
イギリスのケンブリッジ大学(University of Cambridge)で行われた研究によって、初期の動物たちが数千万年ものあいだ多様化を止めていた原因が、「セックスをほとんどしていなかったから」である可能性が示されました。
約5億7400万年前、カンブリア爆発以前の海底に暮らしていた動物たちは、セックス(有性生殖)をほとんど行わずクローンとして増えており、さらに親と子は細い糸でつながったまま栄養を分け合い、仲間同士で競い合う必要がない世界であったと考えられています。
しかし競争がなければ、自然選択のエンジンは回りにくくなります。
こうして新しい種はほとんど生まれず、多様化は約1600万~2600万年もの間、ほぼ停滞状態に置かれていたと考えられます。
筆頭著者のエミリー・ミッチェル博士は「エディアカラ紀の生活はかなり快適でした。だからセックスをする必要も特になかったんです」と述べています。
研究内容の詳細は2026年6月9日に『Nature Ecology & Evolution』にて発表されています。
目次
- 口もない、胃もない、脳もない。でも「動物」
- セックスの必要がない楽園
- ストレスがセックスを呼び、セックスが進化を動かした
口もない、胃もない、脳もない。でも「動物」

今から約6億年前、「エディアカラ紀」と呼ばれる時代に、地球で初めて大型の「動物」が現れました。教科書でおなじみの「カンブリア爆発」――動物の種類が爆発的に増えた大イベント――の少し手前にあたる時代です。
ただし、この時代の「動物」は、私たちが想像する動物とはまるで別物でした。
たとえばフラクトフススという生き物はシダの葉っぱそっくりの姿で、海底にじっと立って生活しており、口も胃も脳もありませんでした。
それなのに大きいものは身長2メートルにまで育ちます。
海水に溶けた栄養を体の表面からじわじわ吸い取るだけで生きていたと考えられています。
海藻と見間違えそうな暮らしぶりですが、それだけではありません。
彼らにはもう一つ、奇妙な特徴がありました。
イチゴを育てたことがある方なら、あの植物が地面につるを伸ばして、その先に小さな新しい株を作って増えていく光景をご存じでしょう。
最古の動物たちも、まさにこのイチゴと同じ方法で増えていたのです。
親から細い糸が伸び、その先にクローンの子ができる。子は親とつながったまま、栄養を分け合って生きていました。
しかしそんな「穏やかでヘンテコな動物」に満ちたエディアカラ紀には、古生物学者を悩ませてきた別の問題がありました。
エディアカラ紀に登場した大きな動物たちは、そこから約1600万~2600万年ものあいだ、種の数がほとんど増えなかったのです。
化石の記録からも、ほぼ同じ顔ぶれが長期間にわたり、大した変化もなく存在し続けたことが知られています。
他の地質時代ならばこの間に「恐竜が滅び、巨鳥が現れ、哺乳類の時代が来る」という激変がありますが、この時代はそういう劇的な変化がみられなかったのです。
しかし、ある時を境に突然、種の数が跳ね上がります。
有名なカンブリア爆発が到来したからではありません。
そうなる前のエディアカラ紀の末期に、奇妙な動物たちのバリエーションが一気に増えたのです。
この「長い停滞→突然の爆発」という落差が、古生物学者たちをずっと悩ませてきた謎でした。
そこでミッチェル博士とアンドレア・マニカ教授は、これまで誰も正面から取り組んでこなかった切り口でこの謎に挑みました。
着目したのは、最初の動物たちの「子作りの方法」でした。化石の並び方を細かく調べれば、その動物がどうやって増えていたかが読み取れるのです。
セックスの必要がない楽園

答えを探るため、研究チームがまず調べたのは化石の「並び方」でした。
研究チームは、カナダとイギリスの二大化石産地で記録された化石の位置データを、空間解析と、AI技術を使ったシミュレーションで分析しました。
すると、多くの集団で、化石が丸く近いかたまりとして分布していることがわかりました。
もし水流に乗って遠くへ飛ばされるなら、流れに沿って細長く並ぶはずです。
円形に集まっているということは、イチゴと同じ方法で、親のすぐそばにクローンとして増えていた手がかりです。
そして肝心なのは、この増え方では仲間同士の奪い合いがほとんど起きていなかったことです。
研究チームが21の集団を調べたところ、同じ種の中で資源をめぐる競争の痕跡が見つかったのは、わずか10集団でした。
半分以上の集団では、同種同士が争った形跡すら検出されなかったのです。
しかも、化石の「並び方がどれだけ丸いか」を見るだけで、その競争がどれだけ弱まっていたかの半分以上を説明できました。
「つながって増える」という繁殖方法と「争いの少なさ」が、くっきりと結びついていたわけです。
