
イギリスのウォーリック大学(Warw)などで行われた研究によって、人間の「ハハハ」という笑いの基本リズムが、1500万年前の共通祖先の時代から受け継がれている可能性が浮かび上がりました。
研究チームがチンパンジー、ゴリラ、ボノボ、オランウータンといった大型類人猿と人間の笑い声を比べたところ、5種すべてで、等間隔に近い共通の基本リズムが見られたことが示されています。
さらに分析によって人間に近い種ほど笑いのテンポが速く、表現の幅も広がる傾向がみられました。
研究者たちは「言葉を話す能力は突然現れたのではなく、笑いの中で声を操る力が段階的に積み上がった延長線上にある」と述べています。
この考えが正しければ、まず笑いがあり、それが少しずつ複雑になりながら、やがて言語能力へとつながっていったことになります。
私たちはしゃべるよりずっと前から、その芽をすでに笑い声の中に育てていたのでしょうか?
研究内容の詳細は2026年6月25日に『Communications Biology』にて発表されました。
目次
- 言語の起源は笑いに隠れている
- まず笑いがあり、そして言葉がうまれた
- 初めに「笑いあれ」
言語の起源は笑いに隠れている

「人間はいつ、どうやって言葉をしゃべれるようになったのか」。
これは、進化の研究者たちがずっと頭を悩ませてきた大問題です。
なぜ難しいかというと、理由はとてもシンプル。声は化石にならないからです。
恐竜の骨なら何千万年も土の中に残ります。古代人の歯や頭蓋骨も見つかります。
でも、声はどうでしょう。空気を震わせた瞬間に消えてしまいます。
録音技術が発明されたのはたかだか150年前の話ですから、それ以前の声は一切記録が残っていません。
そのため科学の世界では、こんな物語が長らく語られてきました。
「あるとき人類の脳に、ぱちんとスイッチが入った。そしてある日突然、私たちの祖先は”話す生き物”になった」
まるで、真っ暗な部屋に照明が灯るように——言葉の能力は、いきなり生まれたのだ、と。
でも、本当にそんなことが起きるでしょうか。
心臓や肺のような複雑な臓器が、ある日ポンと現れることはありません。何百万年もかけて、少しずつ形を変えていく。それが進化の姿です。
だとしたら、言葉の力だって、いきなり出現したというより、その「一歩手前」の能力が長い時間をかけて磨かれていた——そう考えるほうが自然な気がします。
ではその一歩手前の能力は、どこに残されているのでしょうか。
化石には残らない。ならば、いまも生きている動物たちの体のなかを見るしかない。
そう考えたイギリス・ウォーリック大学とポーツマス大学の研究チームは、思いがけない場所に目をつけました。
「笑い」です。
なぜ笑いなのかというと、笑いが「ヒトだけのもの」ではないからです。
実はこれまでの研究でチンパンジーも、ボノボも、ゴリラも、オランウータンも、笑うことが判明しています。くすぐられたときや、仲間とじゃれ合っているとき、現存するすべての大型類人猿が、笑うのです。
私たち人間と、これら大型類人猿すべての「共通のご先祖さま」は、いまからおよそ1500万年前に生きていたと考えられています。
ということは、これらの類人猿と私たち人間がまだ枝分かれする前の時代には、すでに笑いという行動が存在していたはずです。
もし太古の笑いの中に、「声を操る力」がどう進化してきたかの痕跡が残っているとしたら。声は化石にならないけれど、笑いという「生きた行動」の中に、音の化石のようなものが埋まっているかもしれません。
そこで今回、研究チームは世界で初めて、すべての大型類人猿の笑い声のリズムを比べる研究に乗り出しました。
まず笑いがあり、そして言葉がうまれた

人間の言語能力の起源を探るため研究者たちは、オランウータン4頭、ゴリラ2頭、ボノボ3頭、チンパンジー4頭、ヒトの子ども4人——計17個体の笑い声の録音を集めて解析し、140回分の笑いについて音と音の間隔を一つひとつ測定しました。
調べたのは音の高さでも大きさでもなく、あの”ハ・ハ・ハ”が繰り返される「タイミング」です。
