◆『水色の恋』のチャート記録と「真理ちゃんブーム」の全貌
ドラマ劇中でフォークギターを抱えて可憐に歌うスタイルが視聴者の間で大きな話題となり、1971年10月1日、シングル『水色の恋』で待望のレコードデビューを果たした。
作詞・田村隆、作曲・田口淑子、編曲・森岡賢一郎によって制作された同曲は、オリコンシングルチャートで最高3位を記録。累計出荷枚数は80万枚を超える大ヒットとなった。
テレビの歌番組においては、スタジオ全体を純白の照明で満たし、白いドレスを身に纏った彼女が透明感のあるファルセットボイスで歌い上げるという、視覚と聴覚を「白」で統一した演出徹底が図られた。
このデビュー曲の成功を皮切りに、彼女の快進撃は加速する。続く「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」「若葉のささやき」「恋する夏の日」がことごとくオリコン1位を獲得。デビューアルバム『水色の恋/悪魔がにくい』は1972年のオリコン年間アルバムチャートで1位に輝いた。
さらに、冠テレビ番組『真理ちゃんシリーズ』(TBS系)がスタートしたほか、自転車、文房具、人形など、彼女のイラストや写真があしらわれた「真理ちゃんグッズ」が続々と商品化された。
ファンクラブ会員数は当時の単独芸能人としては異例の30万人規模に達し、音楽シーンのみならず産業・キャラクタービジネスの領域においても巨大な市場を形成したのである。
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◆ 過密スケジュール、過熱取材、そして1977年の休業劇
1970年代半ばに入ると、山口百恵やキャンディーズをはじめとする後続アイドルの台頭により市場環境が変化。同時に、週刊誌を中心とした芸能メディアは、彼女のパブリックイメージである「清純」とのギャップを狙ったスキャンダル報道やプライベートの追及を加熱させていった。
1977年、過労と精神的疲弊がピークに達した彼女は、突如としてすべての活動を停止し長期休業に入る。
当時、所属事務所から公式に発表された休業理由は「甲状腺機能障害」による体調不良であった。しかし後年、本人がメディアの取材に対して明かした実態は、殺人的なスケジュールと過熱するメディアバッシングに起因する重度のメンタル不調(うつ状態)であった。当時はアイドルのメンタルヘルスに対する社会的理解が乏しく、実際の苦痛を伏せるために別の病名を立てざるを得なかった背景が存在する。
トップスターとしての熱狂的な栄光から一転したこの休業劇は、消費されるアイドルの労働環境と、昭和の芸能メディア構造の苛烈さを象徴する事例として後年の歌謡史でも語り継がれることとなった。
