
2年前に息子の翔を亡くした建築家の甲本音々と工務店の二代目社長・健介。夫婦は、息子の姿をしたヒューマノイドを家族に迎え入れる。綾瀬はるかが妻の音々を演じ、千鳥の大悟が夫の健介に扮する。ヒューマノイド翔役には、200名以上のオーディションから抜擢され、これが映画初出演となる桒木里夢。
是枝監督は先ごろフランスで行われた第79回カンヌ国際映画祭では、自身8度目となるコンペティション部門に参加。同様にコンペ部門に作品を出品していた濱口竜介監督(『急に具合が悪くなる』)、深田晃司監督(『ナギダイアリー』)、そして「ある視点部門」に出品していた岨手由貴子監督(『全て真夜中の恋人たち』)の4人でのランチの直後に、新作の起点から日本の映画製作に対する想いまで、インタビューに答えてくれた。
※本記事は、『箱の中の羊』のネタバレ(ストーリーの核心に触れる記述)に該当する要素を含みます。未見の方はご注意ください。
■「映画を作っていくうちに僕が『これは親離れ、子離れの話だな』と気づいた」
――映画を観て、実は驚きました。AIやヒューマノイドを扱っていながらも、とてもポジティブな映画だと思いました。是枝監督のいままでの作品とは少し異なり、問題提起や憤りより、未来に対する明るい鑑賞後感がありました。どんな感情でこの映画を作り始められたんですか?
是枝裕和(以下、是枝)「中国で“死者の蘇り”のビジネスが人気になっていることを知って、『あ、もうそういう時代に差し掛かっているんだな』と思ったことと、同時期に、美空ひばりさんのホログラムに新曲を歌わせた、あれに感じた違和感みたいなもの、その二つが自分の中にありました。いわゆる“不気味の谷”(人間に似せて作られたロボットなどに対する不快感や恐れ)ですね。ただ、これが実現したら、僕は『(亡くなった)父親にもう一言、言いたい』という感情があったので、ちょっとだけ使っちゃうかな、みたいなそういう気持ちもありました。両方あるというのはいいことだな、と思って脚本を書き始めたんです」

――映画をポジティブに受け止めたとすると、「使っちゃうかな」のほうが強く出たということでしょうか。
是枝「もしもポジティブに感じてもらえたとすると、映画を作っていくうちに僕が『これは親離れ、子離れの話だな』と気づいたからでしょうか。子どもが親の価値観や能力を超えて別の価値体系を作り、独自の世界を持つ物語になっていたんです。そこを重ねて、死者を見送る話と、子の巣立ちを見送る話を重ねていこうと思って。多分その辺のニュアンスを汲み取ってもらえたんじゃないかな」
――坂東祐大さんの音楽も、近藤龍人さんが撮られる映像も、そしてラストのあの森はすごく前向きに受け取りました。
是枝「あの森は前向きにしたかったんです。だから、曇ったらアウトだなと思って、とにかく晴れの日を狙って撮影しました」
――ただ、ハッピーエンドかというと…。
是枝「『あの森でみんなで仲良く暮らしました』だと、おとぎ話としては完結するんだけど。あの森では大人二人は暮らせない。だから戻ってくる、別れを告げるっていう話にしたつもりです。あそこからまた夫婦の人生が始まるからね。2本の木と一緒に」

――それが、「そして母になる」のか、「そして夫婦になる」のか…。この映画のストーリーを聞いた時『空気人形』を思われる方もいらしたようです。でも、どちらかというと『海街diary』(15)とか『歩いても 歩いても』(08)のように、目には見えないけれど、亡くなった方も確かに存在している物語が、今度は「見える存在」「触れられる存在」として、そこに現れる物語と感じました。
是枝「結局、いなくなった後にようやく見えてくるってことかなと思って。中国の死者蘇りビジネスでは、例えば亡くなったお母さんの簡単な音声と画像データを渡すとすぐに映像が出てきて、普通に喋って新しい会話を積み重ねていける。これが実体を伴って戻ってくるまでビジネスを展開したいと言っていました。この映像が本人に似ていれば似ているほど、多分気持ち悪いでしょう。“不気味の谷”を超えないっていう。逆に、本人とヒューマノイドとの差異が気になってくるのは間違いない。
(亡くなった息子に)触れられて、目に見えて、電車の駅名全部言えた時にハイタッチをした時に生じる、ある種の違和感みたいなもの。それを、夫婦がどうしたら息子を弔うグリーフワーク(悲嘆の作業)に戻れるかと考えた時に、もう一度見えないものとして返してあげることじゃないかと。息子が『いるけどいない』から、『いないけどいる』に変えていく作業を、彼らは始めたんだと思います。

