そんな、セイフライドが熱演を披露した作品が『アン・リー/はじまりの物語』(公開中)だ。18世紀に実在した英国出身の宗教指導者アン・リーの人生を題材にしている。監督を務めたのは第97回アカデミー賞ノミネート作『ブルータリスト』(24)で共同脚本を手掛けたモナ・ファストボルド。同作の監督であるパートナー、ブラディ・コルベットと共に脚本も担当し、ミュージカルテイストを盛り込みながら、単なる伝記ドラマには終わらない個性的な作品を生みだしてみせた。
■“キリストの生まれ変わり”として人々を導こうとしたアン・リー
アン・リーは、性別や人種に囚われない平等主義者。“キリストの女性の姿の生まれ変わり”という啓示を受けた彼女はそれに従って理想のコミュニティを作ろうとするが、国家権力によって迫害され、わずかな信者たちと渡米して“理想郷”を見つけようとする。困難を乗り越え、シェーカー教団と呼ばれる自身のユートピアを築き上げると、それは当時のアメリカ最大級のコミュニティに成長していった。

シェーカー、すなわち揺れる人。これは聖霊を自らの体内に迎える儀式を行うにあたり、信者たちが激しく体を揺らすことからその名がつけられた。この儀式の場面をミュージカルとして捉えているのが、本作のユニークなところだ。
■権力によって投獄されるなど波乱の生涯を送る
アン・リーの生涯は、波乱に富んでいる。成長するほど信仰にのめり込んでいく。結婚して4人の子どもを授かるが、いずれも乳児期に亡くしてしまう悲劇を経験。それは、ますます性欲というものに罪の意識を抱くようになり、彼女の信仰への依存を強めることになり、さらにはシェーカー教の中心人物となっていった。これを危険視した権力によって投獄されたこともあり、彼女と家族、数人の信者たちはアメリカへ渡ることを決意するのだ。

■アン・リーの信念と痛みを体現したアマンダ・セイフライド
そんなアン・リーの史実に、現代的な命を吹き込んだアマンダ・セイフライド。信仰に対して一途な姿はある意味で感動的だが、彼女が体現したのはそれだけではない。自身をキリストの再来であると強く信じ込み、信仰の妨げとなる性交は全否定して、清らかに生きることこそ神への道と説く。

当然だが、彼女の築いたコミュニティでは信者間の新生児は誕生しない。『ブルータリスト』に通じる人間の狂気も、そこには確かに脈づいているのだ。背景に次々と子どもを失ってしまった深い悲しみがあることは言うまでもない。この喪失の場面での抑制の効いた、それでも悲痛さがしっかりと伝わるセイフライドの演技は欧米でも高く評価された。

■宗教的な恍惚をミュージカルとして表現
神を賛美する儀式のシーンも然り。体を震わせながら祈り、踊り、歌い、信者たちを導くシーンに息づく宗教的な恍惚。言葉ではなく、全身でそれを表現するセイフライドの熱演の強烈さは、目線や表情を含めて、映画を観るすべての観客の胸に鮮烈に焼き付くだろう。これはもう、アン・リーに共感できるか否かの問題ではない。より根源的な、“なにかすごいものを見ている”という感覚に近い。

『マンマ・ミーア!』(08)や『レ・ミゼラブル』(12)などのミュージカル映画の経験もある彼女だから、本作での“歌”の演技も堂々たるもの。とはいえ、これら過去のミュージカルシークエンスとは、まったく違うものであることは力説しておきたい。生きることの苦悩を歌い、それでも消せない信仰を歌い、神への愛を歌う。そこにはミュージカル映画らしいユーモアや解放感はないが、アン・リーという人物のぎりぎりの生き方が痛いほど伝わってくる。
ほかにも出産シーンをはじめ、セイフライドの熱演が鮮烈なシーンは多いが、セリフ以上に肉体的な演技で多くを物語っていることに、彼女の女優としての成熟が見て取れる。『アン・リー/はじまりの物語』は彼女がいなければ成立し得なかった作品だ。役者の演技が“全身全霊を傾けた演技”と評されることは多いが、本作でのセイフライドのそれは、まさにこの言葉に相応しい。必見。
文/相馬学
