マクラーレンやロータス、そしてハースなどに所属し、ミカ・ハッキネンやキミ・ライコネン、そしてフェルナンド・アロンソらのチーフエンジニアを務めた経験を持つマーク・スレードは、2007年のヨーロッパGPの際にアロンソがスタッフ全員に、1000ユーロ(当時のレートで約16万円)ずつ配ったことがあったという。しかしチームの首脳陣は、このような行為を即座に禁止したようだ。
2005年と2006年にルノーでチャンピオンに輝いたアロンソは、さらなる活躍を求めて2007年からマクラーレンに加入した。しかしその年チームメイトとなったのはルイス・ハミルトン。当時のハミルトンはデビュー1年目の新人ながら、マクラーレンの秘蔵っ子としてもてはやされ、早くもチーム内でのポジションを確固たるものにしていた。ドライビングの腕前も素晴らしく、いきなりアロンソと遜色ない成績を残し、ふたりによるタイトル争いが繰り広げられていった。
そのシーズン中、アロンソはチームメンバーへの感謝の印として、現金の入った封筒を配ったことがあったという。
「2007年のニュルブルクリンク(ヨーロッパGP)の初日、フェルナンドが私のところにやってきて、『僕のマシンに関わっている全員のリストをくれないか?』と尋ねてきたんだ」
スレードは当時のことをそう振り返る。
「それで私は、『分かった、できるよ』と思った。でもその後で『どの程度まで?』と彼に尋ねたんだ。だってパーツを用意するスタッフもいるし、実際にマシンを整備するスタッフもいる。それ以外にも、F1チームには数多くの人がいるからね。誰が自分のマシンの整備をしてくれて、誰がしていないのか、それを区別することなんてできないだろう」
「それでとにかく、必要かなと思うスタッフのリストを作った。ガソリンを用意する担当や給油係、タイヤ担当も含めて、できる限りの人員を含めたんだ。でも何のためのリストか分からなかったから、リストが出来上がった時に『これがそのリストだよ』と言った」
「しばらくして、彼は朝にやってきた。そして『リストに載っている人全てに、ガレージ裏で会わせてくれないか?』と、彼に相談された。彼は週末が始まる前に、チームのメンバーと話をしたいのかと思った」
スレイドによれはアロンソはその時、日々の感謝の印として、それぞれのメンバーに約1000ユーロが入った封筒を手渡したという。
「彼はこう言ったんだ。『僕は自分の賞金を、チームメンバーと分け合いたいんだ。マクラーレンではこれまで、こういうことはしてこなかったと思う。でも、自分のクルマにしてくれたこと、いい仕事をしてくれたことについて、感謝の気持ちを示すためにやっているんだ』とね。それで彼は封筒を手渡した。それを開けてみると、ひとりにつき1000ユーロが入っていたんだと思う」
「私はただただ驚いた。タイラー(アレキサンダー/マクラーレンを創設時から支えたメンバーのひとり)もそうだった。彼もそこにいたひとりだが、『ちょっと奇妙なことだな。こんなことは初めてだ』と言った。我々も少し驚いて、何て言えばいいのか分からなかった。だから『本当に嬉しい。ありがとう』とだけ言ったんだ」
しかしこのアロンソの”現金を配る”という行動が、チームの首脳陣の不評を買った。そして当時スポーティング・ディレクターを務めていたデイブ・ライアンは、何が起きたのかをスタッフらに問いただした。
「アロンソはとても謙虚に、『皆さんの助けに本当に感謝している』と言ってくれた。それで我々は仕事に戻ったが、しばらくしてデイブ・ライアンが渋い顔でモーターホームにやってきて、『ガレージで何が起きたんだ?』と尋ねてきた。私は『フェルナンドが……』と言いかけると、彼は遮るように『なるほど、そういうことだと思った。要するに君たちは、そのお金を我々に全て渡さなければいけない。私に渡さなければいけない。チームに渡さなければいけないよ』と言った」
「『とんでもないことだ。このチームではそういうことは許されない』と言われたんだ。それで私は『本当に申し訳ない。知りませんでした』と返答した。そして彼はこう言ったんだ。『返金できない者は、基本的に全員解雇する』とね」
この出来事は、アロンソとチームの相性が悪かったから起きたことだと、スレードは考えている。
「この件については、フェルナンドがメカニックの忠誠心をお金で買おうとしたと言われていた。もしかしたら私が甘かったのかもしれないけど、そうは感じなかったんだ」
そうスレードは言う。
「このことは、フェルナンドとマクラーレンの相性の悪さを物語っていると思う。私はフェルナンドのことがとても好きだったし、一緒に仕事をするのも楽しかった。彼は素晴らしい人物だったよ」
結局この年、アロンソとマクラーレンの関係は日を追うごとに悪化していった。ハミルトンが1年目から高いパフォーマンスを発揮したことも、それに拍車をかけたと言えるだろう。
アロンソは、マクラーレンはハミルトンの方しか見ていないと感じ、わずか1年限りでチームを離脱。翌年からはルノーに復帰し、いくつかのレースで勝利を収めた。