おそらく、あの夫婦は『もう一言、言いたかった』みたいなことを抱えていて、(ヒューマノイド相手に)言えたり、謝れたりする。でも、戻ってきたのにまた同じ過ちを繰り返してしまうこともあるでしょう。自分たちが知っている息子ではない存在になっていき、なおかつ二人との時間を経たうえで、(息子が)別の建築家になって自分の家を建てるところまで行けると、三者三様の“建築家”の話になるなと思ったんです」
■「AIと人間をかろうじて分かつものが“想像力”ではないかと思います」
――なるほど。近未来というと、どれくらいの未来の設定でしょうか?
是枝「いまから10年後。というのは、先ほどの中国の開発者が、10年後に実態を伴うところまで実現したいって言っていたからです。そこを設定にはしたんだけど、日本に戻ってからいろいろと専門家の話を聞いてみたら、『生成AIは多分5年でここまで行くでしょう』と。『でもロボット工学はそこには行かない』というのが、僕が聞いた限りの実感でした。というのは、いまのロボット工学はこの方向性を目指してないから。ロボットを人型にしていくことにかけられるお金や技術は、別へ向けたほうがいいらしい。だからそこはフィクションで行くしかないなと思って、10年後ぐらいの設定にしました。いまの家電の、冷蔵庫が喋る、パソコンが話しかけてくる、その延長線上でのヒューマノイドです」

――海外より日本のほうが、家電が喋る技術は進んでいる気がします。
是枝「機械が擬人化されているのは、圧倒的に日本が進んでいて、身近なものとしてありますよね。だけど、海外の人たちにとっては脅威みたいです。機械に人間的なものを求めるのは、違和感がある。人間がAIに支配されるディストピアみたいなものをみんな見慣れてしまっているし、むしろそのほうがイメージとして近いかもしれないけど、僕にとってそれがリアリティがあるかっていうと、そうでもないんですよ」
――むしろ共存していくほうがリアリティがありますか?
是枝「共存というか、AIにとって、人間なんて多分どうでもよくなるんじゃない。だから人間の社会から離脱するイメージだったんです。こんな面倒くさくてわけわかんない集団と一緒にいると、どうなるか(笑)。だから「離脱して森へ行く」。それがポジティブとはそこまで考えてなかった。彼らにとってはあの森が人間と暮らすより幸せなわけだけど…」

――作品のタイトルは「星の王子さま」からの引用ですが、このタイトルに込められた想いは?
是枝「いまのところ、AIと人間をかろうじて分かつものが“想像力”ではないかと思います。でも、その想像力の部分をどんどん人間が切り売りして、失ってきている。ヒューマノイドとして戻ってきた翔くんが、寝る前にいつも読み聞かせてもらっていた絵本を読んでもらった時に、『箱の中になにかがいる』という想像ができないっていうのがいいなと思って。まずあのエピソードを書いて、スノードームから王子を解放するというのも一つの“箱”だから、そういう縦軸を考えていった時に、『あ、タイトルになるな』と思ったんです」
――是枝監督は映画を作る時に、プロデューサー的な視点も持たれている気がいつもしているんですけど。
是枝「それほどでもない(笑)」
――映画が観客に届くところまで考えて映画を作られている、そういう監督はあまり多くないような。
是枝「日本なんかは特に、監督は現場が終わったら『あとはよろしくね』という美学がまだあるじゃないかと思います。でも僕は、『空気人形』まではポスターデザインまで自分でアーティストを選んで、製作委員会の会議にも出ていました。会議に参加しないとコントロールできないから。でもある時期から、規模が大きくなっていくにつれて、自分の趣味のなかでマーケティングや広告を収めていくと、公開規模と見合わなくなってしまう。そこからはお任せしています。
でも、さっき深田(晃司)くんに言われたんだけど、『今回の『箱の中の羊』は子どもたちに見せられるフェアリーテール(おとぎ話)ですよね』って。『あ、そうそう、そうなのよ』と思いました。映画に出てくる子どもたちや、中学生ぐらいの子たちが観てもわかる言葉しか使ってないから。その子たちも含めて、映画を観に来てくれるといいなというのは、漠然と考えていましたね」

