現在、リリー・フランキーと聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのは俳優としての姿だろう。しかし、映画『ぐるりのこと。』で主演を務める以前、リリーは雑誌を主戦場に、ライターやイラストレーターとして膨大な仕事をこなしていた。多い時には週刊誌や月刊誌で45本の連載を抱え、月に100本あまりの原稿やイラストを制作。雑誌の小さなコラム欄から頭角を現した彼は、誰もがSNSに発信の場を持つ現在をどう見ているのか。
サブカルチャーがメインカルチャーとなった時代の変化から、入手困難な『おでんくん』、かつて原稿を待ち続けてくれた編集者への思いまでを聞いた。〈前後編の後編〉
サブカルがメインカルチャーになって、怒る場所がなくなった
──今では、リリーさんをまず「俳優」として知った若い世代も多いと思います。ただ、『ぐるりのこと。』以前は、ライターやイラストレーターとして、週刊誌や月刊誌で45本もの連載を抱えていたそうですね。それだけの量を、当時はどのように書いていたんですか?
リリー・フランキー(以下同) 文章って、知力じゃなくて体力なんですよ。書けば書くほど書けるようになる。1日3〜4本コラムを書いていた時期は、勝手に言葉がポンポン出てきましたから。書いている頃は全然原稿を落とさなかった。でも、書くのが休み休みになると、急に書きづらくなる。このあいだ『POPEYE』で7年ぶりに連載を書いた時も、やっぱり書きづらさを感じましたね。
──1990年代から2000年代初頭にかけてのリリーさんは、イラスト、文章、ラジオ、映画などフィールドを定めずに活動されていました。あの当時の「雑誌」というメディアの空気感はどんなものでしたか?
昔、雑誌がメインカルチャーだった時代は、誌面の本当に小っちゃな囲みコラムでも、自分の発言する場所を持っている奴が強かったんです。でも今、SNSで全員が自分専用のコラム枠を持っているじゃないですか。全員が持ってしまうと、逆に強みが消えてしまう気がするというか……。
当時、「サブカルチャー」と呼ばれていたアニメ、アイドルといったオタク文化は、一般社会から日陰のものとして扱われていたんです。テレビ番組では「あなたの子どもは大丈夫か、忍び寄るオタクの脅威」みたいな感じで報じられていたり(笑)。……ほとんど差別的に扱われていた。
でもちょうどその頃、パリの街角でなぜかアニメのTシャツが売られていたんです。海外の方の目線が先に「この文化が世界を変える」と気づいていた。それが今や完全にメインカルチャーになったでしょう。
──サブカルチャーがメインカルチャー化したことで、ご自身の表現の場はどう変わりましたか?
サブカルチャーがメインカルチャーになってしまうと、コラムニストが何に怒っていいのか分からなくなるんですよね。日陰の場所や、屈折したエネルギーを逃す場所がなくなってしまうわけで。みんな、メインカルチャーのど真ん中にいるから、怒りの矛先やハミ出す場所を失ってしまったんですよね。
砂漠の中からダイヤモンドを探す時代
──番組で齋藤飛鳥さんと共演されていましたが、そうしたメインカルチャーの渦中にいる若い世代と対話しながら、ご自身との感覚の違いを感じることはありますか?
飛鳥ちゃんの番組に出たときも思ったんだけど、年下の若い世代と話していても、あんまり年齢って関係ないんですよね。フランス人が好きな格言で「滓(おり)は瓶の底に溜まる」っていうのがあるんだけど、結局話が合う人って似たような人間なんですよ。
僕みたいなエロ本出身のサブカル人間も、乃木坂46出身の飛鳥ちゃんも、それぞれのグループや業界の中でちょっと端っこ寄りというか、似たようなところに溜まっている感じがしますよね。発言の端々に、いわゆる「俗世にまみれているアイドル」とは真逆のたたずまいがあるでしょう。そういう人は見ていて信用できますよね。
── 一方で、まだ世に出ていない若い才能を見つけることは、以前より難しくなっている気もします。
昔は僕みたいな正体のよく分からない人間を、雑誌の編集者や先輩たちが面白がってくれたんです。「こいつ文章書けるな」って、エロ本や音楽誌のちっちゃいコラムを見つけて声をかけてくれた。原稿を取るために僕の部屋に編集者が何人も泊まり込んで、結局そこで夜通し飲んでコミュニティができたりね。なぜかカップルが生まれたり(笑)。そういう濃厚な人間関係があった。
今はインターネット上に大量の文章や写真があふれているけれど、例えるなら巨大な砂漠みたいなもので。昔は雑誌や編集者が一度ふるいにかけて、ある程度絞られた中から面白いやつを探せた。今はふるいにかける前の大量の砂の中から才能を探さなきゃいけないから、探す側の労力がでかすぎますよね。まさに、砂漠の中からダイヤモンドを探すような状態ですよ(笑)。

