数々の映画やテレビドラマ、舞台まで幅広く活躍し、その顔を見ない日はないと言っても過言ではない名優・吹越満。その主演作『鍵』が、6月12日から公開となる。
吹越演じる主人公・剣持耕三は、医師から余命半年の宣告を受け、その恐怖を忘れるため、歳の離れた妻・郁子(菅野恵)と部下・木村(小出恵介)の浮気を画策する。思惑通りにことは運ぶが、郁子への思いを捨てきれない剣持は、やがて嫉妬を募らせていき…。
原作は昭和の文豪・谷崎潤一郎の名作小説。市川崑、神代辰巳、池田敏春など、これまで数々の名匠たちが映像化してきたが、今回は令和の時代に合わせた大胆なアレンジで、夫婦の愛の行方を描く。公開を前に、撮影の舞台裏や俳優業に対する思いを聞いた。
-主演のオファーを受けたときのお気持ちはいかがでしたか。
「ぜひ主演で」とお話をいただけたことは、素直にうれしかったです。僕は現場が好きなので、主演ならそれだけ長く現場にいられますし。また、原作では主人公は高齢男性のイメージだったので、僕もそういう役をいただけるようになったんだな…という感慨深さもありました。
-余命半年と宣告された主人公の剣持は、死の恐怖を忘れるために自ら若い妻・郁子の浮気を画策したものの、やがて嫉妬心から葛藤するようになります。吹越さんのお芝居が、そんな剣持の男性としての複雑な心情をユーモラスに表現していましたね。
僕が剣持の立場だったら、さすがにああいうことはしないと思いますが、彼の考えが全く理解できないかというと、そうでもないなと。嫉妬の感情は誰にでもありますから。ただ、それを表現する方法が人それぞれというだけで。剣持が葛藤するお芝居は、いまおかしんじ監督と相談しながら作り上げていきましたが、ユーモラスな雰囲気は後から指摘されて気づいたくらいで、僕自身は意識していませんでした。でも、そうやって自然なお芝居を引き出すことが、いまおか監督の狙いだったのかもしれません。
-郁子役の菅野恵さんのはつらつとしたお芝居も魅力的でしたが、共演はいかがでしたか。
本読みのときが初対面でしたが、舞台の経験が豊富で積極的な方だったので、お芝居はとてもやりやすかったです。菅野さんのおかげで僕のお芝居が引き出される部分もあったりして、とても助けられました。
-これまでもさまざまな男女の愛を描いてきたベテラン、いまおかしんじ監督とのタッグはいかがでしたか。
いまおか監督は以前、僕が出演した『銀平町シネマブルース』(23)の脚本を書いてくださったことがあります。ただ、そのときはお話をする機会がなく、今回初めてお話をしましたが、お互いに話がしやすくて、安心して現場に臨むことができました。撮影は冬の寒い時期でスケジュール的にも大変でしたが、穏やかな人柄で何があっても動じないいまおか監督のおかげで乗り切ることができました。
-撮影は冬ということですが、クライマックスでは服を着たまま海に入る剣持を長回しで捉えたショットがあります。撮影は大変そうですね。
夕方、日が落ちる直前の短い時間を狙った上、水に濡れるため簡単にやり直しができないので、事前に砂浜で入念にリハーサルをしてから本番に臨みました。海の中にいる体で、「これくらいの深さになったら危険なので、そこから先には行かないでください」と指示を受けたりして。はたから見たら、いい大人が何をやっているのかと、おかしかったでしょうね(笑)。といっても、そういうときはみんなテンションが上がっているので、なんだかんだいって楽しかったです。終わった後もワイワイ盛り上がっていましたが、緊張が解けて急に寒さを感じたので、早く着替えればよかったと後悔しました(苦笑)。
-久しぶりの主演作を経験し、お芝居について改めて気づいたことはありますか。
今後は、今までとは違うお芝居のアプローチに挑戦していってもいいのかな、と考えるきっかけになった気がします。現場で「ああすればよかった」、「こうすればよかった」という気づきがあっても、監督が「OK」を出した後でやり直すことは難しい。だから、そういう思いは、その後の作品に生かすしかありません。もちろん、今までもその考えは変わりませんが、これからはもっと挑戦していこうかと。それはやっぱり、役と深く向き合う主演だったからこそ湧いてきた思いだったのかもしれません。
-映画の場合、何日も公演を繰り返す舞台と違って、本番は基本的に一度だけですからね。
舞台の場合、初日から二日目、三日目と少しずつ修正していくことができますが、映画はそうはいきません。ただ逆に言えば、そんなふうに一度きりの本番に向けて集中力を高めていくのが、役者にとっての映画の面白さでもあるのかなと。
-そういう吹越さんにとって、映画の魅力とはなんでしょうか。
映画は、やっぱり憧れですよね。元々お芝居を始めたのも、「映画に出たい!」と思ったことがきっかけですから。初めは、「顔はテレビでよく見るけど、名前はわからない。でも面白い」という人に興味を持ったんです。さらにテレビと違って映画の場合、“自主映画”のように個人的な作品でも成立します。だから、映画だけに出る人は“多くの人には知られていないけど、俳優として存在している”ことになるのかなと想像して。何も知らない若い頃は、そういうちょっと変わった立ち位置に憧れていたんです。でも結局、多くの人の前に出ないと仕事にならないことに、俳優になってから気づきましたが(笑)。
-そういう思いは現在も変わらないのでしょうか。
そうですね。普段、道を歩いていると一般の方から「あっ!」と驚かれることがあります。そこで「サインください!」と言われて書くと、「テレビでよく見るけど、ごめん、名前なんだっけ?」と言われたりして(笑)。でも、それがちょっとうれしかったりもするんです。まだまだ僕も捨てたもんじゃないなと思えて。
-そんな吹越さんが主演を務めた本作を、お客さんにどのように楽しんでもらいたいとお考えでしょうか。
谷崎潤一郎の『鍵』はこれまで何度も映像化されていますが、今回は時代を現代に置き換え、ポップな世界観で今の時代にフィットする物語にアレンジされています。その分、今までの谷崎潤一郎のイメージとは一味違った作品に仕上がっていると思うので、谷崎原作でこういう作品もできるんだ、という点を楽しんでいただけたらうれしいです。
(取材・文・写真/井上健一)
