この年の猪木は、10月にルー・テーズにシングル戦で勝利、渡米直前の12月11日には、ビル・ロビンソンと60分3本勝負フルタイムドローという歴史的名勝負を展開した。プロレス界の看板レスラーと素晴らしいシングル戦を行い、勇躍ニューヨークに登場したのである。
一方、アリも6月30日にジョー・バグナー、10月1日にはジョー・フレージャーと文字通りの死闘(通称「スリラー・イン・マニラ」)に勝利し、世界王者の地位を盤石にした。両雄にとって75年は会心の年と言える。ただ、6月~12月までビッグマッチが続き、交渉の余裕はなかった。
「12月15日に猪木は、ニューヨークのMSG(マディソン・スクエア・ガーデン)に初登場して、フランク・モンティと対戦しました。この遠征中に、ニューヨークとロサンゼルスのヒルトンホテルで、アリ側との条件交渉が行われていたんです」
しかし、交渉は平行線をたどる。日本開催をめぐるファイトマネーの問題で、双方の主張が大きく食い違ったからだ。その後の交渉は、再びNETニューヨーク支局が引き継ぐことになる。
試合自体を行うことは合意したが、莫大なファイトマネーの負担は、発足したばかりの新日本プロレスにとってとてつもない難題であり、NETにも簡単に決裁できる話ではなかった。
事態が動いたのは翌76年、猪木の熱意と行動力、そしてそれを金銭面でも支えた三浦とNETだった。
「76年2月6日、猪木さんはミュンヘン五輪の柔道重量級と無差別級金メダルの2冠王者ウィレム・ルスカと『格闘技世界一決定戦』第1戦で対戦し、勝利しました。この試合の反響が予想以上に大きかった。プロレスラーが格闘技の世界で通用することを、猪木さんが証明してみせたのですから。そうなると、アリ側も交渉妥結に向けて本腰を入れてきました」
同年2月20日、プエルトリコで行われたアリVSジャン・ピエール・クープマン戦後、アリはリング上でこう宣言した。
「今年中に4人の相手を倒す。4人目はミスターXだ。その男はボクサーではない」
舟橋慶一(ふなばし・けいいち)1938年生まれ。62年にNET(日本教育テレビ/現テレビ朝日)入社。アナウンサーとして「ワールドプロレスリング」実況など多数の番組を担当。
福田竜一(東京新聞)
写真提供/山内猛