結果、全体としてはすべての種で、笑い声の間隔がほぼ等しい——つまり一定のリズムで笑っていることがわかりました。
オランウータンの息混じりの「フフフ」も、チンパンジーの喘ぐような笑いも、ヒトの子どもの「アハハハ」も——表面の音色はまるで違うのに、その底を流れるリズムの骨格は同じだったのです。
研究チームは、この基本リズムが約1500万年前の共通祖先にすでに備わっていたと考えています。
1500万年前といえば、ヒマラヤ山脈がまだ隆起の途中にあり、大型類人猿の祖先たちが熱帯の森からゆっくりと広がり始めていた時代。
あの頃の祖先が仲間と遊びながら交わしていた笑い声の「拍子」が、種の壁を越え、大陸を越え、いまもあなたの笑いの中に息づいているというのです。
しかし研究はその先に興味深い発見をしました。
コラム:1500万年前の先祖の姿
1500万年前の先祖の姿はまだサルっぽさが抜けておらず、暮らしも木の上だったとされています。ふだんは四つ足で歩き、木を垂直によじ登ったり、果実などを食していました。すでにしっぽはありませんでしたが、体つきはいまのゴリラやチンパンジーのようにがっしりしたものではなく、もっとひょろりとしていたとされています。しっぽのない、小柄で軽やかな木の住人で、ゴリラのような迫力はなく、どちらかといえば、少しずんぐりした慎重なテナガザル、といった風情だったと考えられます。そしてその一匹が、くすぐられたりじゃれ合ったりしたとき、「ハ・ハ・ハ」と、いまの私たちとそっくりの拍子で笑い始めていたのです。
研究者たちがそれぞれの種の笑いをじっくり比べていくと、種によって少しずつ違うところが見えてきたのです。
そして、その違い方には、はっきりとしたパターンがありました。
祖先から枝分かれした時期が新しい種ほど——つまり、私たち人間に系統として近い種ほど——笑いのテンポが速くなっているのです。
一番のんびり笑うのがオランウータンやゴリラ。少し速くなるのがチンパンジーやボノボ。そしてもっとも速く「ハハハハ!」と刻むのが、私たち人間。
1500万年という気の遠くなる時間をかけて、笑いは少しずつ加速してきたことになります。
まるで、はじめはゆったり動いていたメトロノームの速さを、進化が世代を重ねながら少しずつ上げてきたかのようです。
加えて分析では、人間に近い種ほど笑いの表現が多彩になる傾向も示されました。
一方で、人間だけが持つ要素もありました。
研究者のデ・グレゴリオ博士は、こんなたとえで説明しています。
たとえば今、あなたがイギリスの女王陛下に謁見しているとします。
緊張してガチガチのなかで、陛下がちょっとしたジョークを口にした。
そこであなたは、腹を抱えてゲラゲラ笑うでしょうか。
せいぜい、上品に「ホホホ」と微笑む程度でしょう。
ところが、同じ夜。仕事を終えて、パブで久しぶりの友達と再会したとします。その友達がまったく同じジョークを言ったら——今度はテーブルを叩いて大爆笑してしまうかもしれません。
同じ「おかしい」という気持ちなのに、私たちは笑い方を完全に切り替えています。
ほかにも、気まずい場をごまかす苦笑いや、赤ちゃんに向ける甘い笑い声など、私たちは同じ「ハハハ」の上に驚くほど多くのバリエーションを乗せています。
一方で、チンパンジーやゴリラなどでは、くすぐりの場面と遊びの場面という場面の違いにおいて、笑いのテンポを切り替える様子はみられませんでした。
「場に合わせて笑いを操る」という芸当は、大型類人猿のなかで私たち人間だけが見せた、ちょっと特別な能力なのです。
じつは、この「場面に応じて声のタイミングを操る力」は、しゃべるためにも欠かせない土台です。
そこで研究者たちは、笑いの中で声を操る力が少しずつ高まってきた道筋こそ、やがて言葉を話す力へとつながった可能性があると考えました。
言葉を話すというのは、考えてみればとんでもない離れ業です。
脳で考えたことを、息づかいと、のどの動きに、コンマ数秒のズレもなく合わせていく。
その精密な連携があってはじめて、「おはよう」の一言が音になる。
笑いを場面ごとに操るあの器用さは、この離れ業へと続く、大事な一歩だったのです。

