
私たちの体は、ざっと37兆個の細胞でできています。
その一つひとつが、自分だけの設計図であるDNAを、「核」という名の金庫に大事にしまい込んでいます。
この設計図は、その細胞だけの私有財産であり、おとなりの細胞と気軽に貸し借りするものではないと考えられていました。
ところがアメリカのテキサス大学(UT)で行われた研究により、ヒトの細胞どうしが「DNAの大きな塊」を、直接受け渡していることを明らかにしたのです。
しかも渡されたDNAは、ただのお荷物ではありませんでした。
受け取った細胞のなかできちんと働き、新しい性質を与え、分裂した先の子孫細胞にまで受け継がれるた様子まで確認されました。
核内に収められたDNAは、いったい何のために隣の細胞に渡っていたのでしょうか?
研究の詳細は、2026年5月19日に『Cell』にて発表されました。
目次
- 核の中のDNAが隣に脱走していた
- 核から脱走したDNAが隣の細胞に薬剤耐性を授けていた
- 細胞は「やりたくてやっている」わけではない
核の中のDNAが隣に脱走していた

これまでの生物学では、ヒトの細胞はそれぞれが自分のゲノムを抱えたまま、おとなりとは基本的に無関係に暮らしていく、と考えられてきました。
がんもそうです。
ある一つの細胞のなかで変異がコツコツ積み上がっていく──そんな”個人プレー”の物語でした。
もちろん、細胞どうしが何かをやり取りすること自体は、前から知られています。
ミトコンドリアのような小さな部品や、RNA、タンパク質。
そうした荷物は行き来しています。
けれど「核の金庫に大事にしまわれた、大きなDNAの塊」となると、話しは別です。
なにせ設計図の原本です。
この大きなDNAが、細胞から細胞へ直接渡るという証拠は、ヒトを含む哺乳類ではほとんどありませんでした。
ところが今回、研究チームは、その”原本の受け渡し”が起きている現場を、顕微鏡でばっちり捉えてしまったのです。
では、DNAはどうやって隣の細胞へ渡るのでしょうか。
話は、細胞分裂のちょっとした”しくじり”から始まります。
細胞が分裂するとき、本来なら染色体はきれいに2等分されて、2つの娘細胞へ振り分けられます。
ところがときどき、この仕分けでミスが起きてしまいます。
すると、はぐれた染色体やそのかけらが、メインの核に入りそびれ、細胞質のなかにぽつんと取り残されてしまうのです。
取り残されたDNAは、やがて自分だけの小さな膜に包まれて、ミニチュアの核のような姿になります。
これが「小核」です。
金庫の中身の一部がちぎれて、部屋の片隅に”ミニ金庫”として転がっている──そんな状態だと思ってください。(※専門的にはマイクロニュークレウス(micronucleus)と呼ばれ、染色体の分配エラーの指標として、以前から知られています)
問題は、このはぐれたミニ金庫が、ときどき隣の部屋まで旅をしてしまうことでした。
細胞と細胞が触れ合い、また離れるとき、両者のあいだに細い管のような橋がかかることがあります。
細胞の骨組み──微小管やアクチン──でできた極細の連絡通路で、「ナノチューブ」と呼ばれるものです。
ナノチューブ自体は、ミトコンドリアなどの荷物を運ぶ通路として以前から知られていました。
じつはナノチューブは、2004年にラット由来の培養細胞で初めて報告された、比較的新しい発見です。
しかも一部のがん細胞は、このトンネルを使って、隣の細胞からエネルギー工場であるミトコンドリア(細胞の発電所のような器官)を”奪い取る”ことすら知られています。
けれど研究チームが顕微鏡で目の当たりにしたのは、金庫からこぼれたDNAの大きな断片が、この管のなかをじわじわと通り抜けて、隣の細胞へ届いていく光景でした。

研究チームは、この受け渡しがどれくらい広い現象なのかも確かめました。
分裂を邪魔する薬を使ったり、放射線を当てたり、ゲノム編集ツールのCRISPR-Cas9で染色体をわざと切ったり──手を替え品を替え、ゲノムを不安定にしてみたのです。
すると、どのやり方であっても、DNAの細胞間移動は起きやすくなりました。
さらに大事なのは、これが特殊な細胞だけの話ではなかったことです。
今回の実験では、がん細胞でも、がんではないヒトの細胞でも、別々の組織に由来する細胞どうしでも、さらにiPS細胞でも、同じタイプの受け渡しが観察されました。
どうやらこれは、ヒトの細胞にかなり広く備わった性質かもしれません。
核から脱走したDNAが隣の細胞に薬剤耐性を授けていた

渡されたDNAは、新しい家のなかで、ただのお荷物なのでしょうか。
それとも、きちんと仕事をするのでしょうか。
直感的には、よそから来た断片など、受け取った細胞が使いこなせるはずがないように思えます。
しかし研究チームが追跡を続けたところ、話はまるで違いました。
受け取られたDNAは、細胞質から核へと入り込みます。
さらに時間がたつと、もとはよそ者だったはずのDNAに、受け取った細胞自身のタンパク質(ヒストン)が巻きつき始めます。
新入りが、すっかり”うちの子”として扱われるようになったのです。
こうして、何度分裂を繰り返しても、そのDNAは消えずに残り続けました。
では、そのDNAは、実際に”使える”性質まで運べるのでしょうか。
これを確かめるために、研究チームは少しだけ意地悪な実験を組みました。
まず、提供側の細胞のY染色体に、細胞にとって毒性がある薬(G418)への耐性遺伝子をあらかじめ仕込んでおきます。
一方、受け取り側の細胞には、その耐性をいっさい持たせません。
つまり、この薬を振りかければ、受け取り側はバタバタと死んでいくはずです。
この状態で提供側のY染色体をわざと小核へ追い出し、両者を一緒に育ててから、薬を加えました。
結果、死ぬはずの受け取り側細胞のなかから、薬に負けずに生き延びる集団が現れたのです。
その数は、何も操作しなかった場合とくらべて最大で55倍。
隣の席からそっと答案を回してもらった”カンニング”が、みごとに成功したわけです。
生き延びた細胞を調べると、提供側由来の耐性遺伝子は、染色体には組み込まれず、独立した小さなDNA(ecDNA)としてひっそりと保たれていました。
じつはこのecDNA(染色体外DNA)は、さまざまながんで見つかる”おなじみの悪役”で、がんを悪化させる遺伝子を異常に増やし、薬を効きにくくすることが、以前から世界中で盛んに研究されてきました。
ですが今回の研究では、このecDNAが細胞内で自作されただけでなく、隣の細胞から受け取ったDNAとしても住みつきうることが示されたのです。
「2つの細胞が丸ごと合体しただけでは?」という当然の疑いにも、研究チームはきっちり答えを出しています。
もし細胞が融合したのなら、両方の染色体をすべて抱えた細胞になるはずです。
ところが、耐性を得た細胞では、染色体の数はもとの受け取り側とほぼ同じで、そこにちょこんと耐性遺伝子のかけらだけが加わっていました。
丸ごとの合体ではなく、あくまで”一部のDNAだけが渡った”結果だと考えられます。
これらの結果は「DNAは確かにおとなりへ渡る」「渡ったDNAはきちんと働く」「子孫にまで受け継がれる」「細胞の合体ではない」ということをかなり明確に示しています。

