グラビア全盛期の2000年代初頭、『ミス週刊少年マガジン』に選ばれ、一躍注目を集めた中川愛海さん。当時は小池栄子さんやMEGUMIさんら人気グラビアアイドルが活躍し、芸能界はまさに競争の真っただ中だった。「右を見ても左を見てもライバル」「芸能界に友達を作るなと言われた」と振り返る中川さんは、16歳で飛び込んだ厳しい世界をどう生き抜いたのか。そして、人気絶頂のなか芸能界を離れ、現在は恵比寿でたこ焼き店を経営するまでの歩みを聞いた。(前後編前編)
右も左もライバルだらけ
――芸能界へ入った頃のお話から教えてください。
中川愛海(以下、同) 高校1年生の時、クラスメイトが大学進学の話をしている中で、“早く仕事をしたい”っていう気持ちが強かったんです。当時関西に住んでいたんですが、仕事をするなら手っ取り早いのは東京に行くことかなって。
母が昔、芸能をやりたかった人だったので、“オーディションに受かったら東京に行かせてくれるかな”っていう気持ちがあり、たまたまパッと目についた雑誌のオーディションを受け、事務所に所属したんです。
その後、事務所がミスマガジンの候補者に出してくれたんですが、20人くらいまで絞られて、どんどん人数が減っていって、最終的に『ミス週刊少年マガジン』に選ばれました。
――ミスマガに選ばれた時は、どのようなお気持ちでしたか?
単純に嬉しかったです。でも、父親が芸能界に反対していて。“一年で帰ってこい”って言われていたので、“それなら一年で結果を出さなきゃ”っていう気持ちはずっとありました。
当時のマネージャーさんが元ADさんで、現場をすごく理解している人だったんです。挨拶はもちろん、“ハテナと思ったことは持ち帰らず質問する”“現場で何か形を残して帰る”って教えていただきました。
――当時は小池栄子さんやMEGUMIさんなど、グラビア全盛期でしたね。
思った以上にライバルが多い世界なんだなっていう衝撃はありました。右を見ても左を見てもライバル、みたいな感じで。事務所も特に厳しくて、毎日送り迎えがあって、寮生活だったんです。
“芸能界に友達を作っちゃダメ”とも言われていましたね。撮影現場では、マネージャーさんに携帯を預けることもあって、他のタレントさんと連絡先交換できないようになっていたので、そのルールを私はクソ真面目に守ってました(笑)。
携帯がなくてソワソワしたこともあったけど、“これが芸能界なんだ”って思い込んでたんですよね。16〜19歳って遊びたい年頃じゃないですか。だけど、厳しかったおかげで悪い道に行かなかったので、当時の事務所の社長には感謝しています。
――「想像していたものとは違う」と感じる部分もありましたか?
思ったよりお給料安いんだ、って(笑)。芸能人ってめちゃくちゃお金持ちなイメージがあったので、そこはびっくりしました。
当時は飛行機はビジネスクラス、新幹線はグリーン車、楽屋は一人一部屋で。最初のミスマガだったからか、グラビアにもとても予算がかけられていて、サイパン、ニューカレドニアなど海外で撮影だったので、周りからはすごく羨ましがられていました。
だから、“芸能界ってすごい!”って思うじゃないですか。でも、初めてのお給料日をむかえて、あれっ?て。意外と現実的な金額でした。
初ドラマであの大御所と共演
――そうなると、欲しいものを買えなかったりも…?
それが、ありがたいことに毎日お仕事で忙しくさせていただいていたので、衣食住には困らないんですよ。
事務所の寮に住んでいたし、楽屋にはお弁当があるし、ロケ先では美味しいご飯も食べられる。ヘアメイクさんもいるからコスメも自分で買わなくていいし、スタイリストさんからは水着をいただいたりもしていたので、自腹を切ることもなく、お給料はそのまま貯金できました。
父親が心配性で、たくさん仕送りをしてくれていたので、そっちの金額の方がギャラより高かったくらいです(笑)。
――特に印象に残っているテレビ番組や、出演作品があれば教えてください。
『さよなら、小津先生』というフジテレビのドラマですね。初めてのドラマ出演でしたが、共演したメンバーもみんな初ドラマみたいな感じで、森山未來さん、勝地涼さん、瑛太さん、水川あさみさんとか、本当に豪華でした。
瑛太さんとは恋人役をやらせていただきましたが、彼も初の演技だったそうで、少しホッとしましたね(笑)。主演は田村正和さんで、そんな大御所の方々とお仕事させていただけたのはとても貴重でしたね。
――演技についてはどのように取り組まれていたのでしょうか?
実は、演技レッスンはほぼなかったんです。現場に入る一週間前に演技指導の先生がついたくらいで。ドラマのお話しは、ミスマガの撮影の合間に、“顔見せに行くから”って事務所の社長に連れて行かれて。
たまたま監督と社長が話していて、“あと一人女の子探してて”って監督さんがおっしゃって、“この子今年ミスマガで…”って社長から紹介されて、その場で「明後日、顔合わせこれますか?」って出演が決まりました。
事務所もなんとかスケジュールを調整してくれて、グラビアの撮影とドラマの現場を同時進行していました。
――それは、かなりお忙しかったのではないでしょうか?
そうですね。一番忙しい時は、朝5時起きでドラマの現場に行って、待ち時間の合間に抜けてグラビア撮影やインタビュー取材、さらに空いた時間は番宣でバラエティ番組に出演して…。終わり時間は24時過ぎでした。家に着くのは深夜なのに、翌朝また5時起き。
当時はタクシーチケットをいただいていたので、“ラッキー!”って思ってました(笑)。もともと子どもの頃からショートスリーパーなんですよ。小学生の頃から、水泳、お花、お茶、塾、土日は劇団みたいな生活だったので、忙しいことには慣れていました。