――以前のインタビューで、映画を作る際に、特定の1人に向けて作るとおっしゃっていました。今回もその1人はいますか?
是枝「(長い沈黙)…ありますね。これね…とある作品の登場人物に向けて作りました。というのは、その登場人物たちの姿が頭にあったんですよね。別に彼らのその後を描こうとかそういうことじゃないんだけど、彼らの、あの状況に置かれている登場人物の別の人生を考えた時に、どういう着地が、展開があり得るだろうか。そういう思いはどこかにあったんじゃないかな。いま、この質問をされて気づいたことだけれど」
■「同じものを同じように作ろうと思っても作れないから、基本的には全部一回限り」
――是枝監督に対する世界や世間の評価が固まってしまったと感じることはありますか?「ファミリードラマの作家」とか。
是枝「それはあるかもしれないけど、ま、それでいいんじゃないの。それと違うものも作るつもりだけど、“是枝といえばこういう作品”と思ってもらえるものがあるっていうのは、すごく贅沢なことだと思います」

――ここ数年海外で作品を撮られたり、挑戦されたりしています。それは固まってしまった“是枝評”に対するチャレンジなのかなと。
是枝「結局、僕が撮っているのはファミリードラマですけどね(笑)。評価にチャレンジというよりは、自分にちょっと飽きていた。自分じゃないものと接することで、いろいろなものを吸収しようと思ったのは間違いないです。だからフランス映画だったり、『阿修羅のごとく』で向田邦子の脚本をリメイクしてみたり、『怪物』で坂元裕二さんと組むとか、自分とは異なる核を持っている人との勝負をするわけです。それはとても楽しかったし、それを経て、もう少し自分が書くものが新鮮に感じられるようになるといいなと思いながら、いま、戻ってきてオリジナル脚本を書いているわけですけど。きっと、その繰り返しですね。自分のこと、そんなに好きじゃないんですよ(笑)」
――そうなんですか!
是枝「自分のことがそんなに好きじゃない。同じものを同じように作ろうと思っても作れないから、基本的には全部一回限りです。ただ、時々そういうスクラップ・アンド・ビルドをやりたくなる。一度積み上げたものをちょっとゼロにして。カメラマンの山崎(裕)さんとずっとやってきて、一旦山崎さんとのタッグを離れて、別のカメラマンということで、瀧本(幹也)さんとやったりね。次はまた海外だから、もう一回チャレンジしてみて、いままでのフランスと韓国の収穫と反省を元にしてなにができるかっていうところです」
――先ほどは深田監督、濱口監督、岨手監督とお食事に行かれていたとのことですが、是枝監督は、次の世代の方に対するケアというか、育てるということをすごく意識的にされていますよね。日本映画の未来についてはどうご覧になっていますか?
是枝「若い監督がたくさん出てきてすばらしいと思います。ただもっと手厚い資金集めを日本国内でできるようにしないと…。彼らがそれを望んでいるかわからないけど、濱口さんとか、国内でちゃんとサポート体制を整えないと、フランスに取られるなっていう(笑)。プロデューサーは危機感を持たないといけないです」

――製作資金のところで言うと、映画を作るための適正予算については考えられますか?
是枝「感じてますよ。僕はそんなにお金がかかる監督じゃないなと自分では思っているんですけど。ナ・ホンジンじゃないので、30億とかかからないから(笑)。でも、製作段階で海外の公開を前提とした資金集めと製作体制が組まれているので、それはすごく恵まれていると思います。みんながそうなっているわけじゃないので。やっぱり、日本国内の興行だけを当てにして作っている映画の予算はとにかく足りないです。あれだと労働環境も守れないと思います。
僕は分福(是枝監督、西川美和監督率いる映像制作集団)の人間には口を酸っぱくして言ってるんだけど。『わかっているだろうけど、君たちは人のお金で映画を撮るんです。それを〇〇監督作品と名乗るわけだから、お金を使うだけではなくて、そこで働いているスタッフとキャストの生活を守る義務があるし、それを覚悟してちゃんと現場に立ってください』と。プレッシャーをかけるわけじゃないけど、現場に立った時になにかしでかしたら、それは分福の何々がって絶対に言われるわけだから、それも覚悟して、ちゃんと自分をコントロールしてやらないとダメですよ、と言っています。監督って大変なんですよ。簡単になれるものじゃないんです」
取材・文/平井伊都子
