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「ドブネズミみたいに美しくなりたい」はなぜあんなにも刺さったのか…ブルーハーツが具現化した若者特有のわけのわからない“衝動”

「ドブネズミみたいに美しくなりたい」はなぜあんなにも刺さったのか…ブルーハーツが具現化した若者特有のわけのわからない“衝動”

1987年、ラジオから突然流れてきた「リンダ リンダ」は、それまで聴いてきたどんな音楽とも違っていた。たった一発で心に届き、他の音楽が全部チンタラ聴こえてしまうほどの衝撃だったと作家の樋口毅宏氏は回想する。あの時代にしか生まれ得なかったブルーハーツの核心とはなんだったのか。

 

“サブカルの語り部”が忖度ぬきで書き尽くした『なぜ本を読むのか、なぜ映画を観るのか、なぜ音楽を聴くのか ――100年後、カルチャーの参考資料になる本』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全3回のうち3回目〉

全12曲、たったの33分53秒の衝撃

ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから

つけっ放しのラジオからいきなりその歌は流れてきた。いや、がなり立てていた。ブルーハーツの「リンダ リンダ」だった。呼吸が止まるかと思った。1987年、15歳の僕はそれまでそんな風に「一発で届く歌」を聴いたことがなかった。

コンサートに行ったときもらうフライヤーに彼らが写っていたことを思い出す。場所が豊島公会堂とあって屁をこいた。あんなとこでやるの⁈ 池袋住民ならわかるが豊島公会堂はライブをやるような会場ではない。古ぼけているし椅子もギーギーうるさい。小学2年生のとき、雑司谷小学校代表で「かさこ地蔵」のお爺さん役としてここの舞台に上がったことがある僕が言うのだから間違いない。

すぐにブルーハーツのアルバムを買った。水色と白の地に、シンプルに大文字でTHE BLUE HEARTSのジャケット。メルダックという知らないレーベルだった。

「吐き気がするだろ みんな嫌いだろ まじめに考えた まじめに考えた 僕 パンク・ロックが好きだ 中途ハンパな気持ちじゃなくて 本当に心から好きなんだ 僕 パンク・ロックが好きだ」(パンク・ロック)

全12曲、たったの33分53秒。息急き切って駆け抜けていく。音楽がダイレクトに心まで届く。ブルーハーツにずぶずぶとハマるまで時間は掛からなかった。それまで大好きだった他の音楽がチンタラ聴こえるようになってしまった。

半年後に「キスしてほしい」収録のセカンドアルバム『YOUNG AND PRETTY』リリース。これまた大傑作。オリコンチャート10位。同じ年の末、「夜のヒットスタジオ」の特番にブルーハーツが出た。

井上陽水と安全地帯と中森明菜による「飾りじゃないのよ涙は」の豪華競演、大御所吉田拓郎、HOUND DOG、バービーボーイズ、RED WARRIORSなど、この後のバンドブームを予感させるラインナップが揃う。

そこにブルーハーツが抜擢された。革ジャン・袖なしTシャツ・汚いジーンズ、場違いなチンピラ4人!(いや、RED WARRIORSも入れたら8人だ)同局の横澤彪プロデューサーが絶賛した伝説の回で、司会の古舘伊知郎と甲本ヒロトの掛け合いに爆笑した。

古舘「武道館のチケットがソールドアウト!」

ヒロト「カッコつけて言ったけどほんとのこと言います。あと千枚ぐらいあるから」

古舘「インディーズからいきなり夜ヒット出てどう?」

ヒロト「インド人のことはあんまりわかんないです(真顔)」

古舘「故郷(くに)の肉親の人たちに」

ヒロト「ニューヨークの父と母たちに。頼むよ衛星放送」

バカ負け。出演者全員爆笑。しかしいざ曲が始まるとさっきまで飄々とナメた受け答えをしていたヒロトが小刻みに全身を震わせたり、何度もジャンプしたり、カメラを睨め付けたりと、一挙手一投足に目を奪われた。

ヒロトは天然の天才ではなく試行錯誤の努力型

88年2月12日。武道館、1階席の前から5列目に僕はいた。開演前にアリーナには着ぐるみ数体が客席の間を歩き回っていた。「まさかあの中にヒロトやマーシーが?」と邪推した。もちろん違った。

ライブはずっと踊りまくり歌いまくり汗びっしょり。爆発的な熱。この1年半前にBOØWYが初の武道館で氷室京介の名言「ライブハウス武道館へようこそ」があったが、真に体現化したのはブルーハーツではなかったか。

特筆したいのはこの夜、「チェルノブイリ」が演奏されたことだ(現代ではチョルノービリと呼ぶ)。原発事故があったのはこの2年前。

まあるい地球は誰のもの? 砕けちる波は誰のもの? 吹きつける風は誰のもの? 美しい朝は誰のもの? チェルノブイリには チェルノブイリには チェルノブイリには行きたくねぇ

作詞作曲を担当したマーシーはどんな思いで書いたのだろう。それにしても意味を取り違えるバカがいそうで怖い。

そして翌88年、「TRAIN-TRAIN」がTBSのドラマに起用され、お茶の間ブレイクを果たす。まさに一目散に階段を駆け上がっていった。

しかし僕はこの頃にはもう飽きていた。パンク発祥の地イギリスでもピストルズがアルバム1枚で解散したように、パンクは瞬間芸に近いものがある。アメリカでもっとも評価されているイギリスのパンクバンドはクラッシュだが、一本調子にならないよう、途中からレゲエやダブを導入した彼らでさえアルバム6枚で解散している。

ブルーハーツも徐々に失速は隠せず、95年に解散した。原因のひとつとして挙げられるのが、ベーシスト河口純之介の幸福の科学への入信だ。

余談だがヒロトの出身校、岡山大学教育学部附属中学校の同級生は水道橋博士とオウム真理教の中川智正死刑囚。中川はともかく、博士とヒロトはラジオで共演したことがある。

そこでヒロトは中学生のときラジオから流れるマンフレッド・マンの「ドゥ・ワー・ディディ・ディディ」を聴いて、畳を掻きむしりながら嗚咽を漏らしたと語っていた。ヒロトのロックの目覚めだ。ご存知の方も多いだろうがヒロトはブルーハーツ以前にもバンドを組んでいたが成功しなかった。

マーシーと出会ったのは21歳。つまり最初から「天才」ではなかったのだ。試行錯誤の末にブルーハーツを発明した努力型。あまりにヒロトが天然に見えるので誤解しがちだが神棚に祀ってはいけない。甲本浩人は悪戦苦闘の果てに「甲本ヒロト」を獲得したのだ。

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