世の中にはなんともいえない変人がいるものだ。「江戸のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と呼ばれた司馬江漢である。延享4年(1747年)生まれで、本名は安藤吉次郎という。当時の人気浮世絵師・鈴木晴信に入門し、鈴木春重を名乗ったが、稀代の変わり者だけに、浮世絵の枠には収まり切れなかった。
遠近法や陰影法などの西洋絵画の技法を学び、本格的な油絵を描いただけでなく、天明4年(1783年)にはオランダの書物を独学で研究し、日本で初めての腐食銅版画(エッチング)で「三囲景(みめぐりけい)」という作品集を制作した。
師・春信が急逝した際には師匠のタッチを完全に再現した贋作を大量に制作し、売りさばいた。後年になってもバレず、自らの随筆「春波楼筆記」の中で「世間の奴らは俺が描いた偽物を春信の真作だと信じてありがたがっていた」と勝ち誇ったように自慢している。
また、蘭学者やオランダ語の通詞(通訳)との交流で知った地動説などを、自らが出版した「和蘭天説」という出版物を通じて国内に広めた人物でもある。当時の人々は地動説どころか、天動説や宇宙に関する知識を持った者はほとんどおらず、「何、この人?}というキワモノ扱いだったかもしれない。
死んだはずなのに知人にバッタリ遭遇したので…
文化10年(1813年)、67歳の時に人付き合いが面倒になり、知人や門人たちに「江漢、ついにあの世へ旅立ちました」という偽の死亡通知を自ら印刷してバラまいた。しかも「9」という数字が縁起がいいとの理由で、数年前から9歳の年齢逆サバ読みをしており、死亡通知の享年は76になっていたという。
ここまでくるともはや、何が何だかわからない。死んだことになっているのだから、当然ながら人に会うわけにはいかない。全てをシャットアウトして家でゴロゴロ過ごしていたが、用事で外出しなければならないこともある。
そんな時に限って街中で知人にバッタリと遭遇。知人が「生きていたんですか」と驚くと、当の本人はダッシュで逃走し、追いつめられると「死人が口をきくわけがない」と大声で逆ギレして、そのまま去っていったという。まさにコント番組のネタのような出来事だ。
(道嶋慶)

