇が来られたに違いない」
という、自らの進退を賭けた決死の最終予想を森さんにぶつけたが……。
1点も得ることができなかった。
「今までありがとうございました!」と崩れ落ちる塚田を連れ、森さんが案内したのは、ふたりが調査した方向とは正反対の京街道だ。
そこに残されていた石碑を読み解くと、衝撃の事実が判明する———。
実は、明治になる直前、新政府の大久保利通は、人心を一新するため「大阪遷都」を密かに進めていたというのだ。
そこで、京都の公卿たちの猛反対を押し切るため「天皇が移動した、という既成事実を作ろう」と、三種の神器のひとつ「八咫鏡(やたのかがみ)」を携えて、明治天皇は京都御所を出発し、大阪へと巡幸することとなった。
ただ、目的地である北御堂(本町)へは1日で移動しきれなかったため、大阪に入って最初の宿場町だった「守口宿」の難宗寺で宿泊することに。翌日には、近くの盛泉寺に八咫鏡を安置する「内侍所(ないしどころ)」が設置されたという。
「天皇と三種の神器がある場所が都(首都)となる」という当時の定義により、守口はこの1日だけ、事実上の「日本の首都」になっていたのだ!
その後、江戸城が無血開城されたことで首都は東京へと決まり、「大阪遷都」は幻に。
南北朝時代から明治まで約500年間、天皇が京都を出ることは一度もなかった。その歴史の重い扉が開いた記念すべき第一夜が、この守口だったのだ。
日本の歴史がひっくり返るような“幻”の大ロマンが明かされた今回。
塚田の降板宣言も“まぼろし”に!?
この調査の模様は、情報番組『newsおかえり』(毎週月曜~金曜午後3時40分、ABCテレビ)内の「福井✕塚田のなんでやねん!?」5月26日放送回で紹介された。

