◆松本隆×呉田軽穂が描いた“清純派の逆襲”――『メロンのため息』の真価
そんな強烈な看板とは裏腹に、1986年3月21日にリリースされた彼女のデビュー曲『メロンのため息』は、驚くほど純度の高い、極上のポップスだった。
作詞に松本隆、作曲に呉田軽穂(松任谷由実)を迎え、編曲は松任谷正隆が担当。この布陣を見れば一目瞭然、これは松田聖子の黄金期をJ-POP史の頂点へと押し上げた、最高峰の「聖子ライン」の完全踏襲である。オリコン最高位こそ21位にとどまったものの、松本隆による少女の甘酸っぱい心理描写と、ユーミンならではの切なくもキャッチーなメロディラインは今なお色褪せない。編曲の松任谷正隆による高純度で瑞々しいサウンドメイクは、当時の1980年代シティポップの文脈そのものだった。
当時の歌番組『夜のヒットスタジオ』のステージに立った山瀬まみは、大きなリボンにフリルをあしらったドレスを纏い、クリスタルガラスのように透明感のある歌声を響かせていた。歌唱力、ルックスともに紛れもない「正統派美少女」のそれであり、楽曲の完成度は当時のアイドルソングの頂点級だった。しかし、おニャン子ブームという「素人感の濁流」の前に、このあまりに完璧に作り込まれたプロフェッショナルな楽曲は、大きなヒットには届かなかった。当時の現場を知るアイドル雑誌編集者はこう語る。
「歌を聴けば、彼女の天性のピッチの良さと表現力に誰もが驚いた。ただ、時代はすでに『歌を聴かせるアイドル』ではなく、『放課後の延長線上のような親近感』へと舵を切っていた。正統派のドレスを着てマイクを握る山瀬の瞳には、時代とのズレを察知したような、どこか寂しげな影が落ちていた」
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◆生放送大号泣――「マイク壊してんじゃねえよ!」20年出禁を生んだ伝説のガチ喧嘩
歌手として足踏みを余儀なくされた彼女の運命を劇的に変えたのは、ある生放送番組で起きた、日本のテレビ史に刻まれる「大号泣・乱闘事件」だった。
アイドルの型からはみ出せない彼女に対し、スタッフはバラエティ番組への進出を打診する。当時18歳、ホリプロの期待を背負う人気アイドルだった山瀬まみが日本テレビのバラエティ番組に初出演した際、待ち受けていたのは、当時キレ芸で鳴らしていた大竹まことによる過酷な洗礼だった。
事前の打ち合わせ通り、大竹は「お前失恋したんだってなぁ」と山瀬に何度も執拗にちょっかいを出した。勝気な山瀬も果敢に応戦したが、生放送の熱気の中で大竹の動きが暴走。山瀬をスタジオの床に押し倒し、あろうことか上着を力任せに剥ぎ取ってしまったのである。あまりの恐怖とショックに、山瀬はその場で本気で大号泣してしまう。しかし、ドラマはここで終わらなかった。
「お笑いの現場で女性に泣かれるのは困る」という芸人側の理屈からか、涙を見せた山瀬に対して大竹がさらに激昂。不穏な空気がスタジオを支配する中、泣き止んだ山瀬はただ怯えるだけのアイドルではなかった。プロ根性と意地を剥き出しにし、「マイク壊してんじゃね~よ、バカ!」と大竹に向かって怒号を浴びせ、真っ向から食ってかかったのである。これに完全に導火線が弾けた大竹は、「壊すっていうのは、こういうのだよっ!」と叫びながらスタジオの舞台セットを次々と破壊。観客が恐怖で震え上がるほどの本気の乱闘劇へと発展した。
この騒動は単なる演出ではなく、事態を重く見たテレビ局側により、大竹まことはその後、約20年もの長きにわたり日本テレビへの出入り禁止処分を下されることとなる。のちに時が流れ、現場で大竹と隣の席になった際、山瀬は「仕方がないので、隣に座って普通に仕事しましたよ」とあっけらかんと振り返っているが、この事件こそが彼女のタレントとしての「殻」を破る契機となった。
並のアイドルであれば、ここで心が折れて表舞台から消えていく。しかし、当時の視聴者がブラウン管に見たのは、作られたお人形としてのアイドルではなく、理不尽な暴力衝動に対して涙を拭い、牙を剥いて生き残ろうとする一人の人間の泥臭いリアルだった。これこそが、大人たちが仕掛けた「国民のおもちゃ」というフレーズが、本人の凄まじいド根性と完全にシンクロし、バラドル界の女帝へと覚醒していく最大の分岐点となったのである。