理由はシンプルです。
つながった仲間は栄養を自動的に分け合っていて、一方が乏しい場所にいても、豊かな場所の仲間から融通してもらえるので奪い合う必要がそもそもありません。
著者のマニカ教授も「お隣さんとつながっているなら、栄養を分け合うことになる。だから競争する必要なんてないんだ」と述べています。
さらに面白いことが見つかりました。
ふつうの生態系では、同じ種同士のほうが欲しいものが似ているぶん、激しく争います。ところがエディアカラ紀の化石では、逆に違う種同士のほうが近い距離でぶつかっていました。
同じ種は物理的に連結して栄養をシェアしているので争わず、つながっていない「よその種」とだけ、ときおり摩擦が起きていたのです。
一見すると種内の仲がいい平和な世界に聞こえますが、いいことばかりではありませんでした。
進化を駆動するエンジンというと、多くの方は「環境の激変」を思い浮かべるかもしれません。
氷河期がやって来た、隕石が落ちた、大陸が動いた――こういった大事件が生き物を新しい姿へと変えていく、というイメージです。
確かに環境変化も大きな力ですが、生態学では実は別のものが進化を強く動かす駆動力として知られています。
それが「種内競争」、つまり同じ種の仲間同士による奪い合いです。
違う種は食べるものも住む場所もズレているので、ある程度すみ分けができます。
ところが同じ種は、食べ物の好みも、住みたい場所も、欲しい配偶相手もまったく同じ。
「最大のライバルは隣のあいつ」という状況が、もっとも激しい奪い合いを生むのです。
たとえばクジャクのあの派手な羽は、捕食者に見つかりやすくなるという大きな代償を払ってまで進化しました。
なぜそんな不利な飾りができたかというと、メスをめぐる同種のオスたちの競争と、メスの選り好みがあまりに激しいからです。
環境ではなく、隣のオスに勝つために、わざわざ命がけの装飾を背負ったわけです。
ダーウィンフィンチと呼ばれる鳥が干ばつのたびにくちばしのサイズを変えていくのも、限られた餌をめぐる同種内の、生死を分けた奪い合いの結果です。
ところがエディアカラ紀の動物たちは、その最強の進化エンジンを止めていました。
クローンで増え、栄養をシェアするという繁殖方法が続いた結果、本来なら最も激しいはずの「種内競争」が働きにくくなっていたと考えられます。
その結果が、数千万年の停滞でした。
実は有性生殖そのものは、エディアカラ紀よりはるか昔から地球上に存在していました。
しかも、セックスは多細胞生物の専売特許でもありません。
たった一個の細胞で生きるゾウリムシやクラミドモナス(緑藻の一種)のような単細胞生物でさえ、二個体がくっついて遺伝情報を交換し合う、いわば”セックスのようなこと”をやってのけます。
そして面白いことに、彼らがそれを始めるのは、たいてい飢餓や乾燥といった「困ったとき」なのです。
ふだんは気楽にクローンで分裂して増え、環境が苦しくなると遺伝子を混ぜ合わせる――この使い分けは、生命のとても古い習性だと考えられています。
エディアカラの動物たちも、おそらく同じでした。
研究者たちは、彼らに近い現代の海綿やクラゲの仲間がいまも持っている、「ふだんはクローン、いざとなればセックス」という二刀流の能力が、備わっていたと推測しています。
しかし研究者が調査したエディアカラ紀の化石が描き出すのは、ほとんどが円く並んだクローン繁殖の跡ばかりでした。
楽園においてはセックスの力があっても、わざわざ使う必要がなかったのでしょう。
しかし先に触れたように、この停滞はある時、終わりを迎えます。
化石記録によれば、エディアカラ紀の動物たちはある時期を境に、1つの群集にいる種の数は約20から36へ、およそ1.8倍に膨らんでいます。
そこで研究者たちは、この停滞の終わりに、「仲間と物理的に繋がりながらジワジワ広がる」という方式から「子孫を遠くに飛ばす」という方式へと主流が移っていったと考えました。
もしこの仮説が正しいなら、繁殖方法を切り替えるだけで、化石が示す「種が約1.8倍に増えた」という歴史を、コンピュータの中でも再現できるはずです。
研究チームは10,000回のシミュレーションを走らせ、まさにそれを試しました。結果、ストロン型から水中分散型へ繁殖の主流が移る条件をモデルに入れたところ、種の数が約20から36へ増える大きな傾向が再現されたのです。
化石が語る「実際に起きた歴史」と、シミュレーションが示す「もしも繁殖方法を変えたら起きること」が、大きく重なりました。
子作りの方法が変わったことこそが、何千万年もの停滞を破った犯人だった可能性が、ここに浮かび上がってきました。
では、なぜある時を境にセックスが広く使われるようになったのでしょうか。

