
人工の筋肉、肝臓、腎臓、皮膚──研究室の中で臓器を「育てる」技術は、私たちが思っているよりずっと進んでいます。
ところが、どの臓器をどれだけ精巧に作っても、そのままでは体の中で生きられません。
決定的に足りないピースが、たったひとつだけあるのです。
それは毛細血管です。
これを狙った場所に、狙った形で生やす方法が、どうしても見つかりませんでした。
ところがMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究チームが、まったく違う方向からこの壁を突破しました。
組織を磁石で軽く揺することで血管の生える本数も、伸びる長さも、向かう方向さえも、研究者の思いどおりに変わりはじめたのです。
しかも途中で揺する向きを変えると、血管のほうもちゃんと曲がったというのです。
研究の詳細は2026年7月6日に『PNAS』に掲載されました。
目次
- 人工臓器に足りなかったもの
- 磁石の力で血管の伸び方を制御する
- 細胞はどうやって「引っ張られた」と気づくのか
人工臓器に足りなかったもの

「たった1つの細胞から臓器を育てて、病気や事故で傷んだ本物と取り替える」というとSFの話に思えるかもしれません。
しかしこの「組織工学」と呼ばれる分野は現在、急速に発展しています。
心臓、肝臓、腎臓、胃、腸、皮膚、神経、さらには脳の一部まで、「オルガノイド」と呼ばれるミニ臓器や組織として育てることに成功しています。
ただ現在のところ、それらを体に入れても、そのままでは働いてくれません。
その主な理由は、栄養と酸素を配って回る血管の網が、通っていないからです。
私たちの体は、酸素や栄養を細胞のすみずみまで届けてくれる毛細血管によって支えられています。
この配送網がなければ、どんなに本物そっくりの人工臓器を作っても最後は壊死する、という悲しいことになります。
さらに毛細血管は恐ろしく細く、最も細いものは直径0.005mmと赤血球が一列縦隊でようやく通れるほどしかありません。
血管の代わりに極細のチューブを使えばいい、と思うかもしれませんが、毛細血管はただの配管ではありません。
届けるべきものは外へ通し、通すべきでないものは押しとどめるいわば関所のような働きをしています。
しかも炎症が起きれば緩んで免疫細胞を通し、脳では極端に締まって余計な物質の侵入を拒むという、場面に応じた選別機能まで備えています。
さらに周りの組織と「もっと血をよこせ」「ここはもう足りている」といったやりとりを交わし、傷口に向けて自分から血管を伸ばしていくこともできます。
このような生きている組織を、狙った場所に、狙った模様で張り巡らせるのは極めて困難でした。
細胞をインクのように発射する生体3Dプリンターを使えば、太い動脈や静脈くらいのサイズなら印刷できます。
しかし毛細血管のような髪の毛以下の管が複雑に絡み合ったネットワークとなると、まったく精度が足りません。
血管に「こっちに伸びろ」と命じる成長因子という物質をまいて、行き先を誘導してやる方法は毛細血管を作れますが、この物質は、すぐに拡散して薄まってしまううえ、分解も早くなっています。
そのため「ここに生えろ」という指示を正確に伝え続けることが、どうしてもできませんでした。
そこで今回研究者たちは、化学ではなく力学という、まったく別の道から毛細血管の制御を目指すことにしました。
磁石の力で血管の伸び方を制御する

どうすれば毛細血管を制御できるのか?
