大岡忠相も挑んだ「日本三大埋蔵金」
もっとも、この一事が家康の逆鱗に触れ、結城家は越前福井へ国替えに。それと同時に結城領を我が物とした家康は、領内をくまなく探させたが黄金は見つからず終い。その後も町奉行・大岡忠相や、幕末まで結城城主を務めた水野家の子孫が挑戦したが、誰も掘り当てられていないのだ。
ただ、突破口は存在する。注目すべきは、晴朝が建てたという結城市内にある金光寺だ。その山門の梁には不思議な3首の和歌が彫られており、そこに黄金のありかが隠されているとの話がある。また、現在本命視されているのは寺の北西にある晴朝の隠居所だった中久喜城。当時の土塁や祠(ほこら)が散在しており、いかにも怪しげだ。
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