2年ぶりの日本一を目指す阪神タイガースがいよいよ15日からのCSファイナルステージに登場、甲子園の大歓声を背にDeNAを迎え撃つ。熱狂的で知られる阪神ファンは、その熱量ゆえに約40年前に発売したあの伝説の野球ゲームの売上やシステムにも大きな影響を与えていた……⁉ “ファミスタの父”として知られるゲームプログラマー・岸本好弘(きっしー)さんに、当時の話を聞いた。
ファミスタをつくったのはゲーム企画素人の若者
佳境を迎える2025年のプロ野球。野球ファンたちは球場やテレビの前で大いに盛り上がることと思うが、この興奮を家庭用テレビゲームに持ち込んだ最初の作品といえば、1986年12月にナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)から発売されたファミリーコンピュータ向けソフト『プロ野球ファミリースタジアム』(以下、ファミスタ)だ。
投手と打者のアップ画面、守備のマニュアル化、選手個人データの搭載……ファミスタはそれまでの野球ゲームにはなかった革新的なシステムを数々導入して、約205万本の売上を記録、野球ゲームの歴史を変えた。
その後、数十本ものシリーズ作品を展開することになるビッグタイトルだが、手がけたのはナムコ入社までゲームプログラミング未経験だったという、5年目のひとりの若手社員だった。
「一応、大学では事務処理などにつかうCOBOL(コボル)といったプログラミング言語の勉強をしてたけど、成績は80人いるクラスの中で後ろから4~5番目。留年ギリギリでしかも、ゲームプログラミング知識もゼロ。
そんな私をなぜナムコが雇ったのか。それはこれからはビデオゲームの時代だと考えて、新卒でプログラマーをたくさん採用したかったからでしょうね。まぁ当時ゲームプログラミングを教えている大学は皆無だったので、新卒でプログラマー採用された同期の誰もゲームプログラミングの知識はなかったんですが」
“ファミスタの父”と呼ばれるようになる岸本好弘さんはそう当時を振り返る。その頃のゲームシーンといえば、78年にリリースされたアーケード用ゲーム機『スペースインベーダー』の大ブームで一般にもビデオゲームの存在が認知されていたものの、コンシューマ機(家庭用ゲーム機)の普及は83年の「ファミリーコンピュータ」(ファミコン)の発売を待たなければいけなかった。
「私が学生だった80年代初頭はゲームで遊びたいならゲームセンターに行かなきゃいけないんだけど、今と違ってあの頃のゲーセンは薄暗い不良のたまり場。健全な青少年がそこでゲームをしたければ、カツアゲされないように無事に帰還する“リアルメタルギア”も、同時にプレイしなくちゃいけませんでした(笑)」
命がけでゲームセンターで遊んだタイトルのひとつにナムコが開発した『ギャラクシアン』があったのも何かの縁だったかもしれない。気がつけば岸本さんは自らがゲームをつくる立場になっていた。
82年に入社して『パックランド』(84年)、『バラデューク』(85年)とアーケードのヒット作に携わるなか、岸本さんのクリエイター人生を変えるファミスタの着想を得たのは、次作の『トイポップ』(86年)というアクションゲームの制作に入る前の期間だった。
ファミスタは野球ゲームじゃない
「当時はプランナーが仕様書を書いて、それを上司がOKのハンコを押すと私らみたいなプログラマーに仕事がおりてくる。でも私のいたチームのプランナーはゲーム開発に関しては新米で、なかなか『トイポップ』の仕様書にOKを出してもらえなかったんです。
で、やることもなく暇だったからチームリーダーと、一日中職場でファミコンの『ベースボール』やセガマーク3の『グレートベースボール』で遊んでました」
ファミコンの『ベースボール』は売上235万本とメガヒットしていたが、ともにコンシューマ野球ゲームとしては黎明期のタイトルでゲーム性は低い。
「『守備で野手が動かせないのはおかしい』『選手に名前がないしパラメータが同じだから感情移入しづらい』『球場が狭く見える』『バッテリー間が短くて投球術が使えない』とか、システムや操作性についていろいろ文句を言いながらやってたんです。そうしたらチームリーダーが『それならきっしーがつくれば?』と。
アーケードゲームの開発にも飽きていたし、同じ部署のファミコンをつくってる部隊が楽しそうに仕事してるのを見てたから、『トイポップ』開発後のチーム会議でファミコンで野球ゲームをつくりたいと提案したんです」
他社の野球ゲームを遊びまくっていたことに加えて、東京都大田区矢口にあったナムコ本社ビルから路線バス一本で行けた川崎球場へ足繁く通うなど現地取材を繰り返していた岸本さんは、その時点で「球場を広く見せるために投手と野手の対決はアップにして、打ったら画面が切り替わる」などのゲームデザインがすでに頭の中でできあがっていたという。
「80年代のナムコはアクションゲームに強かった。だからファミスタも野球ゲームじゃなくてアクションゲームだったと思ってます。
投げて、打って、守って、走って……という野球の要素をアクションゲームに落とし込んだ。だから野球みたいなものを架空の国の、架空のリーグでやっているという世界観ですね」

