
スペインのナノサイエンス研究機関(nanoGUNE)などで行われた研究により、精子に微小な磁気の粒をくっつけて”磁化”し、外から磁場をかけて方向を操れることを示しました。
さらに別の実験で、この磁化精子を培養皿の中で卵子と出会わせ、赤ちゃんの卵が着床前の胚の段階(胚盤胞)にまで育てることに成功しました。
この研究が目指す先にあるのは、「受精の場を体の中に近づける」という大胆な構想です。
卵子を体外に取り出して精子と引き合わせるのではなく、卵子は体内にあるままで精子だけを引っ張っていくという発想です。
もしこの技術が実用化すれば、将来的には体外受精の採卵や胚移植といった負担の大きい工程を減らせる可能性があり、不妊治療の常識を根底からひっくり返す可能性を秘めています。
研究内容の詳細はプレプリントサーバー『bioRxiv』にて発表されました。
目次
- 体外受精の「体外」が、実はネックだった
- 精子を磁性化して卵子に導く
- 磁石の粒でなぜか精子が元気になった
- 磁化精子で体外受精に成功――磁気ビーズは卵子の前で自然に脱げた
体外受精の「体外」が、実はネックだった

不妊に悩むカップルにとって、体外受精(IVF)は大きな希望です。
その仕組み自体は、原理的にはシンプルです。
女性の卵巣から卵子を取り出し、培養皿の上で精子と出会わせ、受精してできた胚(はい=赤ちゃんの卵の最初期の姿)を子宮に戻す。
体の外で受精させるから「体外受精」と呼ばれています。
しかし残念なことに体外受精の成功率は決して高くありません。
胚を子宮に戻してから着床する確率は、移植1回あたりおよそ20〜40%と報告されています。
では、なぜ成功率がもっと上がらないのでしょうか?
原因のひとつとして研究者たちが指摘しているのが、受精を「体の外」で行うこと自体の限界です。
精子と卵子が出会い、胚が育つ環境は、本来なら女性の卵管や子宮の中──温度、酸素濃度、さまざまな分泌液が精密にコントロールされた場所のはずです。
それをプラスチックの培養皿と人工培地で再現するのには、どうしても限界がありました。
また何度もの操作(採卵・体外培養・移植)を経るたびに、胚がダメージを受けるリスクも高まります。
近年では、体外受精で生まれた子供への長期的な影響や、さらにその次の世代への影響を懸念する研究も出はじめています。
もちろん体外受精が危険だという話ではなく、「人工環境で育てること」のリスクを完全には否定しきれない──そういう段階の議論です。
つまり、不妊治療のつらさの根っこには、「受精を体の外でやらなければならない」という避けられない問題が横たわっていたのです。
そこで研究者たちは「そもそも卵子を体の外に出さずに、精子の方を体の中で卵子のところまで届けてやればいいのでは?」という発想に至りました。
研究を率いるスペイン・CIC nanoGUNE研究センターのマリアナ・メディナ=サンチェス氏は「私たちの究極のアイデアは、生殖補助を体内で行うことです。身体を天然の培養器として活用するのです」と語ります。
精子を磁性化して卵子に導く

しかし「体の中で精子を卵子まで届ける」と口で言うのは簡単でも、実現は容易ではありません。
精子は自分の尾っぽ(べん毛)を振って泳ぐ力を持っていますが、いわば「方向指示器のない車」のようなものです。
特に精子の数が少なかったり、運動能力が低かったりする男性不妊のケースでは、卵管の奥にある卵子まで自力でたどり着ける精子がほとんどいません。
ヒトの卵管は約11〜12cm、ウシでは約25cmもあり、精子にとっては果てしない旅路です。
(ちなみに磁化精子の泳ぐ速さは秒速約121マイクロメートル。単純計算すると、ヒトの卵管なら約17分で泳ぎ切れることになります。ただし実際の体内では、精子の動きはもっと遅くなる可能性があると論文は注釈しています)
そこでチームが目をつけたのが、「磁力」でした。
具体的には、酸化鉄(磁石に引き寄せられる鉄の粉)とポリスチレン(プラスチックの一種)でできた、ごく小さな磁性マイクロビーズ(磁気を帯びた微小な粒)を精子の頭部にくっつけます。
すると精子は磁気を帯び、体の外から弱い磁場をかけるだけで進む方向を制御できるようになるのです。
ポイントは、ビーズが付くのは頭部だけで、尾っぽは完全に自由なままということ。
だから精子は自力で泳ぎ続けることができます。
たとえるなら、精子が磁力で操作する「ラジコンカー」になるようなものです。
しかもこのビーズは超音波の画像にも映るため、体内でも精子の集団がどこにいるかをモニターできる可能性があるといいます。
また、チームは磁化精子を選り分ける精製法も大幅に改良し、従来法の約10倍にあたる1万匹以上の磁化精子を一度に回収できるようになりました。
精製後の純度は99.69%。
つまり1000匹中997匹以上が正しく磁気を帯びた状態です。
注目すべきは、チームが研究室にこもって開発を進めたわけではないという点です。
メディナ=サンチェス氏は「私たちは体外受精専門の医師に相談しました。通常の体外受精のワークフロー(作業手順)に組み込める精子処理プロトコル(手順書)を開発したかったからです」と述べています。
最初から臨床への応用を見据え、現場の医師と二人三脚で進めた実用志向の研究なのです。
では、この「ラジコン化」した精子は、実際にどのくらい正確に操れるのでしょうか。
チームが培養皿の中で磁化精子を磁場で操縦する実験を行ったところ、磁場による誘導をONにした場合は、OFFの場合に比べて標的領域(直径20マイクロメートルの円形エリア)に到達する精子の数が約1.9倍(91.6%増)に増えることが確認されました。
また別の実験では、ウシの卵子に向けて磁化精子を順番に誘導し、卵子の近くまで到達させることにも成功しています。
さらに、複数の磁化精子を磁場で一箇所に集めて「群れ」を形成し、塊として動かせることも示しました。
受精の確率を上げるには多くの精子を卵子の近くに集める必要があるため、この群れ制御は将来の実用化に向けた重要な一歩です。

