妻に語りかける呪文の話
この10年の介護生活の中で、学んだこと、気づかされたことはたくさんあるという。
「妻に『どうしたい?』って聞いても明確な答えは返ってきません。だから、相談はできないんですよね。そんな中で、周りにいる人に、『つらい』『こういうことで悩んでいる』とかはなるべく言ったほうがいいし、すぐ言ったほうがいい。ひとりでため込むと、だいたい変なこと考えていますから。
毎日、いろんな年代のヘルパーさんに来てもらっているので『昨日、こんなことがあって困っちゃったんですよ』はもちろん、『昨夜、ちょっと飲みすぎちゃって(笑)』なども話しています。それを聞いてくれるだけで支えになるし、一緒に笑ってくれるだけで支えになっています」
朗らかに明るく話してくれる貴弘さんだが、割り切れない思いも抱えている。
「羊水塞栓症は約2万人にひとり。つまり0.005%くらい。でも僕らの人生は1度きり、そしたら100%じゃないですか。パーセントや数字ではなかなか納得することはできない。
でも、そうではないところ……空想やファンタジーから生きる力をいただくことって絶対にあって」
貴弘さんは、明里さんにこんな話をするのだという。
「『身体、動かないだろ? でもそれは俺が明里とずっと一緒にいたいから、呪文をかけたんだ』って(笑)。
『でも俺がまだ未熟だから、呪文が効きすぎちゃった。ただ、俺と一緒にずっと生活していれば、いつかその呪文を解く方法を習得できるかもしれないからさ。そのときまで一緒に頑張ろうな』って。
昔から本や漫画が好きで、そこから勇気や希望をもらったこともありました。空想やファンタジーは、現実から目をそらして、逃げているんじゃなくて。そこから目の前のことに向き合う力をいただくこともできるんです」
僧侶である貴弘さんは、それは仏教にも通じるのだと教えてくれた。
「『お釈迦様が山の上から瞬時に現れました』に対し『でも空想でしょ?』ではなくて。そこに流れている精神、そしてそれを大事だと感じ、語り継いできた人たちの精神が詰まっているのがお経なんです。
また仏教の教えには『完璧な人間なんていない』というものもあります。日本には障がい児がたくさんいる中で『親が亡くなった後、どうしていくか』は課題だと思っていますし、障がい児の親が絶望するんじゃなくて、社会全体で受け止めていくような土壌はあってほしい。そういったことの何か力になれたらとYouTubeにも出演しました。
でも『こんな辛い状況でも、私はこの子を愛さないといけない』とかではなくて。僕だって思うこと、ありますもん。『もし、ふたりに障がいがなかったら楽だったかもしれない』とか。どこか不純な愛であろうとも、愛は愛。それでいいんじゃないかな、と思うんです」
最後に荒木さんに「今、幸せと感じるか?」と問うと、笑ってこう答えた。
「うん。自分が思ってた幸せとは違う形の幸せを2人からもらっていると思います。そういう意味で言うと、幸せですね。妻と娘、それと支えてくれているいろんな人たちが幸せを教えてくれてると思います」
生活は綺麗ごとだけでは回らない。それでも、効きすぎている呪文が解ける日がこの先、訪れてほしい。3人での温かな日々がいつか花を育て咲かせるはずだ。
取材・文/池谷百合子

