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伝えきれなかった「ありがとう」白血病と闘った4歳の息子を見送った父が胸に刻む後悔、治療の限界を前に息子が「本当に望んだもの」

伝えきれなかった「ありがとう」白血病と闘った4歳の息子を見送った父が胸に刻む後悔、治療の限界を前に息子が「本当に望んだもの」

4歳で最愛の息子・一馬(かずま)くんを白血病で亡くした青木佑太さん。その深い喪失と後悔は、入院患者の付き添い家族へ温かい食事を届けるキッチンカーの活動へとつながった。青木さんは「一馬との経験を活かしたい」と自分自身を鼓舞し続けている。悲しみを希望へ変え続ける歩みとは――。(前後編の前編)

人懐っこさの塊だった「かじゅま」

群馬県渋川市にある「群馬県立小児医療センター」。病院の玄関前に週2回、1台のキッチンカーが停まる。昼どきになると、付き添いの合間の母親や父親、病院で働く医療スタッフたちが列をつくる。

このキッチンカー「fufufu-soup」のメニューの主役は、野菜をたっぷり使った温かなスープだ。この活動を始めた青木佑太さんの心には、かつてこの病院で共に闘い、4歳で旅立った長男・一馬(かずま)くんとの記憶が刻まれている。

一馬くんは、「人懐っこさの塊」のような子どもだった。公園へ行けば、初めて会う子どもにも「いっしょにあそぼ?」と声をかける。知らない家族の輪にも物おじせず入っていき、気づけば一緒に夢中になって遊んでいる。そんな姿を青木さんは、少し離れた場所から見守るのが常だった。青木さんは当時のことを、微笑みを浮かべてこう振り返る。

「もう、ほんと、『知らない人大好き!』って感じ。知らない人たちのところにどんどん入っていって遊ぶんです。最初は私もついて回っていたんですけど途中から、もう一馬に任せて、遊ぶ姿を遠くから見ている、みたいな(笑)。迷惑をかけそうな時だけ近寄る、そんな感じでした」

家では、自分の名前を舌足らずに「かじゅま」と呼んでいた。大好きなのはウルトラマン。人を笑顔にすることが、ごく自然にできる男の子だった。

一馬という名前には、家族の深い願いが込められていた。青木さんは言う。

「長男だったんですね。『一』が1人目の子ども、ということと、おじいちゃんの名前が『一郎おじいさん』だったので、その字をもらいました。『馬』は、たくましく、それでいて優しいイメージがあったので、そんな子に育ってほしい、という思いで。生まれた時は、もうみんな、両親も親戚もとても喜んでくれました」

突然の宣告と、バラバラになった家族

だが、そんな幸せな日常は、一瞬で崩れ去る。

「前駆B細胞急性リンパ性白血病」。一馬くんが3歳9か月の時に診断された病名だった。

病室で医師は言った。「8〜9割は治ります」。その言葉は、家族にとって大きな希望となった。白血病は、かつてとは違う。治る病気になってきている――。青木さんと、妻・麻純さんはそれを信じ、治療を乗り越えようと覚悟を決めた。

しかし、そこから始まったのは、家族がバラバラに暮らす日々だった。

1歳の長女を保育園へ送り迎えするため、昼間は麻純さんが病室へ付き添い、夜は青木さんが病院へ泊まり込む。誰かが家に戻れば、誰かが病院にいる。4人家族でありながら、家族全員が同じ場所で眠ることはほとんどなかった。青木さんは振り返る。

「家族が一緒にいられることは、当たり前じゃなかった。そう痛感しました」

幼い一馬くんは、抗がん剤治療に耐え続けた。免疫力が落ち、思うように身体を動かせないなかでも、病室では大好きなウルトラマンのフィギュアを手に遊び続けた。髪が抜けても、吐き気に襲われても、弱音はほとんど吐かなかった。看護師たちにも愛嬌を振りまく4歳の少年。その健気な姿こそが、バラバラになりそうな家族の絆を繋ぎ止めていた。

付き添い生活は過酷だったが、それでも治療が終われば、また家族4人の日常が戻ってくる、早くその日が来てほしい――誰もがそう願っていた。ところが、その願いは突然断ち切られる。 治療が順調に進んでいると思われた矢先、一馬くんの白血病は「極早期再発」を起こしたのだ。予後は極めて厳しい。医師から告げられたのは、あまりにも残酷な現実だった。

「この病院では、もうできることがありません」

「8〜9割治る」と言われた病気。その「8〜9割」の中に、一馬くんはいなかった。青木さんは目の前が真っ暗になった。信じていた希望の言葉が、一瞬で崩れ去ったのだった。

「助かる方法」は、まだあるはずだ。再発を告げられた青木さん一家が紹介されたのは、東京・築地の国立がん研究センター中央病院だった。

そこには、まだ一般には広く使われていない治療法や治験がある。藁にもすがる思いで病院を訪れた青木さんは、「ここなら助けてもらえるかも知れない」という希望を抱いた。実際、医療チームは一馬くんの状態を慎重に見極め、考え得る治療法をひとつひとつ検討していった。「まだ方法はある」。その言葉だけが、家族を支えた。

しかし、現実は厳しかった。期待を寄せた治療は思うような効果が現れず、次の選択肢も、一つ、また一つと閉ざされていった。新たな希望が見つかっても、その希望が絶たれるまでに、それほど長い時間はかからなかった。青木さんは当時の感覚を、「頼みの綱が切れていく感覚でした」と振り返る。

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