研究者たちが選んだのは、超高性能3Dプリンターでも魔法の薬でもなく純然たる「物理」でした。
研究ではまず、コラーゲン(私たちの体そのものを組み立てているタンパク質です)でできたゼリーを用意して、内部に小さなトンネル状の空洞を作りました。
そしてトンネルの内側の壁に、生きた細胞(ヒトの血管内皮細胞)を流し込んで壁紙のように貼りつけました。
この細胞は放っておいても勝手に育ち、互いにくっつき合って血管の形になるという性質を持っています。
こうしてゼリーの中に人工の血管が一本通りました。
実は、ここまでは既存の多くの研究でも行われてきた手法です。
そしてこの状態でも、太い一本の血管を起点に新しい血管が枝分かれし、ゼリーの中を掘り進めるようにして作られることが知られています。
ただ困ったことに新しい血管たちが生えてくる場所はてんでばらばらで、統制がとれたものではなく、臓器に組み込むにあたり問題となっていました。
しかし今回、ゼリーの中の、血管のすぐ隣に磁石が1つ埋め込まれているという点が今までと大きく異なります。
研究者たちが外側の磁石を動かすと、ゼリーの中に埋めておいた磁石が、それに引かれて動きます。
すると、その磁石ごとゼリー全体が引っ張られ、中を通っている血管も一緒に伸び縮みします。
この揺さぶりを受けた血管から、新たな血管が生えやすくなることがわかったのです。
特別な成分や電気的刺激を与えなくても、細胞が物理的力に反応して、血管作りをスタートさせていたのです。
また研究では、この「揺すり方」と「引っ張る強さ」の両方にコツがあることが示されました。
たとえば血管の壁を5パーセントほど伸ばしながら1秒に1回ほどの揺さぶりをかけたところ、人工の血管からはたくさんの枝が生えてきました。
また1秒に1回というリズムはそのままに、15パーセントまで強く伸ばすと、枝の本数は5パーセントのときより減り、代わりに一本一本が長く伸びました。
一方で、15パーセントまで伸ばしても揺すらない場合は、枝の数こそ増えたものの、揺すったときほど長い枝は伸びませんでした。
この結果は「揺すり方」と「引っ張る強さ」の加減しだいで新たな血管の作り分けができることを示しています。
さらに研究チームが途中で引っ張る方向を切り替えたところ、伸びかけていた枝はその変化についていき、進路を変えることもわかりました。
植物が光のほうへ伸びていく途中で、光源を横へ動かしてやると、そこから先の茎だけが新しい方向へ育っていきます。
新たな血管たちも同じように、引っ張る方向に合わせて進路を操作できたのです。
実際に、刺激を始めて3日間ずっと同じ向きに引っ張ったあと、4日目から引っ張る向きを90度変えてみました。
すると伸びかけていた枝の67パーセントが進路を変えたと判定され、上から見るとL字型の血管ができあがりました。
そこで研究チームは、今度は横ではなく、引っ張る向きを真上に切り替えてみました。
結果、71パーセントの枝が進路を変え、上下どちらに振れたかを見ると、98.7パーセントが上でした。
つまり血管たちに「どれだけ枝を出させるか」と「どちらへ向かわせるか」をそれぞれ狙って、人工的に操作できるようになったわけです。
私たちは新たな血管が作られるとき、そこには複雑な命令系統が存在しており、その命令手順を正確に再現しなければならないと思い込みがちです。
しかし実際には複雑なお膳立てをしなくても物理刺激ひとつで、新しい血管を作る場所を指示できたのです。
さらに興味深い追加の発見もありました。
これだけ人間の都合で形を作り替えれば、血管の「漏れにくさ」のような質が劣化してしまいそうに思えます。
ところが小さな分子を使って調べたところ、揺すった血管のほうが、揺すらなかったものよりも2倍漏れにくくなっていました。
毛細血管がもともと持っている、通すものと通さないものを選り分ける関所としての働きが、むしろ強くなっていたのです。
研究を主導したMITのリトゥ・ラマン准教授は一連の成果について「力学的な力は、私たちの体の中で重要な役割を果たしています。ということはつまり、血管をもっと多く育てたいのか少なくしたいのか、短くしたいのか長くしたいのか、あるいは特定の方向に伸ばしたいのか、それをどうやれば実現できるか、私たちはもう知っている、ということです」と述べています。
しかし、操作が実際に上手くいくとして、細胞たちは自分が伸ばされていることをどうやって知ったのでしょうか?

