かつてユダヤ人を迫害したドイツでは、ナチズムやファシズムの象徴と見なされるハーケンクロイツ旗の公共の場での使用が、現在でも法律で厳格に禁じられている。日本も1993年に日本の従軍慰安婦問題に対して「総じて強制性があった」ということを認めた上で、おわびと反省の言葉を述べ、さらに「歴史研究と歴史教育を通じて次の世代にも伝えていく」と約束した河野談話がある。そして97年からは実際に日本が犯した恥ずべき、反省すべき歴史として教科書に載った。
だが近年、「日本軍は南京大虐殺を起こしていない」などと根拠なく歴史を改ざんする発言を繰り返す政治家が増えている。
その源流は1999年に発足された中川昭一、安倍晋三を中心とした「新しい歴史教科書をつくる会」だ。「日本人としての誇り」は本来、過去を反省し続けることで持つことができるのではないだろうか? なぜこのような右派が出てきてしまったか、日本社会の構造的問題を元文部科学省の前川喜平氏と歴史学者の林博史氏が考察する。
「歴史改ざん主義」と闘うには教育を立て直す必要がある
前川 「歴史改ざん主義」の人たちと闘うのは、なかなか大変ですが、まずは教育を立て直さないといけないと思います。私自身いろいろ反省しなくてはいけないことがあります。38年間、文部省、文部科学省にいて、主に初等中等教育の担当だったわけなので。
言い訳ですけど、初等中等教育の中でも2通りの仕事があって、1つは、条件整備の仕事です。先生たちの給料の予算を取ってくるとか、施設設備の環境を整えるとか、こういう仕事、いわゆる「外的事項」と言われているのと、もう1つは学習指導要領を策定するとか教科書検定をするとか、そういう教育の中身に関わる「内的事項」と。
私は初等中等教育、つまり幼稚園から高等学校までの学校教育に関わる仕事を主にやっていたんですけど、ほとんどが外的事項です。一番大きな制度としては、義務教育の先生の給与費を国庫負担するという「義務教育費国庫負担制度」というのがあるんですけど、これが小泉改革のときに潰されそうになったんです。それで、小泉改革と闘ったのが私の仕事でしたが、「守旧派」とか「文科省は既得権益にしがみついている」などと言われました。しかし義務教育費国庫負担制度というのは、「日本国中どこでも一定の水準の教育を受けられるようにする」ためのものなので、これはなくてはならないと思っていました。
今アメリカであれだけ反科学主義的なものが広がってしまっているのは、やはり教育に問題があると思います。ああいう現象は、たとえば北欧などでは起こらないと思うんです。
アメリカというのは教育そのものが貧富の差で大きく違ってしまう。お金持ちはお金持ちだけで住んで自治体を作ったり、自分たちでお金を出し合っていい学校を作って、そこに子供たちを通わせる。貧困層は貧困層だけで集まって暮らしていて、そこの学校は、本当にまともな先生も雇えない、というふうに、貧富の差が教育の差にそのまま表れている。
そうすると本当に反科学主義的な教育が広がってしまう。キリスト教原理主義みたいな人たちもいるし、「進化論を教えるな」という人たちもいる。そういうアメリカの教育は、民主主義を支える教育として非常に問題がある。
だから、日本の教育は、貧富の差で教育の質の差が出ないようにすることが大事で、そのための制度が国庫負担制度なんです。主にそういう仕事をしていて、学習指導要領や教科書に関する仕事はしていなかったんです。しかし、私はその後局長や事務次官になったので、教育の中身にも責任を負っていたことは間違いありません。
教育の中身が、長い間、保守政治の下にあったことで、相当ゆがめられてきたのは事実です。特に歴史教育で、教科書検定などにそれが如実に表れています。
それは戦争の後、戦争に責任ある人たちを完全にパージし切れなかったところに、1つの原因がある。この本にも沖縄戦のときに、教育を受けてなかった人のほうに、自決しないで生きようとした人が多かった、という話が出てきますが、教育は本当にもろ刃の剣ですから。「天皇のためには喜んで死ね」という帝国臣民を大量に作ることもできるし、一方で、自分で考えて判断して、民主主義の担い手となれるような市民を育てることもできるのです。
