豊田利晃監督の最新作、映画『次元を超える』が10月17日に公開される。ある日、修行者・山中狼介 (窪塚洋介)は危険な宗教家の屋敷で行方不明になった。狼介の彼女から依頼を受けた暗殺者・新野風 (松田龍平) は捜索を始める。法螺貝に導かれて狼介と新野は狼蘇山で対面し、次元を超えて鏡の洞窟で対峙する。過去から現在、そして未来を駆け巡り、さらに宇宙にたどり着いた、彼らが見たものとは‥‥。
W主演を務めるのは窪塚洋介と松田龍平。共演に千原ジュニア、芋生悠、渋川清彦、東出昌大、板尾創路、祷キララ、窪塚愛流、飯田団紅、マメ山田など、豊田監督ゆかりのキャストが集結している。本作は、豊田監督が手がけた『狼煙が呼ぶ』『破壊の日』『全員切腹』の狼蘇山シリーズに連なる世界観で構築されているが、普遍的なテーマを語る一作だ。
豊田監督は言う、「人はどこから来て、どこへ行くのか。それは、永遠に解けない謎である。だから人は悩む。答えはきっと心の中にあるだろう。心の中とはどこにあるのだろう」と。近年、宇宙とスピリチュアルは量子力学で説明されるようになってきた。これは映画館から次元を超えた宇宙旅行へ飛び立つための手引きである。ここで内容について多くは語らない、解釈をするのではなくスクリーンを観て感じる映画である。そんな本作へ並々ならぬ熱量を持って挑んだ窪塚さんに次元をどう超えるかを伺った。
「何を見せられたんだ」という感覚
——今回の『次元を超える』を監督からオファーされて、脚本を読んだ際の印象を教えてください。
この作品は、いわば豊田監督版「火の鳥」です。『狼煙が呼ぶ』『破壊の日』『全員切腹』が過去、現在、未来の話で、この『次元を超える』が集大成みたいな位置づけです。4作品が一蓮托生、数珠繋ぎの作品だという構想は、豊田監督から聞いていたので、”本当に形になった。脚本になったんだな”って楽しく読ませていただきました。
——狼蘇山シリーズ3作を踏まえて、完成された本作をご覧になって、いかがでしたか。
「次元を超えたな」って (笑) 。試写を観終わって演者たちでタバコを吸っていたら、別に気まずい感じでもないんだけど、”何を観させられたんだ”みたいな感があって、誰も喋らないんです。で「いや、次元超えたな」って言ったら、「ね、本当だよね!」みたいな感じで会話が始まって。結局、みんなが共有したキーワードは、タイトルどおり「次元を超える」だったんです。
——窪塚さんをはじめ、共演者の方々も撮影されているときに感じていたことがあったと思いますが、それも本編は超えていたんですか?
「惑星ケルマンが近づいてくる」とか、台本に書いてある言葉を言うのは簡単だけど、”これを現実化できるのか?”っていうところが、楽しみな部分でもあったし不安な部分でもありました。完成した本編を観ると、前半から宇宙のシーンが入っていて、頭で埋まってなかった部分に魅せられて。演じている我々も想像できなかった部分を、前半から見せられるので、いい意味で置いてかれた感じですね。
——共演の方々皆さん、豊田作品常連の方々ばかりですが、松田龍平さんとは、一緒にお芝居されたのは、今回が初めてだそうですね。
『破壊の日』のときは、神社の階段ですれ違うだけで、一緒に芝居をするっていう感じではなかったです。でも、意外と夜、飲みの場で会うことはちょいちょいあって。龍平って、思ったよりもコミュ力があるんですよ。誰かにLINE聞いたりとかしなさそうじゃないですか? でも彼は聞くタイプなんです。取っ付きづらいのではなく、実は人懐っこい。ぶっきらぼうではあるんだけど、人が嫌いなわけじゃない。龍平のイメージが実際と違うことは、プライベートの段階で知っていて、それを踏まえての現場だったから新鮮でした。”どんな感じで今回芝居するのかな?”とか、”どういう相乗効果が出るかな?”とか、純粋に芝居を楽しめましたね。
——実際、松田さんとお芝居をしていて発見はありましたか?
見たまんまですけど雰囲気がある。小細工できない、不器用な感じのまんま来るから、その力がすごい。ふたりで向かい合うシーンが多くて、対峙したときの松田龍平然とした力を感じる楽しさはありましたね。
豊田作品は感覚が曖昧になる
——今回の作品、一見、尖った印象を受ける方もいると思います。ですが、試写を拝見して”いまをどう生きるか?”という普遍的なテーマを感じました。窪塚さんは、この作品をどう捉えていますか?
いまおっしゃったように、ポスターにも書いてある「人はどこから来て、どこへ行くのか」=「どう生きるのか?」ということが、4作品で伝えたいことなのかな?と考えると、豊田監督は常にそれを自問自答している。なので、この作品をつくるのは、豊田監督の永遠のテーマを我々役者たちが具現化していくっていう作業なんじゃないかなと思います。
——窪塚さんが思う豊田監督の魅力を教えてください。
そうですね、1番の代弁者。それは俺が豊田監督の代弁者なのか、豊田監督が俺の代弁者なのかわからないんだけど。豊田作品の俺がやる役って、現実と作りものの境界線がすごく曖昧なんですよ。役者が芝居するとき、自分の言葉としてセリフを発しなければいけないっていう意味じゃなくて、セリフが自分の言葉みたいな感覚になってくる。”あれ? 俺、これ豊田監督に話したことあったかな?”みたいに自分の心の中のことが言葉として台本に載っていたりする。もうすでにその時点でセリフそのものが、自分との境界線がすごく曖昧なものが多いので、なんか不思議な感覚になるんですね。
“わかってねえな、俺の方がわかってるな”っていうこともあったりしたけど、でも”豊田監督はそう考えてるんだ”っていうことがあったり。ちょっと脳みそが同期しちゃってるのかな。あれ? これ俺と豊田監督、どっちの体験だろう?と思うことが結構ありましたね。豊田監督は生きるということ、世の中に対して怒りと祈りが非常に強い人だから、ちょっと自分のケツを叩かれるっていうか、“じゃあ、お前はどうなんだ?“って言われているようで、自分の内面を覗き見ないとならない作業をまず求められる作品だったり役柄だったりする。定期的に豊田監督と会っていると、すごく自分にとっていい影響がありました。
——豊田監督の伝えたいことを演じることで具現化していく作業であるけれど、同時に窪塚さんご本人が思っているような言葉や形で映画のなかで存在しているから、曖昧な感覚になっていくってことなんですね。
そうそう。このひとつ前の『全員切腹』は、自分の名刺代わりの1本になっているんです。今まで、”何が名刺代わりの映画になるかな?”と思ったら、なかったんですよ。例えば『GO』で日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞を取ったとか、ドラマの「IWGP (池袋ウエストゲートパーク) 」が話題になったとか、ハリウッドで『沈黙 -サイレンス-』に出演したとかって言われがちなんだけど、”じゃあこれ名刺代わりになるの?”っていったら”いやちょっと違うな”と思うところがあって。
『全員切腹』は、その違和感がなくて”あ、これ俺の名刺代わりの1本になるわ”って思えたんです。自分が名刺代わりの1本を作ろうって思っても多分できない。だけど、奇しくも手に入れている。だから自分が意図していないのに、”これ俺が企画して作ったんだっけ?”っていう感覚になるんですよ。それに海外プロデューサーへ作品を送ったりすると、26分の短編映画だからパッと観てもらえる。豊田監督は長編を撮りたかったんだけど、短編で作って、結果、尺的にも良かったと思います。
