法則の正体は「×2」だった

研究者たちが次に打った決定的な一手は、秩序の区画に入った数字に対して、研究者たちはもうひと工夫を加えることでした。
「1位と4位の差」と「2位と3位の差」という2つの差に、「足して2で割る」「引いて2で割る」という、ちょっとした調整を加えたのです。
何気ない操作ですが、この新しいメガネを通して見たとき、目の前に広がった景色は、信じがたいものでした。
最初、私たちが見ていたカプレカ操作の景色は、
「大きい順に並べる」
「小さい順に並べる」
「引き算する」
(また並べ替えて、引き算して……のくり返し)
という、ごちゃごちゃとした、面倒くさい手作業の連続です。
子供の数遊びにはなりますが、魔法の正体のカケラすら見えません。
ところが、新しいメガネを通して見た景色は、たった一言で言い表せるものでした。
「×2」
それだけでした。
並べ替えたり引き算したりの繰り返しという複雑そうな並べ替え引き算の裏に住んでいたのは、ただ数を2倍するだけの、世界でいちばん退屈な動きでした。
私たちは、それを見るのにふさわしい”メガネ”を、これまでかけていなかっただけだったのです。
コラム:進数世界の「×2」とは?
今回の研究で見出された「×2」は、ふつうの2倍とは少し違います。
3を2倍したら6、4を2倍したら8、5を2倍したら10——と、どこまでも大きくなっていくのが普通の2倍です。けれど、ここで研究者たちが見つけたのは、ある”小さな世界の上”での2倍でした。
時計の文字盤を思い出してみてください。12を超えると一周してリセットする世界です。「10時の3時間後は何時?」と聞かれたら、ふつうに足し算すれば13時です。けれども、時計の文字盤の上では、針はぐるりと一周して「1時」を指しています。
この世界では2倍の意味も少し変わります。
たとえば時計の上に「3」を置きます。これを2倍にすると6です。12を超えない限りリセットは起こりません。しかし「7」を2倍すると、12を超えたぶんを差し引き、2という数になります。
7を2倍すると2というのが、研究者たちが言う進数世界(12進数世界)の「×2」の姿なのです。
しかも、論文の見つけた時計には、もう一つだけ特殊な性質がありました。
それは「半分に折り畳まれている」ことです。
たとえば11進法の時計を想像してみてください。
目盛りは11個ありますが、その文字盤を真ん中で折り曲げて、ぴたっと半分に畳むのです。
11進数の時計版の真ん中に線を入れて、円を半分にするイメージです。
すると、こんなことが起こります。
「2」と「9」は同じ場所として扱われます。
「3」と「8」も同じ場所。
「4」と「7」も同じ場所。
「5」と「6」も同じ場所です。
私たちが普段、別の数字だと思っているものたちが、ペアを組んで一つの座席にいる──そんな不思議な時計が、論文の見つけた舞台でした。
(※11の世界では、9という数字は「11まであと2」の位置にいます。これは、特定の計算の上で「マイナス2」とまったく同じ働きをして見えます。プラス2とマイナス2が同じ場所に重なる――だから、時計が半分に折り畳まれて見えるのです。)
そして研究者たちはカプレカ操作を1回行うと、舞台裏では──さきほどの先ほどの「足して2で割った数」と「引いて2で割った数」が、この折り畳まれた時計の上で、それぞれ「2倍の位置」へ飛び移っていることを突き止めました。
「大きい順に並べる」
「小さい順に並べる」
「引き算する」
(また並べ替えて、引き算して……のくり返し)
という、かなり面倒な処理が続いていますが裏側では、2つの数字が、折り畳まれた時計の上で、ただ淡々と2倍されているだけだったのです。
さらに同様の仕組みが、3より大きな奇数の進数(5進数、7進数、9進数、11進数・・・)で全て共通して存在することが発見されました。
7進法で見た「3つの数字のループ」も、別の世界の「5つの数字のループ」も、すべては「折り畳まれた時計の上で2倍をくり返す」という、たった一つの動きから生まれていました。
進法の世界が変われば、時計の目盛りの数が変わります。
目盛りが変われば、元の場所に戻ってくるまでの歩数が変わります。
歩数が変われば、ループの大きさも変わります。
だから、終わり方の姿は世界ごとにバラバラだったのです。
でも、舞台の上で起きている動きそのものは、どの世界でも同じ「2倍して、次の場所へ飛ぶ」ただ、それだけだったのです。
「6174の魔法」は素数の秘密とも関連している

「正体は2倍だった」とわかると、その先のさまざまな謎が、芋づる式にほどけていきます。
研究者たちはこの仕組みを使って、奇数進法のすべての「終わり方」を、まるごと分類してみせました。「面白い例をいくつか見つけた」のではなく、すべての奇数進法について、数字が最後にたどり着く輪を、漏れなく数え上げる道具を手に入れたのです。
たとえば、こんなことが言えるようになりました。
どの奇数進法でも、いちばん長い輪の長さは、「(進法の数 − 1)÷ 2」を超えません。
7進法なら、最長は3ループ。
11進法なら、最長は5ループ。
13進法なら、上限は6です(実際に届くかどうかは、その進法の個性によります)。
そして、ここからもう一つ、面白い発見が出てきます。
その上限ギリギリまで届ける可能性を持つのは、進法の数が「素数」のときだけだったのです。
素数というのは、1と自分自身でしか割り切れない数のこと。2、3、5、7、11、13、17……と続く、整数の世界の「これ以上は分解できない部品」のような存在です。
割れない数で数える世界だけが、理論上の最長記録に届く資格を持ちます。
子どもの数遊びの最終形が、素数という数の最も根源的な性質と結びついていたわけです。
ただ素数だから必ず最長になる、というわけではありません。
素数であることは、いわば「最長記録への参加資格」のようなものです。
資格がないと参加すらできませんが、資格があるからといって優勝できるとは限らないのです。
たとえば、17は素数です。でも17進法での最長の輪は4どまりで、上限の「(17 − 1)÷ 2 = 8」には、まったく届きません。
9進法(こちらは素数ではない合成数)も、上限は4ですが、実際の最長は3です。
なぜ、こんなことが起きるのでしょうか。
それは結局、「折り畳まれた時計の上で、ある数字が何歩で元の場所に戻ってくるか」という、その進法だけが持つ”歩き方の癖”によって決まるからです。
同じ素数でも、時計の上での歩幅には、それぞれ個性があります。
早く家に帰ってきてしまう進法もあれば、長々と寄り道をしてから戻る進法もある。
数の世界には、まだ私たちの知らない”性格”が、たくさん眠っているということなのでしょう。