現代の世界を見渡しても、ロシアとか中国とかの愛国教育は、戦前、戦中の日本の教育によく似ています。そういう教育を受けたロシアの若い人たちは「ウクライナ戦争は正しい、正義の戦争だ」と思い込んでいる人が多いでしょう。だから、教育を政治的に利用することは本当に危ないのです。
学校教育は学問に基づいていなくてはいけない。歴史教育は必ず、歴史学という学問に基づいていなくてはいけない。歴史を学ぶということは歴史学を学ぶことであって、歴史学の作法を学ぶ、歴史学の方法論を学ぶ、それが大事です。
でも戦前の日本の歴史教育は、天照大神だとか、神武天皇だとか、架空の神話から始まってしまっていた。「歴史教育は国民の物語だ」と言う国会議員が存在する余地があるということに問題があります。
学校の先生が忙しすぎて本を読まない
林 歴史教育に関して、以前は「日本では現代史の教育がきちんとされてない、現代史になる前に終わってしまう」という言い方がよくされていたんですが、その後、必ずしもそうではなくなってきました。たとえば大学入試でも、いろんな大学で意識的に現代史を入試問題で出しているケースが多くて、それなりに現代史の部分を勉強しないと受験に合格できない、という状況が生まれてきています。
ただ問題は、仮に教科書で現代史を勉強したとしても、そこで何を理解しているのかです。つまり、教科書に書かれているいろいろな項目はわかっているにしても、その歴史的背景や意味をどれだけ理解しているのか。
今、学校の先生が非常に忙しくて、本を読まなくなっていて歴史の本も読まない。そうすると、仮に教科書に載っていてそれが一応教えられているとしても、どこまで深く教えられるのか、学べるのか。時間をとって、たとえば沖縄戦とか、現代史の戦争の問題を深く教えられるのか。現代史を扱っているけれど、それを深く掘り下げて学ぶことが難しいんじゃないか。
前川 本当はそこが大事なのに。
林 ええ。だから今回の私の本でも、たとえば「日本軍の兵士がこういうひどいことをした」と書くと、「なぜその兵士の人間性を全面的に否定するのか?」「なぜ悪口しか言わないのか?」という批判が必ず出てくるんです。
でも、人というのは多様な側面があって、たとえば家庭内暴力の問題を見ると、夫が妻に対して暴力をふるうのはひどいことです。でもそういう男性は大抵、外ではすごくいい人、優しい人だとまわりに思われていたりする。だから妻が「夫がこんなひどいことをした」と言っても、なかなか信用してもらえない場合があります。
しかし人にはいろんな側面があって、ある悪いことをしたから、「その人が全面的にひどい人間だ」というわけではなくて、ある人には親切にするけれども、ある人にはすごく差別的なことをする。民族差別でもそうですが、差別をする人間が全面的にひどい人間かというと、たとえば自分の家族とか友人に対してはすごく親切であったりする。ところが、ある集団、人々に対してすごく差別をする。
つまり人はいろいろ複雑な多面性を持っていて、そういう人を「全てダメだ」と全否定したり、「全て立派な人だ」と全面的に肯定したりするのではなく、人のいい面をより育て、奨励するような組織のあり方、社会のあり方を作っていく必要があると思います。人間のひどい面ができるだけ抑えられるような組織や社会を。
この本の中でも書きましたが、日本軍兵士は軍という組織が機能しているときには本音を言えなかった。でも軍の組織が解体すると「生きたい」とか、本音を言えるようになるわけです。ですから、兵士が行った悪いことを書いても、決して「その人が悪人だ」とか、「残酷な人間だ」と言っているわけではなく、そういう、人のひどい面を増長させるような組織のあり方こそが問題だ、ということです。

