
老化細胞を除去する薬、短くなったテロメアへの介入、ミトコンドリアや幹細胞の機能回復など、老化に関わる変化を抑えたり改善したりする研究が進められています。
では仮に、こうした老化の原因をほぼ克服できた場合、人間は際限なく生きられるのでしょうか。
ここで問題になるのが、生涯を通じて体の細胞に少しずつ蓄積する「体細胞変異」です。
体細胞変異とは、生殖細胞以外の細胞に後天的に生じるDNAの変化です。
この体細胞変異は、老化細胞のように異常が起きたものだけ除去することは難しく、細胞ごとに異なるDNAが書き換えられるため元へ戻すことも難しいと考えられており、現状老化に関わる治療研究の中で有効な解決策が見つかっていない問題の一つです。
そこでロシアのスコルコボ科学技術研究所(Skolkovo Institute of Science and Technology)と人工知能研究所(Artificial Intelligence Research Institute)のEvgeniy Efimov氏ら研究チームは、ほかの老化要因をすべて取り除き、体細胞変異だけが残った場合の寿命を数理モデルで推定しました。
その結果、体細胞変異だけが老化要因として残った場合、失われた細胞を補充しにくい脳や心臓が寿命のネックとなり、寿命中央値は156年になると推定されたのです。
この研究の詳細は2026年6月25日付けで、科学雑誌『npj Aging』へ掲載されています。
目次
- なぜ「体細胞変異だけが残る世界」を計算したのか
- 「156年」という寿命限度について
なぜ「体細胞変異だけが残る世界」を計算したのか
老化の治療や抑制は、人類が夢見る医療技術の一つです。
ただ老化は、1つの原因だけで進む現象ではありません。細胞内でエネルギーを作るミトコンドリアの機能低下、老化細胞の蓄積、テロメアの短縮、幹細胞の働きの衰えなど、複数の変化が互いに影響しています。
しかし現代の医学研究では、こうした異常な細胞を取り除いたり、低下した機能を回復させたりすることで、若い状態へ近づける老化治療の方法が色々提案されています。
ただそんな老化要因の中で、体細胞変異(somatic mutation)という現象は、対処が難しいと考えられています。
体細胞変異とは、細胞に後天的に生じるDNA配列の変化のことで、細胞ごとに異なる変異が蓄積していきます。そのため、この問題を解決するには、それぞれの細胞の変異箇所を特定して修正しなければなりませんが、何兆もある細胞にそのような処置をするのは不可能です。
研究チームは、変異を多く持つ細胞の除去や全ゲノム編集、細胞の置き換えなどの案に触れていますが、体細胞変異に対して全身へ安全に適用できる医療技術は当分実現できないと考えています。
つまり、将来ほかの老化要因を抑えられるようになっても、体細胞変異だけが未解決のまま残る可能性があるのです。
そこで研究チームは、もし様々な老化要因が全て解決したとして、体細胞変異という1つの要因だけ残った場合、人間の寿命がどこまで保つのかを計算することにしたのです。
研究チームはまず、老化による死亡率は上がらず、事故や感染症などの死亡リスクだけが残る基準モデルを作りました。
ここでは、スイスの統計データを用いて加齢性疾患がまだ比較的少ない30歳時点の死亡率を基準に、この死亡率が永遠に維持される世界を仮定しています。
その上で、過去の単一細胞全ゲノム解析(single-cell whole-genome sequencing)のデータから、脳のニューロン、心臓の心筋細胞、肝臓の肝細胞と肝前駆細胞、気道を修復する気管支基底細胞で、それぞれ1年にどれほど変異が増えるかを推定し、その変異で細胞が死ぬ確率、各臓器に含まれる細胞数、どこまで細胞が減ると臓器機能を維持できなくなるかを組み合わせ、体細胞変異だけ残った場合に人間の寿命がどうなるかを推定したのです。
なお肝臓と気道については、細胞分裂や幹細胞による補充能力も計算に含めています。
その結果、細胞を補充しにくい脳と心臓では、体細胞変異による細胞損失が長期間にわたって積み上がってしまい、寿命を制限する要因になっていたのです。
脳だけを寿命制限要因として背景死亡率と組み合わせると、寿命中央値は194年となり、10万人に1人が生き残る年齢として定義した最大寿命は557年となりました。
心臓だけの場合は、寿命中央値が208年、最大寿命が868年でした。
気管支基底細胞では、細胞集団が機能限界へ達するまでの中央値が約4423年となり、臓器単独の生存モデルでは中央値4359年、最大7617年と推定されました。
これに対して、肝臓では大きく異なる結果が出ました。
肝細胞自身の分裂能力だけを使ったモデルでも、肝細胞集団が臓器の機能限界へ達するまでの中央値は約3万7664年でした。
肝前駆細胞による補充まで加えると、10万年間のシミュレーション中に機能限界へ達した肝臓はありませんでした。
これだけ聞くと、肝臓すごすぎと思ってしまいますが、これは変異によって肝細胞が失われても、残った細胞が分裂して補うため、肝臓全体の機能細胞数が長期間維持されたという話であり、実際肝臓がこれほど長期間機能するという話とは異なります。
