1991年、19歳という若さでロックバンド「WANDS」でデビューしたシンガー・上杉昇。瞬く間にトップアーティストの座に躍り出たWANDSだったが、上杉はわずか5年余りで脱退。のちに上杉はWANDS在籍時代を「アイドル時代」と自虐していたこともあったが……。今年12月でデビュー35周年を迎える上杉昇がWANDSについて語る。(前後編の前編)
「売れるほど苦しくなった」WANDS時代に抱えていた違和感
筆者は10年前、上杉がデビュー25周年のときにもインタビューしたことがあった。
そのときに上杉が「僕にとってWANDSはアイドル時代。“やらされている感”があった」と語っていたのが印象的だった。
「中学の頃は世の中が不良全盛期で僕も髪型をリーゼントにしてたんですけど、その頃にロックに出会って、不良グループには入らずにロックやパンク好きの仲間とつるんでいました。
中学を卒業して専門学校に行って、ガソリンスタンドでアルバイトしていたんですけど、GUNS N' ROSES(ガンズ・アンド・ローゼズ)のアクセル・ローズに憧れて歌手になろうと思ったのがオーディションを受けたきっかけ。
ビーイング(音楽事務所/現・B ZONE)のオーディションに合格してロックバンドでデビューできることになったんですけど……。
でも、どうやら僕がやりたいような路線じゃないという噂は周囲から耳に入って来ていて、悪い予感はあったんです。ロックといってもいろいろあるしな、って」
当時の上杉は洋楽ならガンズ、国内のバンドならLOUDNESS(ラウドネス)のようなハードロックが好きだったが、フタを開けると上杉の目には、WANDSは自身が望んでいたハードロックではなく、ポップ路線のデジタル系ロックに映った。
「デビュー曲となった『寂しさは秋の色』のデモテープを聴いたときは、やっぱりそうだったんだ、こういう路線なんだっていう。
納得はできなかったですけど、こんな音楽ならやらねぇよと突っぱねることもできませんでした。まだ19歳の子どもだったんでね」
その後、中山美穂さんとWANDSがコラボした1992年10月リリースの『世界中の誰よりきっと』が累計200万枚超の大ヒットとなり、その影響もあり3か月前の7月にリリースしていた3枚目のシングル『もっと強く抱きしめたなら』も大ヒット。一気にスターダムを駆け上がった。
しかし、やはり上杉の心境は複雑だったそうだ。
「WANDSの評価が高まれば高まるほど、世の中に誤解され続けている感覚があって辛かった。
自分のやりたい音楽じゃないのに、“WANDS・上杉昇の音楽”としてどんどん浸透していくじゃないですか。本当は違うんだと言いたかったが、言えない。
そもそもロッカーって自分の好きなことをやってるぜっていうイメージでしょ。自分の好きな音楽をやるのがロックなのに、僕はWANDSで、本来の姿じゃない自分を“表”に出し続けているっていう苦しさがずっとあったんです。
WANDSとして売れていくほど“違うんだよ”っていう気持ちが蓄積されて高まっていく。
WANDSの路線が確立されて評価が高まるほど、このままだとちょっと取り返しがつかなくなるかもしれないって感覚もあって、それがどんどん焦りにもなっていくし……」
『愛を語るより口づけをかわそう』に隠された上杉昇の静かな抵抗
当時、WANDSのシングル曲のほとんどは事務所側に用意された楽曲が採用されていたが、作詞はデビュー時から一貫して上杉に任せてもらえていた。
「とはいえ好き勝手なんでも書いていいわけじゃありませんでした。曲はさわやかなメロディーラインだったりしましたし、最初からCMタイアップなんかが決まっていて、こういうフレーズを入れてほしいっていう指示がある曲もありましたし。
それに詞を書くのは僕でも事務所のチェックが入るから、ハードな表現とか曲に合わない言葉だとすぐにNGになるんです。
でも作詞でウソは書きたくない。自分の想ってないことを詞にすることはできない。だから事務所とのせめぎ合いの戦いですよね」
それを象徴するのが5枚目のシングル『愛を語るより口づけをかわそう』だったという。
良くも悪くも当時のWANDSを代表するようなアップテンポで爽快感のある曲調だった。
「『愛を語るより口づけをかわそう』の歌詞を読んでもらえればわかると思うんですけど、曲に合わせた詞にはしてありますが、要するに、きれいごとの愛の言葉なんていらないからセックスしようっていう歌なんですよ(笑)。
だけど、そんなストレートな歌詞にしたらNGになるから、丁寧に表現するというか、『口づけ』にとどめてあるんです。
『キス』ではなく『口づけ』という表現で文学的なニュアンスを出したのもこだわりですね。
作詞ではそうやって自分なりに抵抗というか、戦っていたという感覚がありました」
だが皮肉にも『愛を語るより口づけをかわそう』もミリオンヒットとなり、WANDSはますます人気と知名度を獲得していくことに。
WANDS人気の高まりに比例するように上杉の精神的な負荷は増していく。
そして、“WANDSの代名詞”とも言えるあの名曲の詞に、上杉はある決意を込める。
「自分の音楽を出していくために戦っていたんですよね。だから8枚目のシングル『世界が終るまでは…』には、『世界』『終る』という言葉を入れることを決めていました。
この曲で、それまでのWANDSと決別するという意味を込めたんです。
僕らWANDSは中山美穂さんとコラボした『世界中の誰よりきっと』で名前が世に知れ渡ったので、『世界』という共通のフレーズを使って、そしてこれまでのWANDSに区切りをつけるために『終る』って言葉を入れて。そういう覚悟で作った歌だったんですよ。
この曲はなんていうか、詞を書いてるときから“見えて”いたんですよね。
この歌が世間で流行るところが。たとえばガソリンスタンドの有線から流れて、たくさんの人がこの曲を聴いてくれるって、確信めいたものがあったのを覚えてます」

