1998年、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)の番組企画から生まれた音楽ユニット「野猿」。約3年半にわたる活動でシングル11枚、アルバム3枚をリリースし、紅白歌合戦に2度出場するなど輝かしい実績を誇る。そのメインボーカルのひとりだった“カンちゃん”こと神波憲人さん(54)は現在もスタイリストとして活躍中だ。そんな神波さんに野猿再結成の可能性について聞いた。(前後編の後編)
脱退をかけたくじ引きで、まさかの…
98年4月にリリースしたデビュー曲『Get down』から、99年8月リリースの『Selfish』まで、5作続けてオリコン初登場10位以内と、着実にファンをつかんでいった野猿。そんな彼らに悲痛な宣告が…。
6thシングル『夜空を待ちながら』発売の際、オリコン週間チャート1位にならなかったら1人脱退、5位以下なら2人脱退、10位以下なら解散と発表されたのだ。そして結果は6位だったため2人のメンバー脱退が決定。
抽選で赤玉を引いたメンバーが脱退とのルールの中、なんと、赤玉を引いたのはメンバー内でもとくに熱狂的なファンがついていた、メインボーカルの平山晃哉さんと神波さんだった。この結果にはファンもあ然…。
「あれは今でもいろんな方から、『ヤラセだったんでしょ?』と言われるんですが、本当にガチでふたりで赤玉を引いてしまったんです。もしかしたら、僕らふたりがボーカルとして騒がれたことで、引きが強くなっていたのかもしれません。
脱退が決まったときは思わず、涙がこぼれてしまったんです。ただ、それは悲しいという感情だけではなくて、これでやっと普通の生活に戻れる、という安心感もあったのだと思います。
それに僕が脱退しても、平山さんがいれば野猿は安泰と思っていたのですが、まさかの平山さんも赤玉を引いてしまって。実は収録ではカットされたんですが、あのとき僕は『なんで平山さんも赤玉引くんですか!』と、思わずブチギレてしまいました(笑)」
その後、紆余曲折あって野猿に復帰した神波さんだったが、野猿は2001年、約3年半にわたる活動に終止符を打った。
「解散後は、すぐに元の仕事に戻りました(笑)。僕、もともとはデザイナーを目指して、専門学校に通っていたんです。
ずっとやりたかったデザイナーの仕事をしていこうと思い、12年勤めた会社を退社し、E'dge(エッジ)というロックテイスト強めのブランドと、キングオブドリームスというサーフ系のスタイルを中心としたブランドを2社立ち上げました。
バランスよくいろいろな方に着ていただけるようにテイストを分けたことで、ありがたいことにご好評いただき、毎回完売していました」
うれしかった貴明さんからの誘い
神波さんは華やかなステージから降り、普通の生活に戻った後も、ブログではコツコツと発信を続けていたという。
「ブログをはじめたきっかけは、やはり野猿の解散後も応援してくださっていたファンの方に、何かできることはないかな?と思ったことですね。
他のメンバーは会社に所属していたから、自由にSNSで発信することはできないし。フリーになったのは自分だけだったから、ネットに疎かったですがなんとか勉強しながらアメブロをスタートしました。
たまにはブログにメンバーの写真を載せたら、野猿ファンの方は喜んでくれるかな?とかって思い、仕事でフジテレビに行ったときなどは野猿メンバーのところに顔を出して、成井(一浩)さんや大原(隆)さんが美術部屋にいたらツーショットで撮影してブログに載せたりしていました。平山さんのところには、1番最初に行ってたかな(笑)」
今もなお、野猿ファンに向けて発信を続けているという神波さん。かつて野猿のファンだったタレントからスタイリストに指名されることもあるそうだ。
「ものまね芸人のJPくんは、もともと野猿のときから好きでいてくれたみたいで、ありがたいことに今は専属スタイリストをさせていただいています。
野猿をやっていたときもそうだったんですが、やはり人前に出るときには自分が好きな格好をしたいじゃないですか。この仕事をしていて1番うれしいのは、『神波さんにスタイリングしてもらって良かったです』と、言っていただけたときですね」
その後、2019年には、石橋貴明さん、平山晃哉さんと『B Pressure』(ビープレッシャー)を結成。当時は「野猿再結成か?」とも話題になったが、すでに解散から18年が経っていたこともあり、再び表舞台に立つことに迷いはなかったのか。
「貴明さんのお誘いがうれしかったですね。僕としては『貴明さんがおっしゃるなら、ぜひお手伝いしたいです!』とOKさせていただきました。解散後も自分では頭羅嘩瑠頭(ずらかるず)ってバンドもやっていたし、ステージで歌うことに抵抗はなかったですね。それよりも、また3人で歌うことでファンの方が喜んでくださるならうれしいなって。
ダンスは当時のように激しくはなく、”大人になった野猿”の振り付けという感じでした。でも、アルバムの発売前にコロナ禍がきて、ライブが頻繁にできなくなってしまって…。そのまま現在まで活動は休止中です。