この点は後ほど詳しく説明します。
最後に研究チームは、脳、心臓、肝臓、気道を、どれか1つが機能を失えば個体も死亡するシステムとして統合しました。
この場合、統合したモデルでは、寿命中央値は最終的に156年、最大寿命は470年となりました。
ただし、現実の臓器は完全に独立して変化するとは限りません。
そこで、すべての臓器が同じ人の中でほぼ足並みをそろえて変化する極端な条件と、ある臓器が保たれる人ほど別の臓器が悪化するような反対の極端な条件も計算しています。
その場合、前者では寿命中央値が194年、最大寿命が557年となり、後者では中央値146年、最大210年となっています。
いずれにせよ、今回の研究のモデルでは、体細胞変異の問題が解決しなかった場合、老化要因を全て解決しても人間の寿命は中央値146~194年、最大寿命210~557年というレンジの中に収まる可能性が示されたのです。
「156年」という寿命限度について
今回の研究では、体細胞変異が細胞の生存に必要な遺伝子を壊し、その細胞を死なせた場合というかなり限定された条件のみを調べています。
しかし現実の体細胞変異は、常に細胞死だけを引き起こすわけではありません。
ほとんど影響しない変異もあれば、細胞を生かしたまま働きを低下させる変異や、周囲の細胞より増えやすくする変異もあります。
複数の変異が重なることで、細胞ががん化する場合もあります。
ただ今回の研究では、悪性化した細胞は若い状態を保った免疫監視によって処理されると仮定されており、年齢とともに増加するがん死亡は計算から除外されています。
(ただし、若い人にも存在する免疫監視の失敗やがんの危険性は、30歳時点の死亡率という形でモデルの中に含まれています)
また、がんには至らなくても、機能の低い細胞が増えて正常な細胞を置き換える可能性もありますが、そうした変異細胞が増殖し、同じ変異を持つ子孫を組織内へ広げる「クローン増殖」については、今回のモデルでは除外されています。
そのため、今回の研究が報告した肝臓が数万年間持つという結果に驚いた人も多いでしょうが、これはがんや異常クローンを含めた現実の肝臓の寿命を示したものではありません。
こうした問題は起きずに変異による細胞死だけが起きたと仮定した場合に、免疫系と再生能力が若い状態で保たれる条件では、肝臓が数万年保ったという推定なのです。
クローン増殖や細胞の機能低下を加えれば、増殖できる組織の限界は今回の推定よりかなり早まる可能性は十分にあります。
また、体細胞変異のような細胞のDNAが変化するという表現からは、放射線障害を思い浮かべる人もいるかもしれません。
放射線を大量に浴びてDNAが傷ついた人では、細胞分裂で代謝が進みやすい部分で問題が起きやすく、脳や心臓など代謝が少ない場所では特に変化が起きなかったというような報告がされています。
そのため、体細胞変異が残った場合に脳や心臓がネックになるという今回の報告は、放射線障害の場合とは、結果が逆転しているように見えるかも知れません。
しかし急性の高線量放射線では、骨髄や腸のように細胞を盛んに作り続ける組織自体が、短期間にまとめて傷つき、細胞を供給する仕組みそのものが止まるため、新陳代謝の速い組織ほど早く機能不全が表れます。
一方、今回のモデルが扱ったのは、細胞の代謝自体に問題は起きず、幹細胞や再生能力は若い状態で働き続けると仮定しており、異常細胞のクローン増殖も起きないという条件です。
問題にしているのは、変異が蓄積して細胞が機能停止することののみです。
そのため、細胞補充がされやすい肝臓などの臓器ほど有利になり、細胞がほとんど補充できない脳や心臓では細胞の損失が蓄積して最終的に機能しなくなるという話になっています。
同じDNAに関係する現象でも、損傷が起こる速さと範囲、細胞を作る仕組みが保たれているかどうかによって、影響を受けやすい組織は変わります。
なので、今回のモデルはかなり限定的な条件であり、より詳細な結果を得るためには、今後腎臓、血管、血液、腸などの組織を加え、細胞の機能低下、がん、異常クローン、臓器間の相互作用まで扱う必要があります。
それでも、今回の研究は対処が現状の医学では難しいと考えられる体細胞変異が寿命に与える単独の影響について、ある程度予測できた点で興味深い報告です。
同様にミトコンドリア機能の低下やタンパク質管理の悪化、テロメア短縮など、ほかの老化要因も同じ枠組みで数量化できれば、それぞれが寿命へ与える影響を比較できる可能性があります。
老化を抑制したり、寿命を伸ばす技術については様々な研究が進んでいますが、老化は複合的な問題であるため、体細胞変異のように対処が難しい問題を残した場合、寿命自体はさほど伸びないということになるのかもしれません。
元論文
Somatic mutations impose an entropic upper bound on human lifespan
https://doi.org/10.1038/s41514-026-00421-6
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部

