「開発の父」という美名の裏で、32年もの長きにわたりインドネシアを支配し続けた――。2025年11月、インドネシア政府から名誉ある「国家英雄」の称号を受けた第2代大統領スハルトである。
「建国の父」と呼ばれたスカルノ初代大統領とともに、インドネシアの独立戦争を戦い抜いた軍人だった。
そんなこの男の名が歴史の舞台に躍り出たのは、1965年9月30日に勃発した「9・30事件」。軍左派によるクーデター未遂(一部軍人が陸軍参謀長ら6人を殺害)だ。
当時、軍の将校だったスハルトは、瞬く間に事態を収拾。一気に軍のトップへと上り詰める。しかしこれは単なる鎮圧ではなく、スカルノから実権を奪うために混乱を作り出し、それを平定する巧妙なシナリオ……つまり自作自演だったとの説が今なお残っている。
そしてクーデター収束後にスハルトがとった行動は、まさに常軌を逸したものだった。
スハルトは「9・30事件に関与した疑い」という、極めて曖昧な理由で、スカルノの最大支持基盤であったインドネシア共産党の壊滅に着手。その過程で繰り広げられたのが、想像を絶する大虐殺だった。
この虐殺による犠牲者は10万人とも、あるいは300万人にも及ぶとも言われ、真実の数字は不明。連日のように捨てられる死体により、ジャワ島を流れるソロ川が真っ赤になったと言われる。
しかも殺されたのは、共産党員だけではなかった。関係を疑われた一般市民や華僑らも、共産党狩りという名の下に殺害され、国家規模の暴力が国民の心に「逆らえば殺される」という絶対的な恐怖を刻み込むことになったのである。
アメリカが虐殺作戦に巨額資金を提供していたという説
とはいえ、なぜこれほどの蛮行が国際的に許容されたのか。一説によれば、スカルノの親米路線からの離脱を嫌ったアメリカがCIAを使い、スハルトを「反共の防波堤」とし、その虐殺作戦に巨額の資金援助をしていたのだと…。
権力を掌握したスハルトは、前政権の政策を180度転換。徹底した親米・開発路線を突き進んだ。以降30年、表向きは近代化による経済成長という「光」を演じながら、その足元では側近や一族が利権を貪り、反対派を闇から闇へと葬り去ったとされる。
退陣後、彼自身の不正蓄財や虐殺への関与が問われたが、高齢や健康問題を理由に裁かれることはなく、「国家英雄」として再び祭り上げられることになった。
しかしソロ川の水面下には今もなお、名もなき数百万人の無念が沈んでいる。スハルトが独裁体制を敷いた32年間という歳月は、インドネシアの経済発展と同時に、冷酷無比なジェノサイドの歴史にほかならないのである。
(山川敦司)

