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「MVPや得点王より優勝の方がずっといい」第3の男に徹し栄華を極めた“ビッグゲーム・ジェームズ”のキャリア【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

「MVPや得点王より優勝の方がずっといい」第3の男に徹し栄華を極めた“ビッグゲーム・ジェームズ”のキャリア【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

■大舞台になるほど実力を発揮する稀有な才能

 2年目には先発に定着し、ファイナルで仇敵ボストン・セルティックスと初めて対戦した。最初の3試合は好調だったウォージーだったが、第4戦の終盤、ボストンの選手と観客が一体となった野次に動揺し、大事なフリースローを外してしまう。

「汚いやり方だとは思うけど、勝つためなら何でもするというのが、セルティックスが勝ってきた理由なんだろう」

 オーバータイムでもインバウンズパスをスティールされ、この試合に敗れたレイカーズは7戦でシリーズも落とした。ウォージーにとっては苦い経験だった。

 翌1985年もファイナルでセルティックスと対戦し、第1戦で34 点差の大敗を喫する。第2戦の試合前には、ジャバーが初戦の不出来をチームメイトに謝罪する一幕があったが、この時は普段大人しいウォージーも声をあげた。

「彼は『レイカーズらしいゲームをしようじゃないか!』と言ったんだ。別に何てことない内容に聞こえるけれど、それで気づかされたんだ。いかに自分たちが、普段通りのプレーをできていなかったかということにね」(マイケル・クーパー)

 屈辱をバネとして奮い立ったレイカーズは、6戦でセルティックスを撃破。ウォージーのファイナル平均23.7点は、レギュラーシーズンの17.6点を大きく上回った。ファイナルMVPはジャバーが受賞したのだが、真に受賞すべきはウォージーの方だとの声も上がった。
  ともあれ、この大活躍をきっかけにウォージーは「舞台が大きくなればなるほど、局面が重要になればなるほど実力を発揮する」(ヘッドコーチのパット・ライリー)との評価が定着し、やがて彼は“ビッグゲーム・ジェームズ”の異名で呼ばれるようになった。

「私に言わせれば、プレーオフでは成績が良くなって当たり前なんだ。レギュラーシーズンのように移動もないし、毎試合同じ相手と当たるんだから」とウォージーは事もなげに言っていたが、それは当然などではなく、ごくわずかな選手のみに与えられた資質だった。

 1986年からは毎年オールスターに選ばれ、名実ともにスター選手の仲間入りを果たす。それでもウォージーの性格は変わらなかった。

「彼は家でもすごく静かな人。負けて帰ってきても何かに当たり散らしたりはしないわね」(アンジェラ夫人)

「世の中にはバスケットボールの試合に負けるより、ずっと不幸なことが起こっている。アフリカでは今も多くの人が飢えに苦しんでいるんだから」

 この発言のように、物事を俯瞰的に眺めることができたのも、ウォージーがどんな状況でも冷静にプレーできた理由だったかもしれない。
 ■“第3の男”ではあったが、充実したキャリアを過ごす

 1988年のファイナルは、彼のキャリアのハイライトとなった。デトロイト・ピストンズの激しいディフェンスに苦戦していたレイカーズだったが、最終第7戦でウォージーは36得点、16リバウンド、10アシスト。レギュラーシーズンでも記録したことのなかったトリプルダブルを達成し、見事に優勝とファイナルMVPの栄誉を手にした。

「私だったら、MVPはマジックに投票したよ」

 人生の絶頂にあっても、彼はどこまでも謙虚だった。

 これが“ショータイム・レイカーズ”にとって最後の輝きとなった。翌1989年のファイナルはピストンズに完敗、1991年もシカゴ・ブルズに敗れた。ウォージーもヒザを痛めて、急激に成績が低下。1994年、まだ32歳の若さで、2年1235万ドルの契約が残っていたにもかかわらず引退を決意した。

 現役時代は物静かで、メディアに口を開く機会も少なかったウォージーだったが、引退後は解説者としての道を選び、テレビや映画にも出演するなど幅広く活動した。 

 1996年にNBA史上50人の名選手に選ばれ、2003年には殿堂入りも果たし「究極の名誉」と喜んだ。
  現役時代はジャバーとマジックの陰に隠れていたウォージーだったが、不満はまったくなかった。

「レイカーズでの経験は、ほかの何物にも代えられない。確かにほかのチームにいたら、もっと得点できていただろう。でもMVPや得点王になるより、3つのチャンピオンリングを持っている方がずっといい」

 ライリーはかつて「彼以上のスモールフォワードはこれまでにもいなかったし、これからも現われないだろう」とまでウォージーを称賛していた。

 レブロンは結局マイアミ・ヒートに加入し、多くの批判もあったが在籍4年間で2度優勝。その後戻ったキャブズ、そしてレイカーズでも優勝し、ウォージーが懸念していたような負け犬呼ばわりはされなかった。

 “2代目ビッグゲーム・ジェームズ”となった彼について、ウォージーはこのように称賛している。

「彼の銅像がロサンゼルスに、そしてクリーブランドに建てられても、異論を唱える者は誰もいないだろう」

文●出野哲也
※『ダンクシュート』2011年11月号原稿に加筆・修正

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配信元: THE DIGEST

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